戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第4部 溺れる愛

2-1【良い子は、もうやめる】

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 羽島港は漁業組合と提携しており、白波は無く予定通り船が出るようだ。早朝は近隣で朝市を開催しており、魚の串カツや地魚に地元野菜が並ぶ観光名所である。

 散骨に関しては、船舶をチャーターして所定の場所で無事に執り行えた。操縦を担当する漁業組合の船長の配慮で、ルイスも乗船することが許可されて安堵する。

 一般的に、散骨をする際は散骨予定場所の条例は事前に調べておく必要がある。散骨する物が細かく砕かれていない、散骨が条例上禁止されている場合、死体遺棄罪の疑いがかけられてしまう恐れもあるらしい。

 港町であるからか、意外に海洋散骨を希望する遺族も多かった。陽菜達の殺伐とした空気とは異なって、同情する遺族の顔は暗い。

 船に揺られて、市街地とは離れたポイントに到着した。骨壷はずしりと重く陽菜の腕に乗し掛かっている。これはお母さんの重みだ、と葬式場で田嶋家が参列者として現れた時、そんなことを言われた気がする。

 陳腐な言葉は、陽菜には刺さらない。

 じゃあ箒の端で殴られたり、狭い物置に閉じ込められたことはありますか?
 食事を抜かれて空腹の中、暗闇で膝を抱えて眠ったことは?

 人間は同じ立場にならなければ、己の物差しでしか物事を図らない。

 他人の痛みは自分に降り掛からないと、知る由もないからだ。

 ──ありがとう、もう二度と私と関わらないでください。お元気で、さようなら。

 呆気なく、白い粉末と化した骨が海に輝いて散らばる。涙と嗚咽の声が聴こえるのに、何処か他人事の様にも思える。

 同乗した他の遺族は六人で、ハンカチを両手に大粒の涙を流していた。肩を抱き合って、故人を労っている様子だ。

 それなのに、陽菜は何一つ流す涙が見付からなかった。

 悲しくも、無い。無が広がって、特にそれ以外の感情も無く船を降りたのである。

 陽菜が淡々と手続きを終えるのを、黙っている訳がなかった。終始口を閉ざしていた拓実は、唇をわなわなとさせ怒りを露わにしている。

「……母さんと永遠の別れをして、悲しくも無いのかよ?!」

 残った骨壷の処理をどうしようか考えていると。血も涙もない姉を持ったと言わんばかりな口調で陽菜を罵った。

「──別に……やっと、私から解放してくれたのかと思ったくらい」

 本音が、ぽろりと自然に溢れた。普段ならばそんなことないよ、私も悲しくてと涙ながらに語れるのに。
 嘘でも弟を悲しませたく無いと姉の務めを全うするはずなのに。何もする気に起きなかった。

 ルイスは一部始終を目に留めているので、何かあれば傷害事件にはならない。すんでで止めるからだ。

 港に向かうのは、ストレスの影響か胃が痛くて前日は眠れなかった。最賀が眠れぬ陽菜に寄り添って、あやしてくれたこともあって当日は平常心を保てていた。

 最賀は二人の言い争いを、ただルイスと共に見守っている。二人は軽く挨拶を交わして、日本語で会話をする。

「あれ? ドクターは乗らなかったの?」

「いや、俺はまだ身内じゃないので」

「まだってことは? いずれは? お義姉さんのフィアンセですよね?」

「アメリカンネイビーは口を挟まないでくれ」

「ドクターはバトル中、お義姉さんを止められる?」

「うーん、これは……姉弟喧嘩だな」

「僕は姉妹と弟がいたから四人姉妹弟の長男で、まあ仲裁は大変だったよなあー」

「長男坊なら尚更手伝って下さい……。弟さんのパートナーなら、特に!」




 ……なんて、二人のやり取りは、当事者である姉弟の耳に届いていない。




 拓実は一番言われて嫌なことばかり、古傷を的確に抉ってくる。幼少期、物置部屋に閉じ込められたことすら忘れているのであろう。陽菜が立派な悪者になっている。
 母の教えは急逝しても尚!絶大な影響力を持って刃へ生まれ変わったらしい。

 可愛くて、守りたくて、だから姉の使命を全うした。

 この小さな命を守れるなら、私と言う人間が犠牲になっても良い。

 そうやって、自己犠牲の名の下に弟を守ってきた。

「私がどんな思いで離れにいたと思う?! お母さんに愛されてきた拓実が、羨ましくて仕方が無くて!」

「母さんに愛されなかったのは俺の所為かよ?!」

 生き辛くて、何度も楽な死に方をインターネットで検索をした。ある花の毒は神経毒を持っているらしく、段々と意識を失って死に至らせる効能があるらしい。沢山の花を敷き詰めて死ねるなら、美しい自死であろう。

 暗闇の中、膝を抱えて爪を噛んで死を望む人間の気持ちを知らないくせに。いけしゃあしゃあと、口が回るのは母の血が色濃いのだろうか。

「誰も姉ちゃんに頼んでないわ!!」

「──嫌なことは全部私に押し付けたのに?」

 結婚も後継も、全部不都合なことは長女の山藤陽菜へ押し付けて。のうのうと温室で安全な場所で育った拓実には分からないだろう。

 安全地帯でぬくぬく育った、傷一つ無い弟が妬ましいと自覚したのは最賀と別れた頃だった。それでも、陽菜だけがこの呪縛を受け止めるべきだと自分に言い聞かせた。

 男だとか、女だとか、性別で物事が決定する人生なんて、おかしな話なのだ。恋人は生産性がない、と言い放った母に対して、殺意が芽生えたのはもう何度目だろうか。

 そんな陽菜にとっては悍ましい母の、攻撃性のある言葉から守ったのは間違いだったらしい。過保護だ、勝手にやったことだ。そう言われてしまえば、陽菜は姉の責務云々の土俵では無くなるのだ。

「此処に縛りつけたのは……拓実も一緒だよ」

「俺は悪くない、姉ちゃんは何だって出来て、俺は出来損ないだったんだから当然だろう?!」

「出来損ないじゃない。拓実は……、たった一人の私の弟なのに」

「じゃあ、なんで? 俺の生きづらさだって、姉ちゃんには分からねーよ!!」

 ──やっぱり、私って何処に行っても踏み台なんだ。

 誰かを踏み台にして地位を得る。足を掛けた時に、罪悪感や後悔に苛まれない人間こそ。真の普通な人間であり、社会に必要とされる人材。陽菜のような良心で心を揺らぐ様な弱者には無い、野心。

 全ては狡猾で、他人の痛みが分からぬ人間の敷く華麗な道の、風除けなのだ。



「母さんは愛し方が不器用なだけだった!」



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