戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第3部 あの恋の続きを始める

4-6

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 悪人面をひっぺ返したいところだったが、天罰は早々と降った。
 湯呑みに口をつけた早坂は熱い、と湯呑みを持った手が離れ、盛大に溢したのである。
 緑茶の海にテーブルがなったところで、こほんと早坂は咳払いをする。勿論、じろりと睨み付る二人の醸し出す空気に耐えられなくて、だ。

「なんかオーベン所引き継ぐ話出てるとか……何とか。田舎に御隠居するのかって周りに馬鹿にされてたな」

「愛人か、どうかは分かりませんが……私が前の職場にいた頃、その……」

 ああ、そうか。元恋人なのか。恋人だったかも、怪しい間柄だ。ましてや婚約者がいる男に恋したのだから。

 オーベンとは、確か研修医を指導する医者のことだ。陽菜は最賀から確かそんな話を耳にした気がする。指導医が開業した病院を引き継ぐのだろうか。

 陽菜はそんな簡単なことすら、聞きそびれていた。蚊帳の外だったのかと肩を落としてしまう。

「幾つの人?! 気になる気になる」

「確か、五年前は三十九……」

「──もしかして、山藤ちゃんオジ専?」

「み、箕輪さん!!」

 五年経った今は、恐らく四十半ばである。陽菜だって、同じくもう三十歳間近で、刻の流れは残酷だ。

「て言うかなんで先生も微妙にショック受けてんのよ…」

「歳のことは言うんじゃねえ! 俺の中では禁句なんだよ経産婦!」

「だって、若い医療事務の子に手出す医者なんて碌でもないじゃない、未来ないの分かってるのに」

「経験則だが、それなりに年食ってるならハッキリ言えないぞ、未来だとか約束なんざ軽はずみに出来んわ」

 約束を交わしたのは遠い過去の様にも思えた。それほど、五年と言う月日は陽菜にとっても介護疲れや独りであるが故の不便さを考えさせられたのだ。

 介護と仕事の繰り返しで、時々弟の愚痴に付き合う。それが、姉としての務めだと言い聞かせて。
 無力感に押し潰された陽菜は、自力で這い上がる体力は残っていない。

 そんな鬱々した陽菜を心配する人間がいることは、救いだった。頼れる人間がいると、それだけで変な考えを浮かばなくなるし、何より必要なことに気付かせてくれる。

 例えば、休息だ。陽菜はやっと休める時間が得られた。葬式の手配や保険関係の手続きも複雑だった。肩の力を抜いたのは、最近だ。

「お前の髪の毛のやつと同じの持ってたぞ、白いリボン」

「え……」

 ──もしかして。

 別れ際、駅のホームで初めて貰ったサテンの、白く美しいリボンを渡したのを過ぎる。

「なあ、俺はなーんも知らねえ。でも大事にされてたんだな……お前。自分の将来蹴ってでも連れ出そうとしたんじゃねーか」

「………そ、れは」

「なんだよ、そうじゃないのか? それか愛人か、まあ今の聞いてりゃあいつも本気だったんじゃないか?」

 本気の恋だった。それは、恐らく最賀もであろう。あの時手を取ってくれたのだから。
 陽菜が幼く、世間知らずだった所為で最賀の立場を危うくしたのも事実だ。

 だから、次は間違えたくはない。己の問題を全て解決し、凡ゆる経験や知識を培って立派な人間になると決めたからだ。現状はそうであるかは、基準は満たされたかどうかは定かではない。

 ただ、あのままの幼稚な状態であったら、きっと最賀と笑顔で会えなかっただろう。恥ずかしくて、顔向けも出来ない、と。

 最賀は陽菜を責めたりはしなかった。
 本当はもっと言葉を交わしたかったが、それ以降のきっかけを陽菜自身が戸惑って、曖昧にさせている。

「──いえ、そうであって……欲しいなとは」

「信じてやれよ、好きなら。全部なげうってでも掴んでやれよ」

 早坂の言葉一つ一つには、不思議な力がある。妙な説得力と言うか、まるで最賀の思考を読み取っているようにも思える。

 それは年齢が近いからか。

 いや、きっと早坂ならば立場も年齢が異なっても人格がそう話さずにはいられないだろうが。

「偶には良いこと……言う?」

「さっさと手を動かせ! お前に出来ることは、写真撮る、説明文書く、出品だッ!!」

 渋々携帯で写真を撮り、スワイプをして作業を再会した箕輪を横目にぼそぼそと早坂は小声で教えてくれる。

「お前に朗報だ。婚約者から奪うなら、婚約者の浮気調査して信用を根刮ぎ落とすか、男が能無しだって証明して先方に破棄させるか、普通の家柄なら一千万で買い取る」

「先生、悪い顔して何てことを……」

「あと、海に散骨する方法もこっそり書いておいてやる。ちゃんと決別しろよ?」

 悪知恵を貰い、半分冗談で半分本気の計画を早坂は面白おかしく……と言いたいところだったが真面目に白紙いっぱいに書いてくれた。字はいつも通り個性的だったが。

 海洋散骨するには、業者へ委託したり合同で行う方法等が一般的な方法である。複数の家族と乗合で行う合同散骨であれば、船のチャーター代を他の家族と分担する為費用は抑えられるらしい。

 墓を管理するのも、納骨にも結局費用は嵩むのだ。早坂は相変わらず悪い顔をしながら、知恵を授けてくれる。

「て言うかお前、電話番号知ってんのに連絡しねーなんて変な奴……」

「──拒絶されたら、何だか怖くて」

「あいつの喪服ぶら下げておいて、良く言うよお前」

 ぎくっ、と陽菜がたじろいだ。どうして最賀のだとバレたのかは、なのだろう。

「ふん、じゃあ俺が電話してやる」

 携帯を胸ポケットから出して、無骨な指でスワイプしている。陽菜は早坂の服の裾を掴んで抗議する。

「えっ、だ、ッだめです! ダメダメダメ!」

「──あ、出た。おい、俺の直筆で紹介状書いてやった借り返せ、今すぐ」

 電話の声は、微かに聴こえる。落ち着いた声音の持ち主は溜息混じりに話している。
 陽菜はドキドキと胸が高まって、息をするのを忘れそうになった。こんなにも近くに好きな男の声が聞けるなんて、と。間接的でも嬉しかったのだ。

 それこそ、奇跡が何度も起こるはずなんてないと子供の頃の刷り込まれてきたからである。


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