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第1部 まるで初めての恋
1-1【23歳、はじめての出会い】
しおりを挟む医療事務をする山藤陽菜は、夜な夜な出没する救急外来の家主とも呼ばれる循環器内科医師である、
最賀忠と拙い恋愛をしていた。
初恋だった。
初めてを捧げた男だった。
男とはうんと年も離れている。頭では分かっているのに、止める術を知らなかったと言い訳する。
「……アンタが望む、温もりも、家族も。全部……俺が、与えられたら、なんて」
サイレンの音、チカチカと点滅する赤色、救急隊の切迫詰まる声音。
夜明けに宣告されても、隔たりがあっても手を離せなかった。大きな背中を抱き締めて、無言の愛を囁くしか無かった。
だが、院内で持ち切りになった「許嫁」が別にいることを知り、陽菜にも見合い話が舞い込んでくる。
そして。
縛り付ける母親からの糾弾、契約満了を言い渡され負の連鎖によって仲は裂かれてしまう。
しかし。
──五年後。
陽菜の母親の葬式前で、喪主の弟が叫んでいる。
「うちの姉を誑かして! 田舎に出戻った姉の人生を滅茶苦茶にした貴方が!」
陽菜は夜行列車、二人が逃避行した思い出が過ぎ去るのをただ噛み締めていた。記憶は薄らぐ筈なのに、昨日のことのように思い出せる。
寒空の下、手袋越しですら分かる、決意の表れ。鼻頭がひりひりと冷気で真っ赤になっているのに、何処か幸せに満ちていた。
今この瞬間が、最骨頂なんだと陽菜は不透明な行き先にすら心を震わせていた。
けれども、誰かの幸せの上に成り立つ幸福は崩れ落ちるのは簡単だ。後ろ指を指されながら生きるには、あまりにも若過ぎた。
縛り、縛られた人生をこの人に強いてはならないんだ、と。
くしゃりと控え目に笑う目尻の皺ですら愛おしかった。
陽菜は駅のホームで離れ難い手を握って、男の目を見据える。
「──戻りましょう、貴方がいるべき場所に」
そう言って、その手を離したのに。
喪服に身を染めた男は雨がしんしんと降り注ぐ中、家の敷居手前で佇んでいた。
五年ぶりに、その男の顔を見る。皺が薄らと刻まれて過ぎ去った月日を感じる。白髪混じりの漆黒の短い髪には、苦労が物語っていた。なで肩で、肩甲骨が綺麗な男だった。陽菜の指が辿って、記憶している。
「挨拶なんか、要りません。帰って下さい」
敷居を跨ぐな、と弟が言いたげな面持ちで男の前に立ちはだかった。けれども、男は一歩も引かなかった。深々と首を垂れて、こう口にした。
「……迷惑なのは承知の上で、せめて此処からでも別れを見届けさせて下さい」
真っ黒な傘を畳む。濡れ鼠の男が、そこにいる。
別れの挨拶は身内だけでひっそりと行われていた。
陽菜の母は五年前に余命宣告をされてから、ゆっくりと衰弱して行った気がする。元気が無い、意欲が駆け落ちてホスピスの病室からぼんやりと魂が抜けた様に見詰める姿が痛々しかった。
母の余命宣告、見合い話を正式に断り再出発を果たす為に、逃げ出した地元に戻るなど数年前の陽菜には考えられないことだった。
それでも、家族を捨てられなかったのは己の僅かな一筋の希望が何時迄も陽菜を苦しめる。見合い話を受けるべきだと湯呑みを投げられ、普通のことがどうして出来ないのと涙ぐまれても陽菜の心は動かなかったからだ。
親不孝者と病室で果物籠に入った桃を投げられて、顔に当たっても何も言い返せず私が悪いと卑下して完結させなければ、話は始まらないのだから。
そうやって、幼少期の自分を辿りながら一歩進むと一歩下がる日々を送る時間が長く感じた。
五年の月日が経っても、まだそこから動けない陽菜と、男の陳腐な恋愛。
俺たち、若かった、で済ましたくないんだよ。
夕暮れのバス停に佇めば、男の声がまだ耳から離れない。
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