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第4部 溺れる愛
4-2
しおりを挟む「忠さんは携帯の中身気になるとか、無いんですね」
「俺? 監視アプリとか変なのインストールされてるかとか、そう言うのは都度確認したいが……アンタ機械音痴なところあるから」
「監視アプリ……」
「俺は何処かの夫婦みたいにGPSで位置情報を常に把握出来るようにするとか、そんなのは流石に……」
「ええ? そんなソクバッキー夫婦見たことないですよ」
「アンタの近くに……いや、うん。まあ、俺達は常日頃一緒なので。職場のゴミ捨て施錠中は気を付けて下さい」
ぎくり、と眉を顰めそうになった。田嶋が陽菜のゴミ捨てや施錠でほんの短時間外に出るのを見計らって会いにくるからだ。最賀は五年前、田嶋と面識があるものの、良い印象を持っていない。陽菜も同様に心底これからの人生関わりを遮断したい一人である。
最賀は陽菜の額に手を当てて、顎を掴み顔色を確認している。じっと眼鏡に潜んだ真剣な眼差しに、気恥ずかしくなった。キスも五日間お預け状態で、唇は寂しいので時折最賀の口元を盗み見てしまう。
「ほら、熱いうちに召し上がれ。病み上がりなんだから」
醤油味醂の卵おじや、土鍋で作ったらしい。香ばしい匂いに釣られる。真ん中に落とされた半熟と完熟の間で、割るととろみが残った絶妙な固さ。
食事介助は桃原並みに上手い。餌付けされる雛鳥の気持ちがわかる。
「食介、あんな忙殺した中でやってたのが此処で発揮するとは……」
「病棟で?」
「配膳が押し押しになると、暇なら手伝うのが普通だの気が利かないだので……良い経験にはなったか」
「なんか、殺伐としていたのですね……」
「医者がやっちゃならんことも無いしなあ。まあ、こうして甘やかしの手技が上がったので?」
劣悪な環境下で、最賀は殆ど自宅に帰れなかったらしい。緊急は大抵厄介者の最賀に押し付け、気が付けば朝がやって来て。そのまま外来もこなす。帰る時間が惜しく、仮眠室で寝泊まりする始末だった。
カップラーメンは人生三回分は食べた、と肩を竦められる。早く体調を戻して、最賀に美味しい物を沢山食べてもらいたい。
おじやを食べ終えて暫くすると、生理的現象がやって来る。忙しい体だ。
病み上がりなので、立ち上がる時も一苦労だ。内腿を擦り付けて、尿意を堪える。腹圧がかかると、大変なことになりそうだ。波が静まるまで堪え忍ぼうとする。
「どうした? あ、トイレか」
最賀に言い当てられてビクッと肩が震える。陽菜の様子が変だからか、あっさりと見破られた。トイレに行くことすら介助してもらうのは、非常に心苦しい。
「ひ、一人で行けます。大丈夫ですッ」
「転倒して頭部強打なんて洒落にならないぞ」
「大丈夫ですから……流石に、御手洗い行くのに、その介助とか……」
「そうか?尿とか排泄物は仕事柄あんまり気にしたこと……あ、いや、無し、さっきのは……」
「大丈夫です。一人で、行けますので……あっ」
立ち上がろうとした瞬間。膝に力が入らなくて、ふらつく。最賀は肩を抱いて、陽菜を受け止めてくれた。
「ほら、やっぱり無理してる。ふらつきあるんだから、素直に頼ってくれ」
膝裏を抱えて抱き上げられる。軽々と、だ。一瞬何が起こったのか分からず、その浮遊感に吃驚して咄嗟に最賀の首にしがみ付いた。これが世に言うお姫様抱っこである。陽菜は呆然と抱かれたまま、トイレへ連れて行かれた。
トイレすら行くくらい、手厚いお世話。最賀は平然と表情を変えずにいる。陽菜だけが羞恥心に駆られ、動揺していたのだ。最賀の突発的な行動は、やっぱり心臓に悪い。ドキドキと胸が高まって、首筋に顔を埋めたくなる。
陽菜の体調を鑑みて、最賀は性的な匂いを一切出さない。病人相手に情欲を抱くことは無く、それだけ大切にされているのは重々承知だ。
けれども、微熱で顔が火照っている陽菜は時折腹奥の疼きが気になってしまう。布団にいる時間が長いからか。隣で眠る最賀の腕の中で、身悶えそうだった。どんどん自分が貪欲で我儘になるのを感じて、賤しさを心の奥底に押し込める。
陽菜はトイレ前に降ろされる。扉を開けてどうぞと言う最賀を横目に見た。何故か、扉の前から離れようとしない。排泄音が聞こえたら恥ずかしい。
いや、何度もそれ以上にいやらしいことはしたが。散々甘い声で啼いて、可愛がってもらったけれど、話は別である。いつか気持ち良過ぎて潮以外の物を漏らしてしまうのでは、と怖くなる。
「す、少し離れたところに、いて下さいッ」
「はいはい、排泄時に迷走神経反射で倒れたら容赦無く介入するからな」
「え? 迷走神経反射……? と、ともかくッ、来ちゃダメですから!」
必死になって陽菜が言うものだから、最賀はクスリと笑って見せる。笑うと目尻の皺が少し深く刻まれ、扇情的だと思うのは熱の所為にしたい。
何とか膀胱圧迫から解放され、一安心する。
「そんな顔してても、病人には手を出さない主義なので」
「何も、言ってません私」
「眉下げて、困惑した真っ赤な顔なんて俺以外には見せないで下さいな。襲われたら容赦無く社会的抹殺する」
「あ、の……」
「ん?」
「……いえ」
「隠し事なんて無いぞ。ああ、手代森のことか?」
グサッとその名が心臓に刺さる。最賀の口からは、冷淡さを含む。毅然とした態度から一変し、酷く凍り付く別の顔が現れる。
背筋が凍りそうだ。ひんやりとした風が頬を撫でる。クーラーを新調し、適温に設定しているはずなのに。陽菜は口の中に溜まった唾液を飲み込んだ。喉がカラカラと渇いて、水が無性に飲みたい。
最賀は目を伏せると、ストローを差し込んだ健康飲料水を黙ったまま渡した。陽菜の緊張が伝わったらしい。喉を潤してから最善の答えを考える。
いや、ただ……聞きたかったのだ。
間接的にテレビで知った情報では、告発した人物がいること。余罪があり、赤子の手を捻るくらいに意図も簡単に人を陥れた女性。それが手代森英世である。
最賀は、怒っているのだ。静かに、淡々と。
「──忠さんは、復讐したかった……のですか?」
「別に、俺の答えはシンプルなんだ。俺はアンタを傷付けた人間が許せないんだよ、それだけだ」
あっさりと最賀は答えを打ち明けた。なるべく口角を上げて無理して笑みを作っている。それでも、ギラギラと燃える灯火が宿った双眸は隠せない。
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