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第3部 あの恋の続きを始める

6-1【余所者と根付く者】

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 総合病院、クリニック、地域密着型の診療所では働き方が異なる。大まかな動きは同じであるが、患者の年齢層や個別性が様々である。

 朝の鍵開けからスタートして院内の清掃、レジ開けに予約状況や再来予定の確認に加えて看板を出す等仕事は山程ある。そのルーティーンをこなしていると、他のスタッフが出勤して来るのだ。

 タイムカードの打刻音がジジッと聞こえ、ロッカーの開閉音と共に始業時間十分前を迎える。

 小さな病院ではPHSなどハイテク携帯は無い。原始的な呼び出し、報告の仕方は院内の狭さ故だろう。
 時折大きな声で先生採血オーダー飛んでない!ラベルシール!と看護師が叫ぶくらいだ。

「先生、加算取れますので算定を」

 加算漏れは、塵も積もれば山となる。日々の積み重ねで病院の経営を左右させる。特に自費診療が少ない診療科はシビアだ。

 飯田診療所は内科専門だが、大抵なんだって診る。膝が痛いとか、そんな専門外のことすらも一応は来院した患者の声に傾ける院長が根強く開院して三十五年地域医療を支ていた。

 この辺鄙な田舎にある唯一の地元貢献をする診療所だ。近隣の整形外科や皮膚科等多くのクリニックは電車で二駅行かないと無いので、重宝されている。

 勿論、これは整形外科医にきちんと診てもらうべきだとかかりつけ医に言われれば、大きな病院と地元では謳う羽島市民病院へ受診を渋っていた患者も大抵聞き入れてくれる。

「先生、羽島市民病院の吉田先生からお電話が」

「ちょっと先生! ハーベー8.8なんだけど!」

「二十一歳男性、KT三十九度インフル疑い来るから裏口通すわ」※KT……体温のこと。

「紹介状カルテバックで良いですかねー? あ、これお返事も」

「抜けが多いので、ここと……あと、此方の記入を大至急。厳密に申し上げれば二十五分以内に仕上げを」

 スタッフは副院長の最賀、看護師や臨床検査技師各一人ずつと陽菜を含めた事務二人、合計五人で回している。時折パートの看護師もいるが、お迎えの時間の絡みと、シフト制によって疎だ。

 院長不在の中で、ごった返しの診療はハムスターの滑車が永遠と回転するかの様な忙しなさだった。

 また、スタッフの中で一番若いのは陽菜である。常勤が陽菜と、臨床検査技師の男性と看護師の小野寺しかいない。
 その為、パートタイマーの二人は四時半になると帰宅してしまう。それ以降は少数精鋭部隊の各一配置と言う、過酷な労働状況が待っていた。

 田舎の病院は、勤続年数が長い人間で占める。
 だが、入っては消えを繰り返し補充するかの人員確保も問題懸念としてある。田舎でバス便のエリアは特に人は集まらない。

 だから新人だろうと辞められては困るのである。

 パートタイマーの二人が帰った後は、慣れないながらも四人で業務を捌いた。受付、カルテ作成、保険証返却、呼び出し、会計処理と腕があと二本欲しいくらいだった。

「地域密着型の診療所なんて、ああ、馬鹿だ!」

 腕枕を無理矢理して皺くちゃな袖で汗を乱暴に拭う白衣には、五年前のシャドウが今でも陽菜を現実に引き戻す。

 患者の多くは病院に通院していないと何処か寂しいだの、不安だの理由をつけて通院する常連が時折いる。
 田舎では、待合室で近所や歩こう倶楽部と言う高齢者が家に引き篭もり孤独死を防ぐ為のオリエンテーションならぬ '' 部活動 " があるのだ。

 病院に行けば、知り合いに会うと言う目的も含まれる通院に地元のかかりつけ医は切っても切れない繋がりがある。
 だから、出身地も住んでいる場所も、皆が個人情報を共有して地元意識を保っている。

 陽菜は、そんな閉塞的な地元が嫌で、都会に出たが結局出戻る形になった。四丁目の山藤さん家の娘さん、と井戸端会議の村人Aくらいには話題性の上る役なのも田舎特有の情報網と噂話を好物とする獣の巣穴だろう。

「──地域貢献ありがとうございます?」

「涼しい顔して、こき使う鬼畜だな?!」

「えと……先生、お菓子も良ければ」

 余りにも疲弊してゲッソリとした最賀へ、陽菜は近隣のクリニックから御中元で届いたスライスアーモンドの香ばしいクッキーを差し出した。

 すると、最賀は疲れ目で陽菜を見詰めるとクッキーの袋を開けながらこう言うのだ。

「うん……。あ、ちょっと、こう……俺に笑い掛けてくれないか?」

「え……」

 弱り目に祟り目なのだろうか。陽菜は目を丸くしたが、マスクを下ろして口角を上げようとした。

 だが、それを許す人間はいない。エプロンが視界の端でバサッと翻り、体格の良い診療所の長が立ち塞がったからである。

「最賀先生!! またへばってる!! お茶飲んだらとっとと山藤さん返して下さいッ!!」

 陽菜が用意した麦茶ボトルに乱雑へお茶を並々小野寺が注ぐと、最賀の前に出した。
 冷たい麦茶を一気飲みした男へじろりと睨みを聞かせてから、もう一度お代わりを注いで陽菜を引き離した。首を小さく振って来なさいと、合図をされる。

 長く飯田診療所を支える、看護師の小野寺へ陽菜はついて行く。
 小野寺は五十代半ばの、謂わば診療所の要でもある。
 開院してから、長く勤めており院長よりも物の配置や物品発注含めて情報を把握するスペシャリストなのだ。彼女の協力無くては、この診療所は回らない。

 陽菜は軽食のクッキーを添えて、首にタオルを掛けてふうふうと息荒くする彼女に冷えた麦茶を持って行く。白髪染めをした黒髪を一つに団子にして、ネットに包めた髪型に、エプロン仕様の白衣姿は正に看護師の鑑だ。

 一方陽菜は支給された制服に、ナースシューズだ。浮腫防止の着圧ソックスは膝までのタイプを支給されている。
 同じ体勢で仕事をすることが多いので、下肢静脈瘤を予防する為の物である。スタッフの職場環境を考慮した物を支給してくれるのは、雇用主の配慮なのだろう。

「実は先生に私だけじゃ仕事回らないから、事務の子増やして欲しいって言ったのよ」

 そう小言を漏らしながら、ごくごくと良い飲みっぷりを見せつつクッキーを美味しそうに咀嚼する。
 なんでも、一週間で退職してしまった医療事務の代わりに受付業務も兼務していたと言う。

「声掛けてる信用出来る子がいるとは聞いていたけど、いつ来るか分からないって曖昧だし……。求人出しても、ほら、こんな辺鄙な所じゃない?」


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