戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第2部 空白の五年間

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 その言葉に、陽菜はやっと救われた気がした。最賀と言う心の拠り所を失い、路頭に迷っていた陽菜を誰かの言葉が掬い上げるなんて。

「カバーメイク凄いなあ。化粧品産業の発展に感謝だ、患者さんに聞かれたら教えたいし、メーカー教えてくれますか?」

 髪上げてても可愛いよ、と微笑まれた。メーカーのホームページのURLを添付して送ると、携帯をスワイプした指先が一瞬微かに震えた。

「ナースって、良くも悪くも目敏いの……多分、皆んな気付かないよ。あ、早坂先生は細かいしデリカシー無いから気を付けて」

 目敏い。その言葉は早坂が口にしたものと同じだ。
 陽菜は首を傾げる。あの二人には見えない絆があるのだろうか。陽菜は人と人との恋愛事情や揺らぎが鈍感なので、どうもこの手のことは疎かった。

 確かに、マタニティーハラスメント、セクシャルハラスメント、パワーハラスメントとハラスメント尽くしの推定四十代男性医師の強目の言葉には圧倒されることがある。
 陽菜は言葉の攻撃には、幼少期から培った嫌な耐性で、どうってことなかったが。
 金と保険とキャリアアップの為には早坂の様な威厳を振り翳す人間と、上手に付き合っていかなければならないのだ。

 それでも、桃原の手前上、陽菜への当たりは相変わらず強いものの粘り強く食らい付いたせいか、試用期間が過ぎる頃には嫌な顔をしながらも受け答えはしてくれるようになった。
 モリオンの件も教えてもらうくらいには、一応存在は認めてくれたらしい。

「あの、ありがとう…ございます。殆ど打ち明けたこと……無くて、この傷のこと」

「親しい人とか、友達には?」

「……一人だけ」

 陽菜の全ては最賀忠だけだった。彼に依存して、四方八方からの悪意へ守ってもらった結果、今なのだから。
 強く、逞しく、そしていつか会えたのならば。
 笑って、成長した自分を何処か遠くでも知って欲しかった。
 烏滸がましい願いだが、まだ達成には程遠いので陽菜は日々を精一杯生きるしか出来ないのだ。

「分かってくれる人に、分かってもらえれば良いんですよ。私のこれだって、腫れ物扱いされてオジャンだったし……、でも受け入れてくれる人もいる。意外と世界は、広いんです」

「桃原さん……みたいに、強く…なりたいです」

「え?! 私強いかな?!」

「私、警戒心強いチワワって箕輪さんや知り合いに言われました……ポメラニアンくらいになりたいです」

「ポメラニアン……ピンポイントですね……」

 ポメラニアンくらい、愛嬌がありやや大きくなりたいと陽菜は奮闘する。
 骨格の兼ね合いもあり、一回りでも大きくはなれないが、もう何だって良い。努力と意欲的な思考は、味方になってくれる。
 桃原が、眉をきりりと上げて拳を前に出した。決意表明である。

「よし、ピットブルにはなれないけど、ポメちゃん目指しましょう!」

「はい! お願いします!」

 ピットブルとチワワくらいの身分差で、体格差だったのに。

 陽菜はテーブルマナーや作法、時事も含めて何もかもが無知だ。
 生き抜くには必要無い経験値だと、捨ててきたものだったが今になれば其れ等は武器にも成り得ることを。

 無知ほど、怖い物は無いのだ。

 桃原の拳と陽菜の拳が重なって、固い決意を心に抱く。

「今度ご飯、行きましょ、私で良ければ。箕輪さんも誘おう、あの人食べ物に飢えてるから!」

 桃原は元気付けてくれる。

「あの、不躾なことなのですが…テーブルマナーとか…出来れば教えて頂けないでしょうか?」

 最初の一歩が足が竦んで怖かったのに、今は成長が著しくないとガッカリされる方が嫌だ。
 仮にコース料理が出た場合、どのナイフから使えば良いのか、まず席に案内されてナプキンが用意されなら陽菜は確実に混乱するだろう。
 隣で食事をする機会が今後奇跡にも近い何かが起こった場合や、友人と食事をした際に恥をかくのは陽菜だけではない。同席していた人達も白い目で見られる。

 それならば、恥を捨ててでも、今身に付けることや学ぶことは沢山ある。育ての親から教わることがなかったら、自分自身が学ぶ姿勢を見せなければ誰も手を差し伸べてはくれないのだ。
 陽菜は桃原に掠れた声で聞いてみた。偏見なく、陽菜を見てくれるからである。

「え、私で……良ければ。個室にしましょうか、気兼ねなく練習出来るし!」

「この歳で恥ずかしいですが…でも、ありがとうございます」

 年齢なんか関係無いですよ、と桃原に微笑まれる。

 その後、箕輪が外食に何度も誘ってくれるようになった。食べ悪阻なのを逆手にとって、どんどん遠慮無く食べ進めるので陽菜と桃原は流石にドクターストップがかかると半ば止めに入るくらいだ。
 和洋中と週に一度の外食で、ストップがかかったのは妊婦健診で体重が十五キロも増大したことによって一旦箕輪は離脱した。
 代わりに、桃原が辛抱強く陽菜に向き合ってくれ、陽菜の作法は若干まとまになったかもしれない。当初はナイフとフォークを落としても、普通に拾っていたので一から十まで完璧とは言わないものの何とか素人程度にはなったはずだ。

 箕輪は凄い剣幕で産婦人科の女医から、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病になるリスクが高くまると説教を食らったらしい。
 一般的には多くの場合は十キロ前後である。増えすぎるのも痩せすぎるのも良くなく匙加減が難しいと、箕輪は適度な運動をしながら嘆いていた。





 数ヶ月後、陽菜は無事にテーブルマナーをマスターしたのと同時に三キロ太ったのだった。





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