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第2部 空白の五年間
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しおりを挟むここで立ち上がらなければ、いつ立ち上がる!
陽菜は頭を上げず、そのまま続ける。
「ですが、他の方を想っている私には、田嶋さんを……幸せにすることは出来ません」
「一生結婚出来ないわよ、貴女。ずっと独りでいるつもり?」
「……それでも、私は田嶋さんに嘘を吐いてまで……全部偽物の家庭を作りたく、ありません」
縁談をぶち壊して、両家の顔に泥を塗る行為が如何に田舎では悍ましい行為であることを陽菜は痛いほど熟知している。
下手したら、噂話が尾鰭を持って永住出来ないくらい威力を増すことも。
そのリスクを背負ってまで、陽菜は縁談を正式に断りを入れることが、田嶋家に見せる精一杯の誠意だと考えたのだ。
「私の顔を潰して!! この、親不孝者がっ!!」
突如鋭い痛みが陽菜の額に強く走る。畳に伏せた顔を、母に押し付けられたからだ。
丁寧に結き、絢爛な花飾りがぐしゃりと崩れて落ちてもお構い無しだ。
それでも、陽菜は顔を上げようとはしなかった。
「女の幸せは結婚して家庭に入ることなのよ! やっぱり都会になんか出さなきゃ良かった。変なことばかり覚えて帰ってきて!!」
「まあ、山藤さん……」
心に決めた男の色で染まった陽菜を悟ったのか、田嶋は静かに姿勢を崩さず正座のまま意思を尊重すると口を開いた。
「……もし、気が変わるようでしたら遠慮無く来て下さいね。山藤さんの為にも」
「……お気遣い痛み有り、ます」
嘘だ。
遠慮無く、なんて飼い殺しにするつもりだろう。
田嶋が口角を微かに上げて笑みを浮かべていても、瞳が全く笑っていない。
そんなの、陽菜は見破っている。
敢えて、そう提案しているのだ。
パワーバランスが大いに傾いており、実権を握っているのは田嶋家でいるのだから。縁談が破断になった手前、世間体を考慮して口にした"脅迫"であることも。
陽菜は田嶋と田嶋の母親が席を離れて襖を閉めるまで顔を上げなかった。いや、単に額を畳に押し付けられたままだったのに物理的には困難であったが。
「アンタなんか……産まなきゃ良かったわ」
何百回聞けば、口を閉じてくれるのだろうか。
田嶋と結婚して、子作りして、形ばかりの良い家庭を構築するのであれば独身を貫いて孤独死すら厭わなかった。
陽菜にとって、短い時間ではあったが男に捧げた心身を誰かに穢されたく無かったのだ。
最賀忠以外の男と添い遂げるなら、落魄れてでも地面を這いつくばって生きると決めたのだから。
────せめて、約束……だけでも、守らせて。
雛の刷り込みでは無いか、と弟には非難された。頭を撫でてくれた、髪を結んでくれた。頑張ってるな、と手にお菓子を置いて、不器用に笑い掛けてくれた。そして、体を明かして、陽菜の初めてを最賀が担った。
まるで、父親の様に、時に母親の様に。
そして、恋人の様に、だ。
約束を課したのは、もしかしたらこの地獄から生き永らえる為なのかもしれない。
陽菜は鳥籠の中に入れられること無く、望まない人生の道を回避することが出来た。
好きでも無い男と結婚し、義両親の土地で一軒家を建て、子供を二年毎で作って、泣き止まない赤子をあやしながら、悪阻に苦しみ。出産と同時にパートタイマーで何気無く生活をし、抱っこ紐を着けて洗濯を干す。
己が望まず、強制的に"まやかし"を見させられるなんて、心底御免だったのだ。
ましてや、その未来を喉から手が出る程望んでいれば良いが、陽菜は一ミリたりとも決して、求めていない。
最賀のいない人生なら、せめて思い出だけでも隣に置いて生きる選択肢を持っても良いだろう、と。
誰もいなくなった部屋で、陽菜は冷めた緑茶を一気に飲み干した。
急須に入った既に色濃く出た茶にも手を出して、空になった湯呑みに移す。喉が砂漠地帯になって、カラカラと舌が張り付く。
「ああ、やっと……終わった、終わったんだ……」
御萩を遠くに手で押し退けた。
陽菜は全ての緑茶を飲み切るまでの時間、痺れた足を労る。初めて正しい選択をすることが出来た自分を褒めて、一人になった和室の畳の香りがやけに強く感じたのだった。
この綺麗な簪も、鮮やかな彩りのある着物も、気に入られるためにあるものなら早く脱ぎたい。
陽菜は花飾りを外した。バサリと栗色の髪が落ちて、枝毛のあるストレスを感じて傷んだ髪を一房手に取る。褒められた髪は、最早意味を成さなかったが、もう揺らいだりはしないと新たに決意する。
────褒めてくれた髪も、初恋も、全部私を形成しているんだから。
袂に御守りに持ってきたカメリアの髪留めで髪を括る。
金色の美しいカメリアは、歓迎するかのように光り輝きを放っている気がした。
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