戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第4部 溺れる愛

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 鍵を掛け、扉の施錠をダブルチェックを行う。看板も玄関中へ収納したし、と指差し確認。小野寺を見送って、職員用の駐車場へ向かう。

「プロテクター……」

 いつも通りの定位置に、最賀は居た。既にフルフェイスのヘルメットを被っている。陽菜へプロテクターを着せてくれた。

 まだ夏が終わらない中でも、安全対策で着るのは頭では分かっているが、蒸し風呂状態だ。脱ぐのも大変だが、着るのも一苦労である。
 だが、最賀が何食わぬ顔で平然とテキパキ着るのを介助するので、今では諦めた。

「まあ……山藤さん専用なので、しっかり着込んで下さいな」

 ふ、と小さく目を細めて笑って見せる男の顔を見ると、必ず言うことを聞いてしまう。この柔らかく笑みを浮かべる顔に弱いのだ。陽菜は照れ隠しでヘルメットを深く被って誤魔化す。

「自転車二人乗りは流石に俺の足腰が死んでしまうので?」

「普段はあんなに……なのに」

 足腰が、と言う割には情交では容赦無いのである。セックスレスが世の中で問題視され、淡白な男性が増加傾向なのに。絶倫とはもしや、未知数なのかもしれない。

 陽菜の呟きは排気音で、上手く揉み消された。最賀には届かなかったのか、腰に掴まるよう促される。後ろに乗り、腰に腕を回す。広い背中が温かくて、この特等席は陽菜だけの物だと感じる。

 診療所からバイクで脇道を十分走ると、大きな看板が飛び込んできた。設立から四十五年、多くの人々の瞳に寄り添うと言うキャッチコピーと共に建つ地元民が愛用する眼鏡屋だ。

「ああ、これを機に遠近両用の眼鏡は如何でしょうか。鼻パッドは劣化してるので新しく替えておきます」

 遠近両用眼鏡とは遠くも近くも、はっきりと見える眼鏡のことだ。手元の携帯の字が見えづらい、だが運転中も眼鏡が無ければ難しい。眼鏡を使い分ける悩みを解消する事が可能な選択肢である。

 視力は年齢によって衰えるものだ。老眼と称せば所謂マイナスイメージに繋がる。老眼と認めたくない人々も実際は多く、名前の呼び方は近年変化しつつあると言う。

 店員が専用の機械で最賀のレンズを綺麗にし、鼻パッドを工具で替える。最賀は眉間を摘んで、溜息を漏らした。

「先生、今って……老眼って言わないのですね。知らなかったです」

「俺だって、最初分からなくてハッキリ言って下さいって詰め寄ったら老眼だと……まあ、柄にもなく凹みました」

「でも、四十歳で老眼の方、意外といらっしゃるらしいですよ?」

「老眼って言い方もイメージ悪く聴こえるから良く無いよなあ……。俺もついにデビューかって、項垂れた」

「老眼でも、先生は先生ですよ?」

 男の片目だけ陽菜にちらりと一瞥する。眼鏡を取ると意外にも色素の薄い双眸だと知った。店内の照明で明るく見えるのか。

「五年前と同じこと言われると、何だか俺は妙に自信を取り戻すな……あんまり俺を調子に乗らせないでくれ」

「ええ……そんな」

 返答に困惑していると、店員が新品の物に替えた眼鏡を持って戻って来た。耳の位置や、鼻の位置を隈無く確認する。問題無いことを最賀は伝えて、陽菜の視力を唐突に聞いてきた。

 暗闇で目を酷使した幼少期を送っているはずなのに、視力は両目共に1.5あるのだ。健康だけが取り柄、と胸を張ると背中を軽く指で最賀に叩かれる。

 無言の、反抗だった。

 への字のまま最賀は前を見据えており、張り合っている姿が子供っぽくて思わず噴き出した。

「アンタなあ……笑い過ぎだ」

「だって! 張り合うんですもの、私の視力と」

「アンタも歳取れば分かる。老眼デビューしたら隣で仲間入りを祝うぞ」

 ──それって、私が歳を取っても一緒にいてくれるってこと?

 言葉をごくんと飲み込んでしまう。本当は聞きたい。けれども、五年前の続きを歩み始めてからまだ日が浅いのだ。

 夕暮れ時に差し掛かり、真っ赤な太陽が沈もうとしている。反射した窓硝子がやけに眩く感じる。視線を外に向けた時、赤色の外国産の車が停まっていた。

 陽菜達が出て来ると、タイミング良く走り去った。ざわざわと、心が騒がしくなる。

 何故ならば、不自然であるからだ。赤色の高級車はこんな辺鄙な狭い道路の端にある眼鏡屋なんて立ち寄らない。

 ましてや、観光地とはかけ離れた場所である。芸能人や都心部に住む人が購入する別荘ならば、絶景が有名なのでエリアが異なる。

 盛り土が施され、高級別荘が立ち並ぶ場所は一等地なので、門も備えられている。その為、陽菜が住む美沢には真っ赤な高級車はほぼ通らないのだ。

「……先生、赤い車」

「赤?確かにさっきまで停まってたな。俺達が来てから、暫くいたかもしれないが……」

「……いえ、気のせいと言うか……気にし過ぎですかね」





***





 外来で理事長と理事長の娘が男と一緒にいるところを見掛ける。甘い香り、ハイヒール、滑らかな髪。

 ──私も、ああいう香水つけたら良いのかな。

 院内で見掛ける、可憐な女性は最賀の隣に相応しいと噂の令嬢だ。背伸びをしていた頃、陽菜は大人びたくて香水のカタログを開く。

「わ、たしも香水つけようかなと」

「ふーん、何にするか決めたのか。別にアンタ、無くても良い香りするぞ」

「柔軟剤ですもん……」

「分かった、分かったって。俺が選んでやる。独断と偏見で」

「……甘く、ないかんじ」

「アンタ顔が甘ったるいんだから、これくらいが丁度良いんだよ」



 休診日は何かと、片付けるべき用事が多い。

 溜まった洗濯物、冷蔵庫の残り物、部屋の掃除。離れの使い古した年季物の冷蔵庫や、着古した毛布を全て処分をする。軽トラックをレンタルして、大掛かりな物は弟のパートナーが仕事の合間に積んでくれた。

 冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器。陽菜が中古屋で購入し、大事に使ってきた物だ。母家にいることが多く、陽菜は家を引き払う為にも整理を進めていた。

 最賀の家に何度か泊まるようになったが、家を長く空けるのは得策では無い。家主が不在にする頻度が高いと、空き巣に入る不届き者も存在するからだ。

 ──あーあ……箕輪さんも莉亜さんも最近忙しいからなあ。

 箕輪は第二子を出産してから、父親が急な単身赴任でワンオペ育児の状態だった。ワンオペ、とはワンオペレーションの略称で家事や育児を一人でこなすことを指す。

 幸いにも実家は近隣の為、家族に応援要請を時折している。そんな話をビデオ電話で、リモート飲み会をした時に溢していた。



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