上 下
110 / 156
第4部 溺れる愛

1-3

しおりを挟む




 鍵を掛け、扉の施錠をダブルチェックを行う。看板も玄関中へ収納したし、と指差し確認。小野寺を見送って、職員用の駐車場へ向かう。

「プロテクター……」

 いつも通りの定位置に、最賀は居た。既にフルフェイスのヘルメットを被っている。陽菜へプロテクターを着せてくれた。

 まだ夏が終わらない中でも、安全対策で着るのは頭では分かっているが、蒸し風呂状態だ。脱ぐのも大変だが、着るのも一苦労である。
 だが、最賀が何食わぬ顔で平然とテキパキ着るのを介助するので、今では諦めた。

「まあ……山藤さん専用なので、しっかり着込んで下さいな」

 ふ、と小さく目を細めて笑って見せる男の顔を見ると、必ず言うことを聞いてしまう。この柔らかく笑みを浮かべる顔に弱いのだ。陽菜は照れ隠しでヘルメットを深く被って誤魔化す。

「自転車二人乗りは流石に俺の足腰が死んでしまうので?」

「普段はあんなに……なのに」

 足腰が、と言う割には情交では容赦無いのである。セックスレスが世の中で問題視され、淡白な男性が増加傾向なのに。絶倫とはもしや、未知数なのかもしれない。

 陽菜の呟きは排気音で、上手く揉み消された。最賀には届かなかったのか、腰に掴まるよう促される。後ろに乗り、腰に腕を回す。広い背中が温かくて、この特等席は陽菜だけの物だと感じる。

 診療所からバイクで脇道を十分走ると、大きな看板が飛び込んできた。設立から四十五年、多くの人々の瞳に寄り添うと言うキャッチコピーと共に建つ地元民が愛用する眼鏡屋だ。

「ああ、これを機に遠近両用の眼鏡は如何でしょうか。鼻パッドは劣化してるので新しく替えておきます」

 遠近両用眼鏡とは遠くも近くも、はっきりと見える眼鏡のことだ。手元の携帯の字が見えづらい、だが運転中も眼鏡が無ければ難しい。眼鏡を使い分ける悩みを解消する事が可能な選択肢である。

 視力は年齢によって衰えるものだ。老眼と称せば所謂マイナスイメージに繋がる。老眼と認めたくない人々も実際は多く、名前の呼び方は近年変化しつつあると言う。

 店員が専用の機械で最賀のレンズを綺麗にし、鼻パッドを工具で替える。最賀は眉間を摘んで、溜息を漏らした。

「先生、今って……老眼って言わないのですね。知らなかったです」

「俺だって、最初分からなくてハッキリ言って下さいって詰め寄ったら老眼だと……まあ、柄にもなく凹みました」

「でも、四十歳で老眼の方、意外といらっしゃるらしいですよ?」

「老眼って言い方もイメージ悪く聴こえるから良く無いよなあ……。俺もついにデビューかって、項垂れた」

「老眼でも、先生は先生ですよ?」

 男の片目だけ陽菜にちらりと一瞥する。眼鏡を取ると意外にも色素の薄い双眸だと知った。店内の照明で明るく見えるのか。

「五年前と同じこと言われると、何だか俺は妙に自信を取り戻すな……あんまり俺を調子に乗らせないでくれ」

「ええ……そんな」

 返答に困惑していると、店員が新品の物に替えた眼鏡を持って戻って来た。耳の位置や、鼻の位置を隈無く確認する。問題無いことを最賀は伝えて、陽菜の視力を唐突に聞いてきた。

 暗闇で目を酷使した幼少期を送っているはずなのに、視力は両目共に1.5あるのだ。健康だけが取り柄、と胸を張ると背中を軽く指で最賀に叩かれる。

 無言の、反抗だった。

 への字のまま最賀は前を見据えており、張り合っている姿が子供っぽくて思わず噴き出した。

「アンタなあ……笑い過ぎだ」

「だって! 張り合うんですもの、私の視力と」

「アンタも歳取れば分かる。老眼デビューしたら隣で仲間入りを祝うぞ」

 ──それって、私が歳を取っても一緒にいてくれるってこと?

 言葉をごくんと飲み込んでしまう。本当は聞きたい。けれども、五年前の続きを歩み始めてからまだ日が浅いのだ。

 夕暮れ時に差し掛かり、真っ赤な太陽が沈もうとしている。反射した窓硝子がやけに眩く感じる。視線を外に向けた時、赤色の外国産の車が停まっていた。

 陽菜達が出て来ると、タイミング良く走り去った。ざわざわと、心が騒がしくなる。

 何故ならば、不自然であるからだ。赤色の高級車はこんな辺鄙な狭い道路の端にある眼鏡屋なんて立ち寄らない。

 ましてや、観光地とはかけ離れた場所である。芸能人や都心部に住む人が購入する別荘ならば、絶景が有名なのでエリアが異なる。

 盛り土が施され、高級別荘が立ち並ぶ場所は一等地なので、門も備えられている。その為、陽菜が住む美沢には真っ赤な高級車はほぼ通らないのだ。

「……先生、赤い車」

「赤?確かにさっきまで停まってたな。俺達が来てから、暫くいたかもしれないが……」

「……いえ、気のせいと言うか……気にし過ぎですかね」





***





 外来で理事長と理事長の娘が男と一緒にいるところを見掛ける。甘い香り、ハイヒール、滑らかな髪。

 ──私も、ああいう香水つけたら良いのかな。

 院内で見掛ける、可憐な女性は最賀の隣に相応しいと噂の令嬢だ。背伸びをしていた頃、陽菜は大人びたくて香水のカタログを開く。

「わ、たしも香水つけようかなと」

「ふーん、何にするか決めたのか。別にアンタ、無くても良い香りするぞ」

「柔軟剤ですもん……」

「分かった、分かったって。俺が選んでやる。独断と偏見で」

「……甘く、ないかんじ」

「アンタ顔が甘ったるいんだから、これくらいが丁度良いんだよ」



 休診日は何かと、片付けるべき用事が多い。

 溜まった洗濯物、冷蔵庫の残り物、部屋の掃除。離れの使い古した年季物の冷蔵庫や、着古した毛布を全て処分をする。軽トラックをレンタルして、大掛かりな物は弟のパートナーが仕事の合間に積んでくれた。

 冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器。陽菜が中古屋で購入し、大事に使ってきた物だ。母家にいることが多く、陽菜は家を引き払う為にも整理を進めていた。

 最賀の家に何度か泊まるようになったが、家を長く空けるのは得策では無い。家主が不在にする頻度が高いと、空き巣に入る不届き者も存在するからだ。

 ──あーあ……箕輪さんも莉亜さんも最近忙しいからなあ。

 箕輪は第二子を出産してから、父親が急な単身赴任でワンオペ育児の状態だった。ワンオペ、とはワンオペレーションの略称で家事や育児を一人でこなすことを指す。

 幸いにも実家は近隣の為、家族に応援要請を時折している。そんな話をビデオ電話で、リモート飲み会をした時に溢していた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

彼氏の前でどんどんスカートがめくれていく

ヘロディア
恋愛
初めて彼氏をデートに誘った主人公。衣装もバッチリ、メイクもバッチリとしたところだったが、彼女を屈辱的な出来事が襲うー

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔

白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます​─​──​。 私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。 同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが…… この生活に果たして救いはあるのか。 ※サムネにAI生成画像を使用しています

【R18】十六歳の誕生日、許嫁のハイスペお兄さんを私から解放します。

どん丸
恋愛
菖蒲(あやめ)にはイケメンで優しくて、将来を確約されている年上のかっこいい許嫁がいる。一方菖蒲は特別なことは何もないごく普通の高校生。許嫁に恋をしてしまった菖蒲は、許嫁の為に、十六歳の誕生日に彼を自分から解放することを決める。 婚約破棄ならぬ許嫁解消。 外面爽やか内面激重お兄さんのヤンデレっぷりを知らないヒロインが地雷原の上をタップダンスする話です。 ※成人男性が未成年女性を無理矢理手込めにします。 R18はマーク付きのみ。

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~

taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。 お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥ えっちめシーンの話には♥マークを付けています。 ミックスド★バスの第5弾です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...