戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第3部 あの恋の続きを始める

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「悪い、向かいの羽島市民まで救急車乗って行くから」

 救急隊と共に最賀は足早にさっと居なくなった。怒涛の急変対応だった。陽菜は座り込みそうになる。疲労が一気に押し寄せて、立ち眩みを起こしそうだ。

「おい、凄いじゃん姉ちゃんよお」

「山藤ちゃんの初動が早かったから、助かったのよ」

 実は、陽菜はBLS (Basic Life Supportの略称。心肺停止や呼吸停止に対する一次救命処置を指す)を取得していた。
 五年前、熱性痙攣で倒れた子供の前で何も出来ずに指示待ちをしていた苦い経験を、どうにかしたかったのだ。

 偶々、桃原から勉強になるよと勧められたのがBLSであった。特に国際メディカルセンターでは様々な患者が来院していた。

 検査中、患者に重篤なアレルギーが発生した場合は適切な処置が必要となる。呼吸苦や全身の蕁麻疹、嘔吐等様々なことが起こり、陽菜も実際看護師と医者に混じって対応をした経験も少なくともあった。
 主にその頃は救急カートを運び、記録を残す係だったが。 

 最初は吃驚して体が萎縮し、何も出来ないことも正直あった。手が震えて、呼吸が荒くなり緊張し思うように動かなかったことも。

 その度に、現場で対処する桃原や箕輪、早坂から落ち着け、目の前のことだけに集中。と叱責では無く、諭されたのである。
 怒りだけでコントロールは、現場で最大限のパフォーマンスが出来ないことを、彼等は知っていたのだ。

「……いえ、私は何も。胸骨圧迫、何度やっても緊張しますね」

「某子供向けアニメの主題歌のテンポでやると、タイミング良く出来るわよ。誰だって、目の前で人が倒れたら怖いし。私も焦ったから」

 頭の中でメロディーが流れるものの、指示の声の方が大音量と極度の緊張で掻き消されてしまう。
 そんな時は、とにかく冷静に、焦らず指示通り対応することが先決だ。焦ったところで患者の息は吹き返らない。

「それにしても最賀先生、飄々としてたから流石よね」

「そうですね、先生と小野寺さんや皆さんがいて心強かったです」

「私もBLSの更新、疎かにしてたから今度受講しようかしら。念の為ね、あと三条君強制参加させるわ」

 循環器内科では心不全の兆候や、微かな異変等を如何に早く察知するのも、早期発見・早期治療に直結する。心臓が何か不調があり、最悪停止すれば生命に関わる臓器だからだ。

 心臓のポンプ機能が失ったままであれば、例え危機を乗り越えたとしても後遺症がついて回るからだ。酸素不足が続いた場合、脳へのダメージは大きく、麻痺や言語障害を引き起こすリスクがある。

 だから、普段の食事療法や血圧コントロール、運動等生活習慣へのアプローチが重大であるのだ。内服薬は勿論重要だが、周囲と本人の意識を変えていくのも治療の効果を上げることも大切だった。

 薬の飲み忘れや暴飲暴食、運動不足にストレス過多と日常に潜む治療の妨げを少しずつ除去。そして、より良い生活を送るサポートをする。指導も、治療の一つなのだ。


 最賀が搬送先の羽島市民病院から戻って来るまでは、診察がストップしていることを患者に説明したりと患者対応に追われた。
 幸い、月一回の定期的に受診をする顔馴染みの患者ばかりだったので、各々新聞を読んだり時間を潰していた。

「うわあ、明日……私の腕は筋肉痛だ……」

 時間外労働を二時間して、すっかり日は暮れて静けさが増す。二十時まで普段残業するのは少ないので、新鮮だった。
 レジ締めをしながら、疲労が蓄積した腕の重みを感じて陽菜は呟いた。

「それは否定出来ないわね」

 休診日を跨いでの木曜日の、再来予定患者のカルテチェックや検査の予約スケジュールを小野寺が手伝ってくれた。
 パソコンでID検索し、カルテを分別しながらカルテボックスや倉庫へ探しに行く作業もだ。小野寺はキーボードを叩き、付箋を貼りながらふとこんなことを尋ねてきた。

「ローテーションでやるの、良く知ってたわね?」

「あはは……パフォーマンス悪くなる、さっさと代われ馬鹿、いや、何で勝手に止めるんだよ死にたいのか! って前の職場で鍛えられた……と言うか」

「す、凄い所から来たわね……」

「でも、それも糧になったと言うか。感謝しか無いです、チーム医療の大切さを改めて学びましたから」

 早坂と桃原のコンビネーションを習得するには、陽菜はまだ未熟だ。
 だが、何度も経験し実践を繰り返した陽菜は五年前とは遥かに成長を感じ取った。
 ただ立ち尽くして何も出来ず、無力感に駆られることはもう無いのだ。一人の医療従事者として、チームとして陽菜は現場に参加している。

 漸くレジの集計が完了し、チェックリストと帳簿に記載を終えて鍵閉めをする。ロッカーで小野寺がコソッとミルクチョコレートをくれたので、口の中は円やかな甘さで広がった。疲れでギシギシと関節が軋む中で、糖分はより体に沁みるのだ。

「じゃあ、先生! 山藤ちゃん途中までお願いしますね! 此処街灯くらいから」

 小野寺はにやにやと悪い笑みを浮かべて、二人を置き去りにした。軽自動車で通勤をしているらしい。クラクションを鳴らして、ツートンカラーの車は走り去って行った。

 副院長である最賀は最後まで残る必要は本来無い。鍵閉めはスタッフの役割であるからだ。ただ、搬送した後の記録やらで疲労は増している。

「明日は休診だから……」

 言葉は少ない。

 けれども、帰路は一緒であることを陽菜は指先から感じ取った。

 最賀の家には二度目となる。相変わらずバイクに乗る時はフルフェイスのヘルメットに肘当てと膝当てに暑苦しいレザー調のツナギを着させられる。事故を貰っても、負傷を軽減させる物だからと安全の為に義務付けられていた。

 凸凹道の農道を通り過ぎて、平家が見える。手書きの紙で表札を出していたが、どうやら注文したらしい。最賀と言う、手彫りの表札が真新しい。

 敷地内に入ると、最賀はヘルメットを取った。陽菜が先に降りられる様に、手を差し出してくれる。スマートな心遣いに、ぐっと心が掴まれた。



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