戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第4部 溺れる愛

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 最賀は陽菜がどんな状況だろうと、味方でいる。船に乗れないのも快く了承した上で、下船まで留まってくれた。なのに、陽菜が一番最賀を他人扱いをしている気がする。

 都合の良い、脳内お花畑の展開が訪れるとフィクションの中のヒロインは素直に、その好意に甘える。不幸だった時間が長過ぎて、陽菜は躊躇してしまう。最賀の手ですら、今も素直に掴めないのに。

「俺はいつだって、そこには居ないんだな……」

 それからは、最賀は口を噤んでしまった。傷だらけの拳に引っ掻き傷を丁寧に処置すると、バイクで自宅へ送る。何か言いたげな顔だったが、じゃあ職場でと一言残して帰ってしまった。その背中が小さくなるまで、陽菜はぼんやりと見送るしか無かった。

 電気も点けぬまま、食欲も無くてリビングでテーブルに顔を突っ伏す。後頭部がズキズキと痛くて、髪を解こうとする。が、中々解けない。

 最賀が不器用ながら結んでくれたのを思い出す。余計、涙で視界が歪む。

 今朝の占いで、ラッキーカラーはモスグリーンだったから。そう言って選んでくれたリボンはテーブルに垂れる。涙が木目調の隙間に滲んでは消え、を陽菜は眺めた。

「可愛くない、女……。私にお似合いの言葉……」



***




「──陽菜さん?」

 その声を聞く度に、体は強張る。

 身に覚えのある姿は、ゴミ捨て場でゴミ箱をひっくり返すくらいに陽菜を恐怖に陥れる。見た目は好青年だが、中身は亭主関白の男尊女卑で固められた男だからだ。
 田嶋は手には薬局の袋を持っていた。

「やめて、下さい。職場にまで来るなんて」

 陽菜は精一杯の拒絶を口にした。口の中が緊張と恐怖でカラカラと乾いており、上手く言葉が出ない。

「母の薬を代理で貰いに来ただけなのに、冷たいな」

「私が破断にしたの知ってて、やっかみですか?」

「そんなことはないよ。ただ、一人で立ってて辛くないのかなって、思うよ」

 ──勝手な人。酷い噂を流したのは、そっちなのに。

 陽菜が見合い話を断ると、忽ち噂が流れた。悪い噂であるのは一目瞭然で、陽菜が暫く地元で就職が出来ぬくらいの悪評だった。

 男を立てず我儘で出しゃばりな、顔に傷のある女。

 そう、陽菜を悪く印象付けた田嶋は今もこうして視界にうろうろとする。

 陽菜の名前は出なかったが、地域に根強い地元の住人は誰かは特定出来るものだ。五年間の沈黙を得て、飯田診療所へ就職したのに情報は出回るのが早い。

「昔の嘉で、相談に乗れることもあるのに……君は全部跳ね除けて蓋するから」

「私は……何も話すことは無いです」

「人のお荷物になって、可愛げないよりは愛想良く一歩下がって微笑んでいた方が上手くいきますよ?」

 女は黙って男の後ろを歩いていれば良い。愛想良く微笑み、子供を産み夫を立てて育児に家事を切り盛りする。それが女の役割だ。

 田嶋は陽菜を物扱いする。赤の他人なのに、深い繋がりがあると勘違いをしているらしい。謝って来たら、許してあげるよと何度も陽菜を付け回すのだ。認知が歪んでいる。

 けれども、腹が立っているのに、言い返せなかった。

 患者の家族として来院されると、より弱い立場に成り下がる。忘れていた保険証を届けに来た、結果のデータを代理で受け取りに来た、なんてことだ。
 この制服を着ていると、途端に暴力や暴言の渦中に巻き込まれても味方は少ない。

 田嶋を振り切って、診療所内に逃げ込む。ゴミ箱を抱えてダッシュするのは初めてでも無いが、嫌な汗ばかり流れる。心臓がドキドキと五月蝿い。

 早く平常心を取り戻して、業務に戻れば元通り。そう、自分に言い聞かせて誤魔化すしか無かった。





「先生すみません、病名チェックをお手隙の時にお願いしたいのですが……」

「……ああ、付箋貼っておいて、そこのボックス入れといてくれ。終わったら回す」

「……はい、ありがとう……ございます」

 忙しなく、検査が重なりABI(Ankle-Brachial Indexの略。上腕と足首の血圧比を測定することで、血管の狭窄を調べる検査)や心臓超音波検査、採血の数値が著しく悪い為精査目的で紹介状発行。
 トレッドミル運動負荷試験がその上数件まとめて入っていた為、三条は既に半泣き状態だった。

 トレッドミル検査とは心電図や血圧をモニターしながら、ベルトコンベアを歩き、心臓に負荷をかけた状態で狭心症や不整脈の診断に役立つ検査である。合間に超音波検査や他の検査が、運悪く予約枠ぎゅうぎゅうに詰まっていた。

 診察介助をしながら採血や12誘導心電図を取りに行く等、小野寺達も手が空かず。陽菜はデータをかき集めてまとめ上げ、診断書を封する事務作業をしつつ患者を診察室へ案内も兼務する。

 レセプトの病名チェックを頼んだが、最賀の素っ気無い口調が陽菜の心に引っ掻き傷を残す。

 重なる時は、重なるのが現場である。

 考える隙すら、与えて貰えず怒涛の午後の診察検査ラッシュを駆け抜けた。

 しかし、これで良い。手と頭を止めてしまえば、顔を覗かせるのだから。

 疲労もあってか、昨夜は食事も摂らずにこんこんと眠ってしまっていた。今朝は出発時間十五分前のアラームで飛び起きて、カロリーメイトのみ。ぼそぼそとした固形状のクッキーは口の中の水分を全て奪い去る。

 朝礼で申し送りを聞いている際も、目は合うことは無かった。気怠そうで、目元の隈が異様に浮き彫りである。珍しくネクタイも、していない。故に、ネクタイピンもだ。

 十六時頃になると、程良く患者も少なくなって来た。大抵は午前中から午後診療開始頃は混雑する。ある程度の時間が経てば、患者はパラパラと院内から消えて行く。

「空気重くないか?」

 髪もボサボサ、KCはよれた三条が検査データの貼り作業を終えたカルテを持って来る。血液検査のデータは未だに手作業なのは、正直アナログの最先端である。データが全てPCに飛んでくれれば楽なのに、と常日頃思う。

「……誰がでしょうか」

「最賀先生だよ。いつも以上に仏頂面じゃん」

「確かにねえ。診察室ジメジメして、嫌だわあ。湿度上がったかしら」

「診察介助つきたくねえな、ああなら」

 眉間の皺は時間と共に濃くなっていたのは事実だ。良く来る患者も拾い食いしたのか?と訝しげに怪しんでいた。

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