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第1部 まるで初めての恋

4-1【子供みたいな恋愛、初めての深い場所】

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「ショックバイタル……じゃない?……はあ、そうですか」

 ショックバイタル、とはショックの五徴候に該当することを意味する。
 ショックの5'sとも言われ、皮膚・顔面蒼白、発汗・冷や汗、肉体的・精神的虚脱、脈拍微弱、不十分な促迫呼吸が該当するのだ。血圧低下に加えて心拍数や頻脈・徐脈、皮膚が蒼白していたり、冷や汗または39℃以上の発熱等の項目のうち、三項目該当する場合はショックと診断される。

 急を要する場合、救急隊員から申し送りで直ぐにバイタルと言って生命兆候を意味する状態を伝達されるが、今夜は特段変わっていた。
 救急隊員がほっとした表情で受け入れ可能の病院に送れた、と言う様子だ。

「何処もいっぱいで……助かりました。ええと、玉突き事故の二台目乗車していた方で、バイタルは問題無く意識清明で……」

 慌ただしくストレッチャーに、頭部と首を固定され、仰向けの状態で運ばれる二名が救急外来に搬入されて行った。看護師や技師、最賀は申し送りを聞いた後に検査室へ急いで向かって行く姿を陽菜はただ見送るしか出来なかった。

 人手が足りないことで、一先ず患者から緊急連絡先を聞き出し、家族へ連絡を入れる。気が動転して病院へ向かう途中で事故を起こす可能性もあるので、詳細は電話では話さないことがある。

 けれども、カルテを急いで作成している時、ふと気が付いた。

──あれ? 電話では二人には……。

 同乗者二人が夫婦では無いにも関わらず、何やら大荷物だったことが気になった。電話で事情を伝えて到着時間を確認し、電話を切ってから陽菜は検査室へ紙カルテや入院手続きに必要な書類一式を持って走る。

「ああ、カルテもう出来たのか?」

「お二人のご家族の方は五十分後に到着するそうです」

「……住まいは……ああ、微妙に距離あるからか」

「……そう、ですね」

「頭部CTの画像は問題無さそうだが……あー……開放骨折じゃ無いだけマシ、か」

「開放骨折している場合は確かに……急を有しますからね」

 技師が撮影した画像を見ながら、話し込んでいる。漸くカルテに視線を落とすと、最賀は眉間に皺を寄せた。

「……面倒な関係じゃないことを祈るしかないな、これは」


 嫌な予感はあっさり的中するものだ。

 玉突き事故で大騒ぎになり、双方の患者の家族から止めに入った陽菜は、バインダーが飛んで来た。ばん、と強い衝撃に何とか腕でガードするがよろめいて、陽菜は尻餅をついた。掌が擦過して、痛みが走る。

 患者二人は不倫関係にあったらしく、被害者である運転席にいた男性の妻と、同乗していた女性の夫とその身内がこぞって集結したことで騒動が起きたのである。

 緊急連絡先が夫や妻で無く、親族だったので何か引っ掛かる点は幾つかあり、後からやって来た家族が怒鳴り込むことも屡々しばしばあるのだ。

 同乗者が実は身内では無いケースは、珍しく無い。内縁の妻だ、と叫ぶ女性が実際は愛人だったりと修羅場になることもあった。着替えや入院に必要な物を持って来たのか、荷物は散乱している。

「あんたがそこにいるからじゃない!」

 医療事務は誰からも重宝されない。あなた、事務さん、クラークさんが名称なのである。

「知ってて浮気、黙ってたんですか?! そちらさんの汚い女がうちの主人を誘惑してるのを!」

「貴女こそ、旦那の手綱きちんと握ってないのを棚に上げて何なんです? 子供だって小さいし、第一離婚をしたって母親がいない家庭は教育に──」

 バインダーに挟まっていた同意書や手続きの書類は、明らかに動揺して字が歪んでいた。まだ乳飲み子を抱っこしたまま、女性は金切り声を上げて叫ぶ。

 当事者の二人はさっさと病棟に上がってしまったので、これから地獄が待ち受けているだろうが。
 陽菜は怒号の中で陽菜は床に散らばった紙を拾いながら、頭上で怒声が降り注ぐのをただ、聴くしか出来なかった。

──お母さんもあんな風に怒ってたな……。

 まだ五歳の頃に、平手打ちをしてフローリングに転がった陽菜を見下ろす母は抱っこ紐をして弟を片手に抱えながら睨んでいた。悪い子ね、貴女はと陽菜を嫌悪していたのを昨日の様に脳裏に映し出される。

 スクリーンの中では家族とは幸せで、温かみのある家庭を築いて。公園でレジャーシートを敷いて、手作りの弁当を食べる光景が普通なのだと知った。

 運動会も音楽発表会も、卒業式さえも顔を出さない母だったので、そんな人が陽菜を家族の一員として仕方無しに隙間へ入れた試しなど無い。


 そんなことを思い出して、その日は長い、長い夜だった。


 ついていない日はこうも続くのだと思い知らされた気がした。


 予報では晴天であるとニュースキャスターが天気予報で伝えたものの、暗雲が立ち込めて帰路を歩く頃にはすっかりと大雨であった。
 駅までの道のりは半分と言うところで、ゴロゴロと嫌な音が鳴った数分後にはバケツの水をひっくり返した様な強い大雨を頭から浴びる羽目になった。

──私が悪いって言うの?!

──別々の階にする配慮くらいしろよ?! はあ?! ベッドの空きって……こっちは事故に遭った被害者なんだぞ?!

 罵倒され、手に持っていた同意書が挟まれたバインダーを投げられて陽菜はそれでも頭を下げるしか出来なかった。

 無力だ、と感じた。

 ベッドコントロールは病棟の看護師が行うことだ。
 ましてや、緊急入院で病棟に上げるので、夜間と言うこともあって中々配慮をすることは困難極まりない。日勤帯であれば、まだ人手も多く師長や主任クラスの看護師がリーダー業務と言ってその日の全体像を把握し指示を出す役割がいる。

 だが、夜勤の限られた人間で業務遂行する時間帯では、不可能に近いのである。

──看護師さんに言えないから、私を捌け口にしないと、心が持たないのは、分かってる、分かってるけど……。

「山藤? ずぶ濡れじゃないか」

 最賀が後ろから走って陽菜へ追い付いた。大きな傘を差して、はあはあと息を荒くしている。膝に手を着いて前屈みで呼吸を整え、顔を上げる。

「……最賀先生、お疲れ様でした」

「お疲れさま、じゃないだろう。そんな濡れて……風邪引く。タクシー拾おう、家何処だ?」

 駄目だ、今顔を見たら泣いてしまう。弱い自分ばかり見せて、迷惑を掛けてばかりだから。

 何処に居ても陽菜を見付けて真っ直ぐ走ってくる男の優しさに体重を預けるのは暴君以外何者でもないのに。陽菜はぽつりと本音が雨音の中小さく溢れた。

「先生が……いつも私を見つけてくれるから、勘違いしてしまうんです。もう優しくしないで……」

 聴こえたのか、それとも雨水が打ち付ける中掻き消してくれたのかは定かではない。

 ただ、最賀は陽菜が憔悴した様子をやっぱり放置しなかった。

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