戀の再燃〜笑わぬ循環器内科医は幸薄ワンコを永久に手離さない

暁月蛍火

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第1部 まるで初めての恋

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「────せっかく、連絡先交換したのに、メールも来ないし……ぶっちゃけ今朝だって待ち伏せしてたのにさっさと帰るし。俺は酷く傷付きました」

「……御免なさい、メール……何書けば良いか分からなくて。それに、暗い顔見せたくなかったから」

「じゃあ、これで手打ちにしてやる」

 ドライヤーを片手で持った陽菜の前に胡座をかいて、眼鏡を外した。ほら、と濡れた頭髪を差し出して首を垂れるので陽菜は暗雲の気持ちが晴れてしまった。くすりと笑って、この人は陽菜を笑わせるのが得意なのだろうかとすら思った。

「……先生って、どうして当直ばっかり?」

「四代目ボンクラ院長の横柄さに皆んな辞めて絶賛医師大募集中」

 何気無く質問をすると、想定内の答えが返ってきた。陽菜が勤める病院では四代目院長はスタッフに当たりが強く、時として怒鳴り散らしたりカルテを投げる程の横暴さが目立っていたからである。

「ああ、院長先生……私怒られたことあります」

「お前か?視界に入れたく無い事務って?」

「う……っだから外科出禁になったんです……って、何で御存じなんですか」

「いや、医局で出禁にしてやった若い事務を外科から摘み出したって言ってたから……」

 陽菜はその若い院長にひどく嫌われていた。怒りのあまり患者の前で履いていた靴を投げられる程の、ことだった。
 患者の手前、毅然とした態度で院長に対しても臆せず物申したのは、正直正しい判断だったとは思えなかった。ただ、内容が内容なだけで、人種差別や外的差別に該当してしまって、陽菜はそうせざるを得なかったのだ。

「……院長担当の助手さんに依頼された検査データを持って行った際に、髪の、色を指摘されて」

「地毛なんだろ?それ」

「学生の頃から頭髪調査で何度も引っ掛かる程、色素薄くて…染めるのも傷むし…」

 頭髪検査で、証明書を提出しても無駄だった。個人情報だろう、こんな物提出する義務なんて…と憤る気持ちを沈めて淡々と提出したが、無駄足だったらしい。

「だからか、髪、綺麗なのは」

「……髪触るの好きなのですか?」

「いや?別に……山藤の髪、なんか綺麗で……柔っこくて、触りたくなるんだよ」

 最賀はさらりと陽菜の髪を良く指先で触れて確認する。枝毛があったら嫌だな、と念入りにトリートメントやどんなに億劫でもドライヤーを念入りにする努力が報われた髪は品やかに最賀の指を滑って行く。

「髪下ろしてるのも、可愛いな」

「────誤解を招く発言は控えて、下さい」

「何だよ、俺じゃ嫌なのかよ」

「嫌じゃ無いから、申し上げてるんです」

「じゃあ、俺に委ねても良いだろ?」

「え……」

 陽菜は緊張のあまり湧き出た唾液を思わず嚥下してしまった。

「最初はあのボンクラに意見したって言う強者がいるのを聞いて、見に行ったら小柄な事務だったから」

 外科外来の敷居を跨ぐのは許可しないと、院長から直々に断言されたので陽菜は何があってもその空間や視界にすら捉われないよう細心の注意を払っていた。

「後ろ髪がなんかふわふわ浮いてて、振り向いた時に作った顔で立っているのが気になった」

 別に特別なことでは無い。続けて最賀は理由をゆっくりと、けれども確実に迷い無く教えてくれる。
 年がうんと離れた男に頭を撫でられるなんて、気味悪がれると思えば、綻んだ顔が印象的で釘付けになったのだ、と。

「なんか、やっと見れたなって……それを引き出したのが、俺なのかって思ったら……変な話なんだよ」

 貼り付けた仮面が剥がれた陽菜に、そんなことを抱いていたのは知らなかった。

「父親代わりにでも見てくれていたら、それこそ諦めがついたのに……」

 陽菜こそ、笑わぬ医者だと患者やスタッフからも言われている鉄面皮が、取れた瞬間を目にしてから。

 その笑顔がずっと頭から離れなくて、もっと見てみたいと思ってしまったのだ。

 それこそ、なんて叶わぬ無相応な気持ちが生まれてしまったのだろう。

 陽菜は心の中にぎゅうぎゅうに仕舞い込んだはずなのに、最賀を見掛ける度に顔を出してしまう恋心に蓋をまた閉める、を幾度と無く繰り返した。
 反復練習以上の同じ動作に、早く消えてしまえば良い。そうやって当直明けの睡魔と疲労と眩い光の中で、悲しくなるのだ。

 期待を滲ませた視線を、知らず知らずに送っていたのを悟られていたのを知って陽菜は顔を赤らめて伏せる。

「私、恋…をするのは初めてですが、これが、勘違いとか、父性を求めている、とかじゃないのは分かってます」

 分かったから、知ってるからとは言わずに最賀は黙って立ち上がると狭いキッチンで何かを用意している。すると、直ぐに手に湯気が仄かに立ち昇るマグカップとビール缶を持って来て陽菜の隣に腰掛けた。

 食欲が無くて代わりに温かいコーヒーリキュールのカルーアミルクを出されて、子供扱い?と首を傾げるがくつくつ喉を鳴らして、してないよと言うのだから。

 朝から甘いお酒を飲む行為はとても背徳的な気もした。それでも、陽菜の華奢な肩に腕を回してビールを飲む男の腕の中で、安心感を得たかった。

「……最賀先生のこと、が好き…です」

「俺も年甲斐もなく……まあ…、仲良くしましょう」

「え……肝心な言葉は仰って下さらないのですか…」

「馬鹿、簡単に口走ってたら、唯のヤバいおじさんだろ……」

「……ヤバいおじさんでも、良いです」

 唯のヤバいおじさん、とはどんな人物なのだろうか。陽菜は怪訝そうに首を傾げる。
 最賀は目を見開いて、それから目が泳ぎながらも唇に動きが見られる。

「……好きだよ、山藤のこと」

 ぼそっと小声だが、けれども陽菜の耳にはしっかりと届いた。陽菜は少し頬を赤らめて、口の中に甘いカルーアミルクが広がって行くのを感じた。



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