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第2部 空白の五年間
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しおりを挟むそうやって、現実逃避をして七回入ると。
あっという間に一週間は過ぎ去って行き、陽菜は渾身に選び抜かれた馬子にも衣装なる鮮やかな真っ赤な着物を着付けられていた。
四季草花が描かれており、色彩豊かで陽菜を包む。織の袋帯は格式高い色合いで金糸が帯に織り込まれている。
メイクは地味だ。淡い色をグラデーションされ、瞼はすっかり着物を引き立たせている。
髪はサイドに緩く巻かれ、つまみ細工で作成された鮮やかで大きな赤と臙脂色のダリアが暗い顔を無理矢理明るく魅せる。
事前に釣書が渡されていたのと、本人自らが来て実際に数分だったものの会話をしていたので田嶋道雄がどんな男性か大体は把握していた。
地元の羽島出身で近辺の調剤薬局に勤続十一年の転職癖の無い有望株だ。無遅刻無欠勤で、女は家を守ると言う古典的な思考を持ち合わせている隠れ亭主関白である。
通された料亭の奥に佇む個室へ案内され、晴れやかな顔をした母は普段以上にメイクも華やかであった。
服も一式卸立ての様で、ベーシックなセットアップである。パールのネックレスは煌めきを放ち、生憎の雨模様ですら輝きを保っていた。
いや、やだ、きらい、が罷り通らないのはきっと、日常的に起こっている。
世界は多くの人々には優しい顔で照らしていない、善良な人間は蔓延るとは限らないのである。
重々しい足を動かして、草履がやけに重たく陽菜の体を引き摺る。拒絶した足元はじんわりと雨水吸って、足袋を重くした。
広い世界に居るはずなのに、ぽつんと格子に嵌められた様な和室は誰の声も届かない離れにあった。
別次元とも言える、そんな風情が現実味を帯びたのは、二人の影が目を留めたからだ。
「まあまあ、とても可愛らしいお嬢さんだこと」
相手側の田嶋家は、既に来ていた。
母親らしき女性は、奥ゆかしく上品なクリームカラーのワンピースを纏い、鎖骨下には鈴蘭の可愛いブローチが輝いている。
一方、陽菜の見合い相手である田嶋道雄は襟が高いシャツに、ネイビースーツにブルーのネクタイと言ったベーシックスーツで身を固めていた。
「────陽菜さん、天候も悪いのに、足を運んで頂いて……有難う御座います」
にこりと微笑む田嶋は足を崩さず正座をしたまま、陽菜を見据えていた。
立ち上がる素振りすら、ない。立ち位置は、相変わらずだと思った。
「雨に降られるなんて、この娘ったら雨女なのよ」
「……悪天候の中、申し訳御座いません」
「いいや、問題無いですよ、何も」
差し出された甘味が陽菜の前に出された。
小豆アレルギーだと伝えてあるにも関わらず、餡子たっぷりの黒々しい豆は餅米に纏われ、隣には黄粉が塗された御萩が出される。舌に乗って、喉元を過ぎれば陽菜を耐え難い痒みへ誘うのに。
「────美味しいわよ、貴女も食べなさいよ」
「……すみません、その、私、アレルギー……が」
「小豆アレルギー? 聞いたこと無いわよ、第一大豆すら珍しいくらいなのに?」
────アレルギーって、アンタ……小豆に? まあ、アクが強いからなあ。体調悪い時は特に絶対食うなよ、蕁麻疹出るぞ。
美味しい御萩を取り寄せたんだ。意気揚々と差し出されたツマの前に小豆が乗った御萩を男が陽菜の為に用意してくれたことがある。
陽菜は珍しく、小豆アレルギーであり、喉が痒くなったり舌先が痺れてしまう程体が反応するのだ。言い辛くて、口にしようとしたら見破って直ぐに手首を掴んだアレルギー持ちか?とぴしゃりと言い当てられたことがある。
小豆アレルギーは確かに、余り見掛けないだろう。
陽菜ですら、アレルギー検査をしなければ得無かった情報であった。
────アレルギーがあるなら尚更、俺に言ってくれ。危ないんだぞ、軽く見たら!
声を荒げて注意されて、陽菜は食べられませんと首を垂れて美味しそうな御萩を結局断った。
男は偉いな、ちゃんと自分で断ったな。そう眉を下げて陽菜を誉めて、頭を撫でた。
「……御免なさい、食べ、られません」
「ああ、アレルギーがあるんでしたっけ……此方こそ気遣え無くてすみません」
「……いえ」
見えない鞭で殴られている気分だ。宙を華麗に舞うくせに、容赦無く陽菜の体を一方的に打ち付けて心も砕かれそうだ。
神妙な空気を何とか打破しようと、先方は経歴や人格等を高く評価したエピソードを並べている。会話が耳に入らなくて、諂って、熱々の緑茶で喉を潤す。味がしない。
「この子ったら、私と夫の面倒を看るのは長男の役目って昔から聞かなくて。とても親思いの優しい子なのよ。薬学部を卒業して直ぐ戻って来てくれてねー」
「あらあら、なんて素敵な息子さんだこと!」
「母さん、そんな大袈裟な。家族なんだから」
「それに家は土地を持て余していてね、少し広いんです。もし良ければ二世帯とか、それか敷地内に息子の家を建てようかなと考えてまして。少し早いかしら?」
「その方が田嶋さんも安心ですね、何かあれば直ぐ子供達がいますもの」
緊張とストレスで胃痛がひどくて、三人が朗らかな顔で話し込む姿を遠い目で陽菜は眺める。当本人を蚊帳の外にして、楽しんでいるのだ。
陽菜は全く楽しくないし、さっさとこの場から逃げ出したい。
好きな人と添い遂げたかったのに、自ら手を離して、それでも思い出に縋っているくせに、見合い話をこうして立ち会っている。
そんな自分が一番嫌いだ。
陽菜は言い逃れをせず、立ち向かうべく時がやって来たのだと朝誓った心意気を、漸く引き摺り戻した。
湯呑みを置いて、ぎゅっと手の甲を痛いくらい摘んで言い出せ!と己に命令して、声を振り絞った。
「申し訳ないのですが、田嶋さんとは結婚……できません」
頭を深々と畳に着けて謝罪を受け入れるまで、上げるつもりは無かった。けれども、言葉を先に発したのは紛いもなく母だった。
「貴女、何言ってるのよ? こんなにも素敵な方が結婚して下さるのに馬鹿なの? 私への当てつけ?!」
「……忘れたくないひとが、いるんです」
「山藤さん?」
「この場を設けて頂いて、心より感謝しております」
ズルズルと時間ばかり過ぎ去り、早く切り出さなかったのは陽菜の間違いだ。時間をかければかけるほど、断り辛くなる。
その空気に押し負けて、丸め込まれるのは何十回と争いを避けた結果、一番悪い方向へ転換するのだと。
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