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第3部 あの恋の続きを始める

7-1【五年前の続きを始めたら駄目ですか】

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「最賀先生、若い姉ちゃん来てくれて良かったじゃねーか! 目の保養だよ!」

「何も用無いのに来ちゃったわ。取り敢えず涼んでいい?」

「あのー、此処は休憩所じゃないですからね」

「新人ちゃん、先生の彼女にならないの? 良い物件だよ、あの色男は!」

「こら、変なこと教えないで下さい。彼女真面目なんだから」







 再出発をして、それでもぎこちない。







「先生、お疲れさまでした」

 水曜と日曜日以外は殆ど診療を行なっている飯田診療所は、多くの患者が訪れる。予約制では無いので、大抵は診療時間を一時間半超えることも少なくなかった。

 陽菜は締め作業を小野寺と一緒に行う。レジ締めや帳簿へ記録が終わり、退勤した後に着替えを行えば救急カートの施錠や電源のオフ等チェックを終えた男が玄関先にいた。

 常に夏場でもジャケットを持参して、スーツを身に纏うのは患者へ向き合う姿勢の表れなのだと。五年前から、変わっていないのだなと見る度に安堵するのだ。

「あら先生、お家は確か畑の方ですよねー?」

 小野寺がにこにこと話を振ってくる。何か企んでいる様子だ。

「あー、美沢に畑ど真ん中に一軒家あるだろ」

「長らく借り手が見つからず地主の方が困っていた平家ですか」

「流石地元、そこにいる」

 情報が出回るのは田舎では早いのが当たり前だ。
 陽菜ですら、弟や近所の人達が聞かなくても時事情報以上に教えてくれる。辺鄙で閑静な場所に居住を構えたのだな、と思っていると。

「先生、私が鍵締めもしておくので、お連れして差し上げたら?」

「小野寺さん、いや……それは」

 ちらり、と陽菜を一瞥する。期待に染まった、瞳だ。

「……あ、の。見て、みたいです。迷惑で、なければ」

「──バイクのニケツ、それでも良いなら来るか?」

 バイク、なんて乗ったことが無い。フルフェイスのヘルメットを何故か二つ持っていたのは意外だった。陽菜は渡されたヘルメットが真新しいのを見て、むず痒くなった。

 肘当てやツナギを着せられ、完全防具状態だ。
 バイク事故は救急外来で何度も見掛けたが、壮絶な状態は何処から手を付ければ良いか分からぬほどだ。プロテクターやヘルメットは勿論、肌の露出を抑えるのは最早最低限の防御である。

 陽菜はバイクに乗るのが初めてなので、恐る恐る最賀の後ろに乗り込む。密着しないと振り落とされそうだ。大きな背中にしがみついて、陽菜は移り行く育った街並みの風景を眺める。

 最賀の自宅は畑のど真ん中にポツンと佇んでいた。ガタガタな塗装されていない畑道を走って辿り着く。

 古い家屋と言っても、年季や味を感じさせられる風貌である。平家をぐるりと防犯上囲われた壁に、家庭菜園のスペース。穏やかに日々を過ごせる家は、最賀の心を映している様だった。

「寛いで良いから、洗面所はあっちにあって……」

 ジャケットを脱ぎながら、家の中を説明してくれる。すると、最賀は思い出したかの様に木目調の箪笥の引き出しから何かを取り出した。

 これ軽いんだよと言って、甚兵衛に早着替えした最賀は陽菜には別の物を手渡す。
 用意されたのは、浴衣だった。藍染の浴衣は手縫いで、向日葵柄が何とも美しい。夏仕様なので通気性も良く肌触りは抜群だ。

「通気性良いから、女が来たら着させなさいって貰った」

 誰に、とは聞けず陽菜はしどろもどろしながら受け取る。

「……お、借りします」

 袖を通すと、とても肌に優しい生地だ。愛情がこもった浴衣は陽菜を柔らかく包んでくれる。

「何か飲むか? 冷蔵庫、好きに使って良いから」

 リビングに面して、給湯器が設置された台所で最賀は冷蔵庫の前にいた。中は整頓されており、漬物や煮物のタッパーが並んでいる。
 日本酒やビール等が無造作にサイドポケットに立て掛けられ、卵は少ない。男の一人暮らしを物語っている。

「近所のばーちゃん家が良く漬物とか煮物くれるんだよ」

 近所、と言っても隣家は五十メートル以上離れた場所にある。広大な土地の中に平家があり、辺り一面は山か畑で囲まれた自然豊かなエリアだ。

「早く嫁取れって煩くて」

「……この辺は皆んな結婚している方が多いですからね」

 田舎の未婚率は低い。大抵の女性は嫁ぐからだ。陽菜の年齢で未婚、扶養の無いケースは珍しくもある。多様性を謳う中でも、やはり結婚すらしていない人間には世間の風当たりは強いものだ。

「それで、俺は……その、お願いがあって」

「はい、何でしょうか?」

「……かき、卵のうどん」

 ぽそり、とか細い声で最賀に呟かれる。陽菜は小首を傾げて、冷蔵庫の中に卵が複数あったことを思い出した。

「材料があれば……卵はありましたね」

 陽菜が冷蔵庫内の葱やうどん、三つ葉、生姜等を見付ける。これなら栄養バランスが偏らずに作れそうだ。他にも椎茸はそろそろ使い切るべきな様子だったので、使ってしまおう。

 陽菜はどう調理しようか満面の笑みで考えていると、最賀が首筋を触って苦笑した。

「悪い、アンタが前作ってくれたかき卵うどんたべないと死ねないって……目標あったから、その」

「ええ……大袈裟です先生」

「いや、あれが恋しくてさ。良かったら作ってくれないか?」


 最賀ともう一度台所に一緒に立てるなんて、夢みたいだ。


 それでも、時折婚約者の影が陽菜を責め立てる。


 美しい黒髪、家柄も申し分無く、陽菜の家庭環境とは雲泥の差だ。健康的で、両親から蝶よ花よと無償の愛で育ち、全てを持つ彼女。

 陽菜と言えば泥水を啜り、母との確執は永久的に深まったままだ。

 父親の顔だって知らないし、オムライスの卵がどうしてあんなにも破けず作れるか学んだのも遅かった。卵の使える数が限られていたので、二つ以上使うと言う発想すら無かったからだ。

 知ってる?ケチャップライスを覆うには卵は三つ使うべきだったことを。

 そんな簡単な答えすら導き出すにも、随分と時間はかかったものだ。

 栗毛の色素と、この幼さが残った顔立ちは母を捨てた父親に似ているらしい。虫唾が走ると何度も殴られながら、膝を抱えて耐える子供に必要数の卵なんて知る機会なんて無い。



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