戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第3部 あの恋の続きを始める

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 カードケースにリボンが入っていた、とは早坂から聞いていた。疑念を抱くことは無いが、事実だと知って胸を撫で下ろした。

「と言うか……飯田先生の所、呼んだのまずかったか?」

 飯田先生が一番に提案したのだと言う。呼んであげたら?と。二人の内緒話を最賀から打ち明けられる。
 かかりつけ医であることは、就任初日から知っていたらしい。それは、元要注意患者であるからだろうが。

 勧誘は強引だった、と最賀は指で頬を掻いた。

「陽菜は充分過ぎるくらいに、頑張っている。陽菜の努力も、強さもアンタの周りの人達は見ているんだから。胸を張りなさい」

 真剣な眼差しだ。最賀は曇り無き眼で陽菜を鼓舞する。いつだって陽菜の味方で、最愛の男である。

 陽菜のやり残したことと言えば、田嶋のストーキング行為をやめさせること。出来れば円滑、和解に。決して陽菜が悪い訳ではない。

 ただ、危害を加える可能性があるからだ。地元の人間だと声高に盾にして、陽菜を陥れたり周囲を巻き込む。あの男なら企ててもおかしくはない。

 次に、母の散骨である。一筋縄ではいかないだろう。わだかまりはあるが、たった一人の母親だ。親族が眠る墓に埋骨したい方針かもしれない。陽菜は二度とあの墓地に足を運びたいとは思わないが。

 実家を売却するのも、恐らく憤怒して喧嘩は避けられないはずだ。
 けれども、実家の権利書は長女の陽菜にある。

「……最後まで、やり残してあることがあって」

「うん、俺が何か手伝えることは?」

「海岸まで着いてきてほしい……です。あと、多分喧嘩するので、傷だらけになったら介抱……とか?」

「決闘でもするのか?」

 最賀には陽菜が見えない暗黒な敵と戦う姿が想像されているのか。余りの衝撃に噴き出してしまう。

 確かに、弟の拓実は散骨については賛同しないだろう。最愛の母を海の藻屑と共にばら撒くなんて、と。陽菜は思う。

 あの人は自由に、そして己にも忠実に生きたはずだ。

 誰かに縛られることを嫌い、己の信念に従って。自分勝手と外野が指を差したとしても、その生き様は変えられない。それが魂に刻み込まれた信念ならば。

 陽菜は良い意味でも悪い意味だろうと、自由に生きた一人の女性の終着点に相応しいと思っている。遺書には特段指示が無かった。面倒事は長女に任せる、それがあの人の答えなのだから。

「決闘……ッ! あは……まあ、そうなるかもしれません。でもこれだけは譲りたくないんです」

 陽菜の精神がぶっ壊れてもおかしくは無い状況。そんなこと、二十年前から刻まれている。

 あの人は最期まで陽菜を愛していないことだけは。

 愛情飢餓で雛の刷り込みで、この男に執着していると言われようが、心底どうだって良い。
 他人には見えぬ、形無い物が陽菜を構築している。最賀忠は善良なる男で、言葉を交わしたあの日から。

「後悔だけはしたくない……ので」

「分かった、応援する。俺は救急箱セットを持って、アンタの背後に立って睨みを効かせてやる」

 じろりと下から睨み付ける相貌は、悪人である。笑わない医者と呼ばれる由来すら想像させる。

 本人は至って真面目で、鋭さを増した瞳を指で人工的により吊り上げている。
 陽菜はお腹を抱えて笑った。恐らく今年一番に大きな声で。

「──じゃあ、もう……忠さんのこと、好きでいて、良いんですね」

「俺は隠すの上手かったんだけどなあ。アンタのこと好き過ぎて多分ダダ漏れになってる」

 普段の最賀は男の色香を感じる。気怠そうに新聞を読む姿や、眼鏡の奥に隠れた眼光すら色情を抱かせる。
 けれども、最賀は隠すのが上手いのだ。相手に感情を読み取らせないし、何ならカモフラージュする。

 陽菜と言えば、今では表情筋が解れてしまい喜怒哀楽が著明に出てしまう。三条と口論になった時も負けじと引かなかったし、頑固な一面があるとすら知ったくらいだ。
 特に最賀へ募らせる想いはヘビー級である。恋はなんて重苦しく甘いのだろうか。

 他愛も無い話は弾んだ。二人の間にあった五年の溝はあっさりと、埋まった。怖いもの無しくらいな勢いで、明け透けに。下手したら、誰よりも陽菜のことを知り尽くしただろう。

 最賀は片手にグラスを時折傾けながら、相変わらず目尻に皺を刻んで笑った。早坂を突き飛ばした経緯すら、最早笑い話である。正直、良く叱責されなかったなとすら思うが。

 そうして、二人は思ったよりも酒が進んだ。日本酒のスパークリングを交わして、不意に最賀は立ち上がると。襖を開けて何かを持って来る。

 陽菜に白く美しい箱を差し出した。ジュエリーボックスなのか、三段くらいの大きさだ。
 開けると沢山のリボンや髪留めが煌めいている。ビジューや上質な刺繍が施され、まるで宝石の宝庫だ。ぽかんと口を開いたまま固まっていると、最賀は口籠もりながら言う。

「リボン見ると、アンタにこれ似合いそうだとか思って、何か抑え切れず買ってしまって……」

 青や紫、赤にピンクとキャンパスが広がっている。一つ一つ手作業なのか、作り手の繊細さが物語る。

「五年分、とか重いよな? だよな? 俺もそうおも……」

「思わない、です」

 最賀の声に被せてしまう。重くなんかない、と反射的に否定する。

 陽菜は泣き出しそうになるのを堪えた。眦に涙が溜まって、落ちてしまいそうだ。嬉しさのあまり、唇が震える。

「嬉しい……」

「それは……良かった。気持ち悪いとか言われたら、立ち直れないだろう」

「どうしてですか? 私、忠さんが好きなお笑い芸人さんのDVD、初期の物から集めてましたもん。お互い様です」

 携帯の画像を最賀に見せる。自宅には棚にびっしりと収納されたDVDだ。最賀が応援しているお笑い芸人のワンマンライブ、コント王者決定戦等の物である。

 地道にコツコツと収集し、友人達に協力要請。五年分は部屋の一部を占めたが、いつかを夢見て良かったと思う。




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