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第3部 あの恋の続きを始める
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しおりを挟むそう思い込むことで、この行動を肯定したかった。
医局の前で数回深呼吸をして、ノックをするとどうぞと返事が聴こえる。陽菜は平常心を保ちつつ、箸とおしぼりを差し出した。
「すみません、先生のお箸分が此方に来ていたので……」
「ん? ああ、あんまり割り箸使うの好きじゃなくて持って来てるから平気だぞ?」
かあ、と熱くなる。余計なことをした。陽菜は最賀が箸を持参しているなんて、知らなかったからだ。食事中に割って入る失態に、真っ赤な顔を思わず俯かせる。
「し、つれいしました……御食事中、なのに」
「いやいや、ちょっと……待って、飲み込むから」
ちらりと最賀の顔を見ると、もぐもぐ長く咀嚼している。嚥下した時に動いた喉仏が男らしくて、つい目が行ってしまう。
「こほん、誰かさんが三十回咀嚼って言うものだから、忠実に守っていて」
「……最賀、先生。御冗談は、その」
「どうせ、その誰かしか分からない話題なのに?」
──ああ! 本当に、最賀先生は……大人のやり方を熟知している!
陽菜は手提げバッグの中から、保温ポッドを出した。五年前の当直、最賀に初めて野菜スープを御裾分けしたことを覚えているだろうか。あの時は、二人共弱っていたし、微妙な距離感だったくらいだ。
「──野菜スープ、こっそり……持って来ました」
野菜スープ、と聞くや否や最賀は目を見開いて、それから花が咲いた様な表情に変わる。急に立ち上がるものだから、陽菜は驚いた。
「もしかして、あれか? 当直で飲んだ例の美味いやつ」
「今回は、その、和風味に……」
「助かる。本当に」
顔を綻ばせて喜ぶ最賀に、陽菜は安堵した。蓋を開けて、注いでから渡す。
「熱いので、気を付けて飲んで下さい」
迷惑だと突っぱねられず、箸を進める姿を見て、陽菜は漸く肩の荷が降りた。
最賀は、診察中は相変わらず仏頂面である。患者が退室すると、眉間に皺を寄せ苦悶の表情に変わる最賀へ少しでも休息を取って欲しかった。
まだ慣れない土地で、診療所のやり方や街の特色を掴み切れていないであろう。見知らぬ土地で働くと言うことは、それなりにストレス負荷が大きいのだ。
陽菜が退室しようとすると、不意に呼び止められる。
「山藤」
「はい?」
「これは、今度、な?」
ひらひらと保温ポッドで手を振るジェスチャーをする。今度返却すると言うことらしい。
山藤、と呼ばれるのはとても擽ったい気分だ。あの頃に戻った、と錯覚を起こしてボロが出ない様に気を引き締めねばならない。陽菜はそう心の中で言い聞かせる。
結局、陽菜は自分の分を全て最賀に渡してしまったことを休憩室に戻って気が付いた。ケータリングの味噌汁に切り替える。陽菜は休憩室の中央にあるテレビをぼんやりと眺めながら、食事を摂ったのだった。
***
忙しさの中で、三条には三十五回目の八つ当たりをされる。数えているくらいだ。それなりに三条への怒りは天井に到達する程の怒りは蓄積されている。
食後一時間は空腹も満たされてか、三条は落ち着いていた。異様な程に静けさを増していたので、陽菜は若干油断した。美味しい物を食べた後は暫く問題無いだろう、と。
意地悪気質な人間に休息時間は無い。彼等は虐めることが三度の飯よりも生き甲斐であるのだ。
キョロキョロと辺りを探し回るふりなのか、三条は受付にやって来た。摺り足気味に歩くのは最早癖なのだろう。履き潰したサンダルは黒く薄汚れており、KCの白さとは正反対だ。
「あの人のカルテ、もう流れてる?」
「いえ、此方には」
「無いんだよ、次検査なのに。探してくれ」
──ええ? それで自分は何処かに行っちゃうの?
返事を待たずに三条は陽菜へ厄介なことを押し付けて、いなくなってしまった。
──はあ、私この人苦手以前に……勝手過ぎて、ストレスだな。
陽菜は溜息を漏らしつつ、仕方が無くカルテ探しの旅に出た。整理整頓が義務付けられた受付には無い。廊下にあるストレッチャーや、救急カートの上、他のカルテボックスと探し歩いたが見当たらなかった。
受付をパートタイマーの事務員に任せ、陽菜は椅子の下も注意深くチェックする。まさかな、と思って処置室へ向かう。
此処は小野寺の管轄区域である。処置中の際は扉が閉まって、処置中札がぶら下がっているが幸いにも開いていた。頻繁に入る場所では無いので、目新しいせいか視線が点在してしまう。
──あ、あった。これかな……? 小野寺さんなら、こんな置き方しないし。
陽菜の目に飛び込んできたのは、無造作に開きっぱなしのカルテだった。小野寺は綺麗好きの性格なので、カルテを開いたまま放置するなんて有り得ない。
きっと、これは三条が探し求めていたカルテなのだろう。
「あの、カルテありましたよ?」
カルテが処置室の付近にあったことを伝える為に届けると、勢い良くぶん取られる。吃驚して手を引っ込めてしまい、カルテの先端で陽菜は指先を切ってしまった。
「い、……ッ」
指の腹に血が滲む。ぷっくりと赤い雫が浮かび上がって、陽菜は痛みに顔を歪める。
人の善意をこうやって、悪意を持って返されることがある。陽菜は何百回と経験してきたことだ。頭に過るのは、謝罪をしてしまえば大事にならないと言う悪魔の囁きだ。
けれども、此方の非でないのに謝罪をしてしまえば陽菜のミスとなる。
そうなれば、相手はつけあがって、なんだって陽菜のミスとして報告をしたりなすり付けるだろう。
「お前が適当に置いてたんじゃねえか!」
「ち、違います……処置室に、あったから……」
「患者の個人情報適当に扱って、だらしないことすんじゃねえよ」
だらしないこと。そんな、適当に個人情報を扱ったりはしないのに、信じてもらえない。逆に、陽菜を貶めようとする言動に怒りが込み上げて来る。
手首を掴んだまま、三条はじっと陽菜の指先を見詰めている。ぞわぞわと背筋が凍って、居心地が悪い。早く離して欲しい一心で、陽菜は声を振り絞る。
「離して、ください」
「何? パワハラとか言いたいわけ? 指導の一環だろ、雑な仕事して間違い犯した奴に善意で教えてやってるのに────」
「痛い、からッ、離して……ッ!」
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