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第4部 溺れる愛
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しおりを挟む診療時間が終わる。最後の患者を見送って、早々に白衣を脱いでリネンボックスへ放り投げた。
女がいなくなってないか、不安で息が詰まりそうで。急いで帰宅準備をして鍵締めを小野寺に託してバイクを走らせる。赤信号で捕まると、焦りが先走って歩行者信号が点滅しないか気になってしまう。
──早くペットカメラ届いてくれ! 心配し過ぎて俺の心臓が幾つ有っても足りない!
循環器内科を専門としているのに、有るまじき発言が飛び出しそうだ。バクバクと心音が五月蝿い。不整脈でも起きたのかと思う程に、変な動悸がする。年に一度の定期検診では問題無く、単なる心労がストレス指数を上げたからだろう。
玄関の鍵を差し込んで、靴を脱ぎ捨てる。バタバタ寝室の畳み部屋見に行くと、女は荒い呼吸して眠っていた。
「……は、あ……はあ、眠ってる……良かった」
最賀は汗だくな状態だったが、安堵が勝ってその場にへたり込んだ。恋人の病状なんて、本業が医者だろうと気が気でない。
布団が暑すぎないか、空調は問題無いか。胃に何か入れてから薬を飲ませるべきだと思って、一応意識確認の為声を掛けてみる。
同時に、脈拍数もカウントしつつ橈骨動脈の上を指で触知。とくとくとやや速いものの異常値には満たない。血液中の酸素不足を伴うチアノーゼ症状も認められず、腋窩に体温計を差し入れて待つ。全身状態を隈無く観察して、テーブルに置いたバインダーに記録して行く。
時間と数値、状態を簡易的に記入すると、ふと最賀は女のカルテの分厚さを急に思い出した。アレルギーや既往歴は飯田先生から申し送りがあり、要注意人物付箋。本当は本人に聞けば良いことなのに、最賀は事前に知ってしまっている。
──はあ、俺って……良くも悪くも医者で、人付き合いが下手くそだ。
用意周到に立ち回りたいくせに、早坂のように器用でも無い。コミュニケーション能力も、医者としても凡人に毛が生えた程度だ。女の口から聞かず、博識風情に飄々と立って大人の振る舞いをするのはフェアでも何でも無いのに。
余裕が無くなると、悪い方向ばかり考え込んでしまう。後ろめたい気持ちに苛まれる。
「……陽菜」
「──た、だし……さん? 汗……凄いですよ」
最賀の気配に気が付いたのか、寝たままお帰りなさいと女は力無く笑う。額に汗を滲ませ、顔も紅潮している。氷枕を替えてやると、吐息がやっぱり熱っぽい。
むくりと重たい体を起こそうとするから、慌てて支える。体重を預けて、最賀へ凭れ掛かる。汗の香りと、柔軟剤の香りが鼻腔を擽った。とろんと蕩けた瞳が最賀を捉えて、少し細める。
「今日、休んでしまって……ごめ、んなさい」
「休むのも仕事だぞ。小野寺さんが明日メロン持って来てくれるってさ」
「……メロン、好きなので……嬉しい」
「明日楽しみにしてるって伝えておく。食欲は?」
「うどん……」
「くたくたのうどんなら、食べやすいだろう。作ってこようか」
返事の代わりに、瞬きが二回。女はふにゃりと笑って見せた。
最賀はじっくりと煮込んだうどんを考案すべく料理本を読み漁る。食欲の無い病人が食べられる味付けと具材。栄養価が高いメニュー。生姜たっぷりのあんかけ風のうどん煮込みを作ることにした。
水溶き片栗粉でとろみをつけて、溶き卵を加えた後におろした生姜を多めに。葱と大根煮が残っていたので胃腸に優しく、且つ野菜を摂取出来るように投入。和風の出汁がほんのり効いて、味付けを整えてぐつぐつ煮込む。
──これが、まさか役に立つ日が来るとは。
「美味しい……」
介護用品のサンプル、と言う名目で試し購入したスプーンが役立つとは思わなかった。口に運びやすい特殊な設計らしい。食べ易いです、と女はスプーンで柔らかくなったうどんを少しずつだが食べていった。
「食べさせよう、か?」
「え……?」
「あー……病人なんだ。冷ましてから、ほら、なんだ……火傷すると大変だから……?」
──食べさせてやりたいが故の、こじつけが下手過ぎないか?! 俺!!
きょとんと大きな双眸は丸くした。そりゃあそうだ。急に食べさせてやるなんて言われたら、誰だってはいそうですか何て言わないだろう。
「あ、えと……お願い……します」
おずおずと女の小さな口が開いた。目元が赤らんで、色っぽい。恋人が無防備に口を開いて待っているのだから、大人として、医者として対応すべきである。
心の奥底に欲望や卑しさを押し込んで、必死に食事介助を行った。食は細かったが、半分は食べられたので良しとしよう。
味変に食後のデザートは電子レンジで加熱した焼き林檎だ。朝作った物を冷やしておいたので、丁度ひんやりと火照った体にも良いだろう。
「忠さん、あの……そんなに見られると、えと」
「食べづらいよな。悪い……大きく切り過ぎた」
一口サイズに切ったが、やや女の口には大きかった。加熱すればしんなりとサイズも小さくなると踏んでいたが、爪が甘かった。
「いえ……林檎、も」
「うん? 林檎嫌いだったか?」
「ち、違います! 食べさせてもらうなんて、初めてで……」
離れから幸せな弟と母親を見詰める少女の様だった。女は両親からの愛情を受けず育ち、病気になっても看病はされた経験も無いだろう。
体調を崩したら、これをよく食べるんだ。
誰もが大抵決まっている病人になった時の常套句。
女の生育歴が垣間見える度に、最賀は息が詰まりそうになる。
「──林檎も、食べるの手伝おうか……?」
「あ、う……お願い、したいです……」
「はは、顔真っ赤にして林檎みたいだな」
「熱の……せい、だけじゃないです」
なるべく、明るく振る舞う。同情心を持つのは、女に失礼だからだ。これから最賀が、親が与えなかった分の愛情を注げば良い。
恋人として、親友として、父親としての役割を持ったとしても。いや、それで良いのだ。十六歳も年齢差があるのならば、年長者が担える範囲は広い。その点は腑甲斐無いとは感じなかった。
「ほら、たんと食べて良く寝なさい。歯磨きも俺が手伝うから、な?」
「は、歯磨き……も?」
「此処まで来たら俺はぜーんぶお手伝いするぞ?」
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