戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第3部 あの恋の続きを始める

8-6

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 ただ、素晴らしい縁談を破断にした傷物の娘だと噂が立ってからは、ある意味清々しかったくらいだ。

 結婚や跡取り等陽菜を縛る物から解放される。普通じゃない弟には跡取りは望めない、なんて後付けにされた立場としては複雑ではあったが。

 母の呪縛から解かれるまで、五年の間は仕事と介護に明け暮れていた。不穏状態に陥った際は、病院のスタッフへ暴力を振るってしまった報告を聞いては飛んで行った。

 陽菜は身体抑制の同意書を記入し、夜間はミトン着用についても同意した。医療スタッフへの安全確保は勿論のこと、患者の生命や身体的保護にも繋がる。
 この頃はベッド柵を乗り越え転倒・転落の危険性も出現したことから、病院側から提示されたのである。

「私、介護と仕事しか、してこなかった」

 輝かしい二十代をほぼ身内の弊害に費やして、陽菜は自分自身について話せることはあまり無かった。

 大量のリネン回収に加えて洗濯。罵声を浴びさせた上に引っ掻いたりする度に菓子折りを持って行き。
 己の罪悪感と倫理観、そして憎悪と折り合いを付けるには若過ぎたのである。

「あはは、すみません、あんまり中身無いんです本当は……」

 陽菜はぼんやりと体の芯が冷めていくのを感じた。
 湯船には湯気で溢れ返っているのに、まるで吹雪に当てられて凍ってしまった気分になる。

 同年代の人達が、愛情たっぷり注がれ過保護だと叫んだり。お洒落して、新しい洋服を買ったり、テレビで取り上げられたカメラ映えするデザートを食べる。

 仕送りを貰って、親の監視が怠いとボヤく中で一人で生きる。理不尽だ、とは思わない。全ての悪が陽菜に降り掛かっただけだ。

 時折、全てが憎くて心が荒むことがあった。それは事実だ。恵まれている普通の人が、羨ましかったからだ。

 その羨望に気付き、受け止められたのは此処一年くらいの出来事だったので、己の心の狭量さに嘆いた。
 それでも、そんな陽菜も、自分であると受け入れ前に進もうとしている。最賀との約束があったからだ。

「……陽菜。おいで、体拭いてやるから」

 最賀が逆上せそうな陽菜の腕を掴んで立ち上がった。先に陽菜の体を丹念に拭いてくれ、用意されていた陽菜の浴衣を着せてくれる。
 髪をふかふかのバスタオルで水気を取り、ドライヤーまで丁寧に施す。最賀は何か言いたげだったが、短く陽菜に尋ねた。

「──今日、少し話さないか」



 きっとこの夜、何かが変わる。陽菜は最賀の神妙な表情にそう悟った。






「──アンタのリボン、ずっと持ち歩いて……た」

 静寂な空気を打ち破ったのは最賀だった。

 関の浴衣を簡易的に身に纏って、膝を抱える陽菜を背後から抱き締めたままポツポツと話し始める。
 白いリボンは、あの逃避行の最後の日。陽菜が最賀に渡した物だった。五年の月日を経たリボンは繊維が解けて、古寂びた物に変わっていた。

「あの後、俺は無理矢理言い包められていた婚約を頭下げて破棄しに行ったよ」

 最賀は理事長の娘と婚約破棄を正式にしたと言う。元々はでっち上げで、婚約者である手代森英世が最賀を個人的に気に入ったことが拍車をかけたらしい。

 最賀は頑なに何度も断りを入れたが、理事長の面子の手前、強くは言い出せない。縦社会の頂点に君臨した男には意見すら述べる資格すらないからだ。

 医者として、キャリアを積むのなら権力者とも言える理事長へ媚び諂うのが王道だ。上を目指す人間は、糧を得て踏み台にすべきである。

 それこそ、古風な政略結婚も視野に入れるのも戦略の一つとも言えよう。

「理事長は分かってくれたんだが、世間体があって……まあ、見事に辺境地の系列病院に異動になり、劣悪環境のブラック病院で血吐くまで働いていた」

 結果として、最賀はキャリアを捨てることになり異動ではあるが会社で言う左遷扱いとなった。労働条件に加えて勤務環境は酷く、職員からの冷たい視線の中過ごす。

 毎日退勤後に緊急の招集を掛けられ駆り出されては、処置の介助すら入ってもらえず孤独を生きて。伸び切ったラーメンが懐かしく思えるくらい、食生活も生きる為の流動食になる。

 簡単に、迅速に補給出来るから味や形状なんて関係無い。ただ、栄養素を経口摂取するだけ、マシなのだと。

「ドクターストップがかかっても、仕事は山積みで、過労死が頭にチラついて」

 次第に、体は悲鳴を上げていく。幾らストレス社会に加えて休暇無し同然の働きを求められたとしても、命のやり取りを日常に落とし込む。そんな生活は体が拒絶したのである。

「そんな時にオーベンの、ええと俺の指導医だった飯田先生が会いに来てくれたんだよ」

 最賀が飯田診療所に勤めている理由が漸く分かった。弟子同然に可愛がっていた後輩がボロ雑巾同様の扱いを受けているのだ。辺鄙な田舎の土地へ引き抜くのも、相当覚悟も必要である。

 聞くと、前の家主と話を付けて最賀にあてがったのも、飯田先生らしい。
 抜かり無く、飯田診療所の後継者として迎える方針だと窺える。手厚い補助で外堀から囲えば、恩を仇で返すような人間でない最賀は定住するのだから。

 幼少期から知るかかりつけ医であるが、やっぱり年の功なのか策士だ。

「葬式の日、アンタはポツンと独りだった。一人で踏ん張って、あんな辛いことを背負わせてしまって……大人のやるべきことじゃなかったのに」

「……忠さん、は」

「あの御令嬢さんとは、何もありません」

 びくり、と陽菜は萎縮した。聞きたくはなかった訳では無いが、何となく避けた話題だった。最賀の婚約者として君臨した美しい御令嬢はお似合いな二人だったから。

「あの頃は立場的に言えなかったが、勝手に付き纏われて、別に二人きりで食事とかそんなことは一切無い」

 理事長と三人で食事は一度だけ、知らずに連れて来られてあったが、と付け加えられる。二人きりになるのをとことん避けたようだ。

 陽菜は浴衣をぎゅうと服の裾を掴んで、不安な気持ちを隠そうとする。震える声を振り絞って、本心でぶつかることで、払拭したかった。

「他の人……とか」

「これ見よがしに女性物のリボン持ち歩いた挙句、好きな子の物とか言ったら皆んな気味悪がってヤバい趣味に走っている医者になっていたぞ」


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