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第2部 空白の五年間

2-1【空白の五年間の始まり】

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 瞬く間にスピーカーの様に広がり、縁談を断ったのは噂が流れた。

『山藤さんとこの娘さん、縁談ぶち壊したらしいわよ』

『田嶋さん、残念がってたから』

『勿体無い、だから都会から戻ってきた子は……』

 なんて声が飛び交っている。

 だが、陽菜はそんなことは気にしない。気にしたって、仕方がないのだ。
 もう一層のこと肩身狭くさせてやった、と言う微力ながらの抵抗と達成感で陽菜は若干心が軽くなった。
 けれども、近所の目があるので、相変わらず引き篭もった生活にプラスアルファ仕事探しは難航した。

 仕事をするしか、ない。生きていくにはお金が必要だ。

────ケジメをつけたんだ、それは誇って良い。

────働かないと。これからは一人で生きる為に経験も、スキルも、身に付けて行かないと。一生あの人に顔向けすら出来ないのだから。

 履歴書を四つ離れた駅から郵便局で発送すると、直様携帯に着信があり本院である横浜で面接を受けることになる。

 地元では就職せず、結局のところ横浜方面まで噂が鎮火するまで通勤することになった。
 幸いにも実務経験があり、万年人手不足の医療機関だったのですんなりと採用を得た。
 そうは言っても、見合い話から二ヶ月が経過していたので陽菜は新たな資格と言う武器を得たが、不安と期待と緊張感でいっぱいだった。

 陽菜は新しい就職先を見付け、逃げるように仕事へ赴く。私服も自由だ。
 決められた清潔感のあるクラシカルなワンピースデザインに、ウエストの飾りベルトや袖口はスリットの入るツートーンカラーだ。
 また、イエローの柔らかい素材のスカーフを首元でリボンにする、と言うコンシェルジュの様なユニフォームを研修で渡された。
 陽菜は名札や研修で使うマニュアルがセットになっており、驚きつつもその身を医療現場に溶け込ませた。

 研修は実務経験を考慮した上で、意外にも現場には直ぐ出されてしまった。
 医療事務としては数年経験があるものの、実働を開始した職種の兼務を任されていたので不安で押しつぶされそうだったが。

「ごめんね、体重くてさー!もう五ヶ月なんだ。て言うか、単に食べ悪阻を拗らせて絶賛増量中でもある……えへへ」

「あ……私が出来る限り動くので」

「新しい人が来てくれて助かったよ! ギリッギリまで、働くからそこは安心して!」

 検査を専門とする医療機関、国際メディカルセンターへ再就職を果たしたが、現場はとにかく忙しかった。
 大学病院や地域に点在する診療所からの依頼で、画像診断が必要な患者を紹介を介して検査する特殊な病院だからである。 新規患者が多くを占めており、紹介状を持参して毎日百人以上来院する。
 大規模な病院では検査数も多いがそれ故に混雑しており、予約が数ヶ月先になることも屡々ある。
 
 それを緩和し、迅速に検査を受け必要な治療への診断材料を提供する為に、外部から委託される側として検査中枢を担っているらしい。研修では如何に検査が滞ってしまいパンクしているか、需要と供給についての細々とした事情を聞いた。

 受付事務の先輩である箕輪紗希子みのわさきこは妊娠中で、走り回ったりは出来ないので陽菜は代わりに院内をとにかく、カルテを届けたり仕事を担う。
 彼女は教え方が非常に上手く、溌剌とした明瞭な女性で陽菜は安心した。

 また、新たに資格としてドクターズクラーク(医師事務作業補助者)を取得したことが採用の決定打になったので、役に立たなければと奮闘した。
 取得にあたっては、受験料を何度も支払う余裕も無かったので、とにかく勉強は集中して行った甲斐があった。
 プラスアルファで履歴書に記入出来る物が有るのと無いのとでは差が出る。陽菜は念願の正社員になることが出来て、以前までの燻りがやや解消されて胸を撫で下ろしたこであった。

 医療事務兼任なので、レセプト業務や普段の事務仕事も行う。
 メディカルクラークとドクターズクラークは名前が類似しているが、診療情報管理業務、医療保険請求業務を含む医療経理等に加えて看護師を中心としたスタッフのスケジュール管理も担う。両サイドを医療クラークと称されることも、病院によっては呼び方は様々である。

 特に忙しく、一日の件数が関東圏内でトップを争う横浜院では医師の負担軽減の為にドクターズクラークの導入を先行しているらしい。
 検査専門であるが故に診断書や紹介状等の作成業務が非常に多く、文書作成時は医師の指示の元、行う。

 その為、ドクターズクラークの資格を在籍中の医療事務員に取得を促すものの、多忙故に回らないと面接中にそんな溢れ話を聞いた。
 横浜院を筆頭に少しずつ浸透していきたいので、まずはドクターズクラーク導入したことで効率化やデータを収集したいとのことだった。

────最近常勤になった早坂先生の担当である横浜院をお願いします。彼は伊勢佐木長者町いせざきちょうじゃまち院にも良くシフトに入っていますので、失礼がないように。

 陽菜は横浜院で三人目の新任を言い渡された。
 新任、と聞き他の二人は?とは言い出せなかった。何やら、深い事情が待っていそうな空気であったからだ。

「新しく来た、クラークさん?」

 ネイビーの襟元が緩い白衣を着た、凛とした看護師と目が合うと駆け寄って来た。
 骨格がしっかりとしており、豊満な胸元に湾曲した臀部とスタイルの良い女性だ。
 睫毛が長くて意思の強そうな瞳に飲み込まれそうで、陽菜は前職場での看護師のイメージ像が中々抜けなかった。厳しく、毅然として、鋭い口振りで名前を覚えてくれないと言うマイナスイメージだ。

 男性不信、よりも女性不信にやや傾いているのは陽菜が母親から虐待を受けていたのも関与している。
 同性なのに、別の生き物に見えるからだ。だから、この女性ももしかしたらと頭の片隅に恐怖が過ぎる。

「初めまして。普段は伊勢佐木の担当してます、看護師の桃原です」

「や、山藤です。クラークとして……兼務で配属になりました。御指導御鞭撻の程宜しくお願い致します」

 少しだけ吃ってしまう。看護師と言うだけで、萎縮するのは良くないことだ。
 新しい職場、知らない同僚に上司と陽菜のストレスゲージは常に上昇傾向である。
 それでも、今までの辛辣な態度や鋭い眼差しは時々顔を覗くので心の中で深呼吸をして落ち着かせる。

「緊張しますよね、現場。分からないことあったら、箕輪さん優しいし何でも聞いて下さいね」

 にこりと微笑まれて、陽菜は慌てて頭を下げる。ばさりと一つに結んだ束の髪と、スカイブルーのリボンが大きく揺れた。長い髪が肩に垂れたので後頭部を押さえて、髪型は少し検討すべきか一瞬悩む。 

 すると、桃原がこっそりとリボンと一緒に編み込むと事務長に怒られないよと教えてくれる。
 外したくなくて、言い訳を考えていたがなるほど、その手があったか。似合ってるとウインクをされて、照れ臭くなった。

「ありがとうございます、桃原さん」

 気さくに挨拶を交わしてくれて、陽菜は大きな目を丸くした。看護師の桃原莉亜とうばるりあは以前医療事務をしていたそうで、会計以外は手が空けば手伝うと名乗り出てくれたので心強い存在だった。
 何より話しやすく、裏表のない女性で陽菜の周りにはいないタイプであり、先々良い同僚となる。


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