上 下
100 / 156
第3部 あの恋の続きを始める

8-1【夜明けは必ずやって来る】

しおりを挟む






「心窩部の痛み……ですか。はあ、なるほど」

「念の為、血液検査と超音波もしましょうか」

 最賀の気怠げな口振りを真似しつつ、陽菜へ愚痴を溢す三条は暇さえあれば陽菜にちょっかいを出して来る。

「俺、似てね?」

「似てません。断じて。仕事して下さいますか?」

「はあー? カルテ持って来てやったのに?!」

「検査が終われば会計にカルテ流すのは普通です」

「可愛くねーなお前! 女なら、ニコニコ愛想振り撒けよ」

「嫌です」

「カーーッ!!」

 試用期間が過ぎて、やっと陽菜は職員の一員として正式に迎えられてからは怒涛の外来診療をこなしていた。

 月の初めはレセプトで忙しなくキーボードを叩きながら印刷した患者情報の保険証番号や入力情報のチェックも兼ねて、捌く。いっそのこと、全自動マシンにでも成り果てたかったくらいだ。

 三条とは、カルテ事件からは付かず離れずの距離感であった。陽菜が言い返すタイプの女であることを理解したらしく、時折姑息な意地悪はあるものの、この一週間は静かだ。
 何を企んでいるかは不明だが、陽菜は此処ぞとばかりに畳み掛けたいと逆に攻め時を見計らっている。

「たかが痛みの訴えでエコー依頼アホみたいに入れてくるのやめて欲しいわ。こっちにも都合があんのに」

「三条さんのお仕事ぶりを信頼してらっしゃるから安心してオーダー飛ばしてるのでは?」

「はあ? 忙しいの、俺は!」

「忙しいのは他の方も同じです。見て下さい、小野寺さん。汗だくです」

 小野寺は首にタオルを巻いて、汗を何度も拭っている。空調はしっかり効いているはずだが、他の要因もあるのだろう。更年期症状として、顔が特に熱く感じて汗が止まらないのかもしれない。

「ホットフラッシュでもなってんじゃね?」
 ※ホットフラッシュ=上半身がのぼせたり、汗が止まらない症状のこと。更年期障害の代表的症状でもある。

「な?! 最低ッ、デリカシー無い方!」

「はあ? お前何偉そうなこと言ってんだよ! この減らず口はこうしてやるッ」

「な、なにひゅんですかぁ!」

 陽菜は頬を急に三条の厚みのある手で引っ張られた。腹が立ったので、陽菜もやり返す。ぐん、と頬を横に引くと、意外にも伸びる。面白くてどれだけ伸びるか試したくて、加減しながら引っ張った。

「あっ、馬鹿ッ、俺のほっぺ伸び……何す……」

「このっ、お餅みたいに伸びて仕舞えば良いです!」

「えーと……仲良く……なったのかしら?」

『仲良くなってません!』

 小野寺が呆れた声で、陽菜達の引っ張り合いを見詰めた。声が三条とハモるなんて、正直迷惑以外無い。仲良しとは言い難い関係であるのに、変な誤解を招かれるのは避けたかった。

「あんまり山藤ちゃん虐めないでよ。待望のジモピーの事務ちゃんなんだし」

 ジモピーとは、地元民であることを指す。

「地元民?」

「私、地元! ですから!」

 ふーふーと、息を荒げて威嚇する小型犬ばりの警戒心で陽菜は三条の手を振り解いて睨み付ける。

「──何処?」

「……美沢です、が」

「マジ? 俺は通研近く。車で来てる」

「え? あのT字路で地方ナンバーが寄らずに信号変わる所?」

「ガチの地元民じゃん……」

「何なら飯田先生のお住まいも存じ上げてますから……最初に私、地元だって申し上げました」

「え? 知らんわ」

「やっぱり、三条さん……苦手です」

 陽菜がそっぽを向くと、一つに結いた髪が揺れる。今日の髪留めはダークネイビーのレースで編まれたシュシュだ。ビーズやビジューは引っ掛けたりして散らばると危ないので、飾りは最小限だ。
 シュシュは髪を団子にする時にも適しているので、最近は特に重宝している。

「話聞かない男はモテないわよ、だからフラれるんじゃない。車いじりが好きな男は自分語りばっかりだし」

「小野寺さん、古傷抉るの得意技?」

「カルテ……あれ? 何かあったか?」

 受付に三人で集合していたので、話し声に呼び寄せられたのか最賀が様子を見に来る。

 長めの丈の白衣は、リネン類と一緒に業者へ出した物だ。戻ってきた物は皺一つなく綺麗なので、直ぐに分かる。
 ラックに掛けたまま忘れてしまうらしく、偶に陽菜がランドリーボックスへ入れて、新しい物を用意しているのだ。

「えーと、あ……先生、この間はご馳走様でした」

 つい先日、陽菜の歓迎会があった。地元の漁業組合が経営する小ぢんまりとした飲食店で、診療所の職員全員が集まる。陽菜は歓迎されるなんて、正直驚いた。

 なんたって、新人はお荷物であるのだから。地元民が入職してくれるなんて、願ったり叶ったりだから大目に見られているかもしれないが。

 意外だったが、最賀が陽菜にはもを御馳走したくて吟味し選び抜いた店らしい。小野寺が声高々に吹聴するので、最賀がじろりと睨み付けていたのを覚えている。

 ふっくらとした身の鱧は湯引きされており、梅味噌で食べるのが好きだと言う。わさび醤油か柚子胡椒でしょうと小野寺に食ってかかられると、たじたじな様子で箸置きを紙で折りながら言い返す。関西方面出身なのだから、大目に見てくれ、と。

 郷に入れば郷に従え。小野寺はまず陽菜にわさび醤油を勧める。
 年功序列には逆らえない。その圧に気圧され、陽菜は小野寺の指示を優先した。

 隣で見守る最賀の瞳には薄らと哀愁漂うものを感じだが、心の中で謝るしかなかった。

「いやあ本当に山藤さん来てくれなかったら派遣さん入れて回すところだったのよ。ほら、うち辺鄙な所にあるし……」

 美沢にある飯田診療所はバス便なので、求人を出しても通勤時間がネックである。その為、人材確保は困難極まりないのが現状だ。

 そして診療所は少ないスタッフで、限られた時間内に来院した患者をとにかく回してナンボである。子育て中のパートタイマーの事務員が、急に病欠で休むことも屡々ある。

 事務一人では到底こなせないと、電話を置いた時途方に暮れたこともあった。だが、小野寺は受付業務や電話対応も手伝ってくれるので、本当に感謝しか無い。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

彼氏の前でどんどんスカートがめくれていく

ヘロディア
恋愛
初めて彼氏をデートに誘った主人公。衣装もバッチリ、メイクもバッチリとしたところだったが、彼女を屈辱的な出来事が襲うー

【R-18】私を乱す彼の指~お隣のイケメンマッサージ師くんに溺愛されています~【完結】

衣草 薫
恋愛
朋美が酔った勢いで注文した吸うタイプのアダルトグッズが、お隣の爽やかイケメン蓮の部屋に誤配されて大ピンチ。 でも蓮はそれを肩こり用のマッサージ器だと誤解して、マッサージ器を落として壊してしまったお詫びに朋美の肩をマッサージしたいと申し出る。 実は蓮は幼少期に朋美に恋して彼女を忘れられず、大人になって朋美を探し出してお隣に引っ越してきたのだった。 マッサージ師である蓮は大好きな朋美の体を施術と称して愛撫し、過去のトラウマから男性恐怖症であった朋美も蓮を相手に恐怖症を克服していくが……。 セックスシーンには※、 ハレンチなシーンには☆をつけています。

若妻シリーズ

笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。 気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。 乳首責め/クリ責め/潮吹き ※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様 ※使用画像/SplitShire様

【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎ ——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。 ※連載当時のものです。

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

私を犯してください♡ 爽やかイケメンに狂う人妻

花野りら
恋愛
人妻がじわじわと乱れていくのは必読です♡

処理中です...