戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第2部 空白の五年間

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 早坂の機嫌を優位に操ることが可能なのは、指名制を大いに活用し指名され続けた桃原だけである。

 桃原は、早坂の特別な気がする。

 それは核心に触れてはならぬものだったが、早坂の言動から推測すればそうとしか思えなかった。
 一看護師の発言に耳を傾ける、絶賛院内の嫌われ者トップを誇る男など普通なら存在しないからだ。
 こんな男は陽菜の経験則からすると、家庭を持っていても甘い言葉で誘惑して貶めては体を堪能して塵紙の様に簡単に捨てる。

 けれども、今回はこのパターンに当てはまらない。
 桃原に嫌われたく無いのも当然だが、フォローするのだけは必ず入る。眉を下げて、悪かったと謝罪したりして桃原の顔色を窺う素振りは身に覚えがあった。

 正に陽菜が幼少期に母親へ構ってもらいたい一心で、興味を引かせたかった行動だったからだ。
 陽菜の場合は舌打ちをされて終わったが、桃原は女神の様に寛大な心で早坂の言動を受け止めている。特別な感情がなければ、ただの癇癪かんしゃく持ちやハラスメントなのだ。

翼状針よくよくじょうしん造影ぞうえいCTは絶対嫌ですからね。血管外漏洩リスクは勿論圧に耐えられませんし」

「知らねーよ、やるしかねーならやるだろけど」

「24G(点滴用の針の細い物)速度2.3以下とか、私の権限じゃ無理なので先生が率先して操作室でつきっきりになって下さいよ」

「はあー? 物理的に24GでダイナミックCT撮影するとか、3.0速度なんか圧でぶっ飛ぶのに?! 馬鹿馬鹿、この馬鹿ッ!」

「……早坂先生の指示、と言うのがあるのと無いのとじゃ違うので」

「そんなに俺と一緒にいたいのかー、そうかそうか。最初からそう言ってくれれば付きっきりで手取り足取り側にいますよ桃原莉亜さん?」

「はいはい、付きっきりでお願いしたいので、心強いです先生」

 二人の息はピッタリだ。見ていて安心する。
 桃原は元医療事務員で、陽菜が受付でごった返しになっていると手を差し伸べてくれる。さっと代わりますと微笑んでカルテ作成と分担するよう促すのだ。
 患者も突然出て来た看護師には強く言えないのか、列の乱れは戻り、静かに待っている。やはり、看護師や事務員以外のスタッフが出ると強いのである。

「あの、本当に大丈夫?」

 早坂へ申し送った後に、陽菜は箕輪が遅れる分の仕事を必死にこなしていた。
 受付、問診票を渡し、検温、カルテ作成、会計入力、会計処理と目まぐるしく仕事は天から降って来る。

 すると、カルテを取りに来た桃原が陽菜の顔色が悪いのを見破ったのか、声を掛けて来た。

「今日箕輪さん健診で遅れてくるそうなので、それまで…すみません、一人なんです」

「いや、その、体調とか……プライベートの方……頼って良いからね?」

 陽菜が打ち明けるまで辛抱強く待つと言わんばかりに前のめりになる桃原へ、ついに陽菜は観念した。
 相談に乗ってくれる人間がいるのを、この時ばかりはひどく身に染みた。誰かに頼ることを覚えたはずなのに、一歩進めば半歩下がるを繰り返す。まだ悪癖が陽菜を蝕み孤独にしているのだ。

 陽菜は母の病状が芳しくない事をやんわりと伝えた。
 ぽろりと口から出ると、もう止まらない。身内の病気話は他人から見たら重苦しい内容である。なのに、辛いと言葉にしなければ心が死んでしまいそうだった。

 そんな陽菜の話を桃原は真摯に寄り添って聴いていた。話してくれてありがとう、と手を握ってただ側に居てくれる。

「……まさか、医療費減額の案内を私が受けるとは…思わなくて」

 二人は連絡はアプリで時折交わしていた。
 早坂は担当なので良く関わる時間があったものの、桃原とは殆どシフトが合う日は目減りしていたのだ。

 それは、二人の間に立った噂が関係しているのだろうとは思ったが、陽菜が横槍を入れる立場では無い。早坂と桃原が恋愛関係で例えあったとしても、寧ろお似合いだと陽菜は納得していたのもあったが。

 ──先生と桃原さんが逆に付き合って無い方が変なくらい……息ぴったりだもの。

 陽菜は純粋な気持ちで二人が羨ましいと思った。陽菜が最賀と駆け落ち同然の逃避行をした際は、釣り合ってない関係性だとすら己を卑下していたからだ。

 婚約者の見目麗しく家柄も申し分無い、対抗意識すら湧かないくらい圧倒的な身分差に圧巻された挙句。
 人の幸せになる工程を眺めても、妬みの感情すら生まれないのは不幸中の幸いである。

 プライベートは頗る悪いのは歴然だった。
 役所に限度額適用認定証の申請を代理で提出しなければならなかったし、光熱費の支払いや引き落としの絡みで銀行口座へ当分大目に振り込んでおく必要がある。頻繁には銀行には行けないのがネックだからだ。

 限度額適用認定証とは、外来や入院に関わらず事前に申請すると自己負担限度額まで留めてくれることが出来る治療費を支援する制度である。

 平日は多忙極まりなく、昼休憩も碌に取れない。
 特に最近は箕輪も出産後職場復帰したものの、沢山の業務をさせるには酷だ。陽菜がしっかりサポートをしなければならない。

「はあ……パソコンの画面、地味に沁みる」

 ブルーライトカットの伊達眼鏡をするようになって、より年齢を感じさせる。
 勉強の為の夜更かし、浮腫が取れず朝まで引きずったり、西日が眩しくて仕方がないだとか。
 最近は白髪が二本見付けてショックを受けたり、地味に二十五を過ぎると周りが一斉に結婚まで突っ走っているのを見送る側になった。

 縁談を破談にしてからは、不思議と誰も陽菜に言い寄らなくなった。
 良い虫除けだな、と陽菜は平穏を取り戻した。結婚適齢期となれば焦りが滲むのにら陽菜は最賀以外と関係を持つ気にもなれなかったので、合コンや婚活パーティーは相変わらず断っていた。

「……結婚とか、恋人とか…パートナーのいない女性には風当たり、強いのね」

 陽菜の後から入職した後輩は寿退社が決定して、葉書が送られてきた。
 幸せ全開の人間は時として、他人を無作為に悪意のない棘を刺してくる。ドスドスと陽菜の肌に突き刺さり、抜く度に年齢を感じるのだ。
 婚活レースに棄権の旗を出した途端に、敵認定が外れて皆が優しくしてくれる反面、お節介も湧くのは傍迷惑だったが。

 せめてレセプト週間後に退職をして欲しい、いやそんな願望は彼女達には通用しない。
 花形部署で寿退社をした華やかな結婚ストーリーは輝かしいのだ。辞める人間は残された職員のことは二の次だ。

 ──いる人間が何とかしなければならないのに、何とかなるわけがない!


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