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しおりを挟むその週の金曜日、澄川くんを誘って和食屋さんにランチに来た。ここの鯖の味噌煮とお味噌汁が大好物で、時々無性に食べたくなるときがあるのだ。基本的に薄味だけれど、身体の内側から優しさがじわじわと浸透していって癒される。
「へえ、じゃあ一ノ瀬とご飯行ったんだ」
「まあ……そうなるのかな」
「楽しかった?」
「……別に、普通」
澄川くんは時々意地悪だ。笑顔で試すように私が聞かれたくない質問をしてくる。
「よかったね」
「な、なにが?」
「んー、つまらないって思わなかったってことでしょ」
「……まあ、そうだけど」
つまらなかったわけじゃない。けれど、楽しかったとも言えない。一緒に行った相手が一ノ瀬だから、複雑な心境になる。
「本当星野はさ、素直じゃないよね」
「……澄川くんは意地悪だね」
「そうかもね」
悪びれることもなくニコニコと微笑んでいる澄川くんに言い返せない。なにもかも見透かされてしまっているような気がする。そういうところはクレールと似ているけど、澄川くんの方が大人の色気みたいなものを感じる。
「星野が素直になれば、簡単に解決する問題だと思うけどな」
「簡単、かな」
「まあ、後悔だけはしないようにね」
「……うん」
鯖の味噌煮に視線を戻し、身をほぐして口の中に運ぶ。やっぱりここの鯖の味噌煮は最高だ。……一ノ瀬が連れて行ってくれたお店のご飯も美味しかった。そんなことが頭に過ぎって、慌てて水を飲んで意識を切り替える。
「星野は素直じゃないけど、わかりやすいよね」
「それって、顔に出やすいってこと?」
「うん。だから俺はなんとなく星野が認めたくない感情がなんなのかも察しがつくし。ああ、そう考えると一ノ瀬もわかりやすいかな」
一ノ瀬がわかりやすい?と私は首を傾げてしまう。むしろわかりにくい気がする。わかるのは前世が兄弟だからというのも関係しているのか、それとも彼が察しがいいだけなのだろうか。
「……澄川くんはわかりにくいよね」
「そうかな」
「優しいけど、昔から本心をなかなか見せてくれなかったでしょ」
視線が交わる。吸い込まれそうなほど真っ直ぐな黒い瞳が私を捉えた。澄川くんは線が細めで、中性的な綺麗な顔立ちをしている。前世の彼の面影をそこには感じて、懐かしさが胸に押し寄せてきた。
「昔の俺は、今より隠すのが下手だったよ」
眉を下げて微笑む澄川くんは、普段よりもあどけなさを感じる。澄川くんも、クレールも、あまり自分の話をせずに、私の話ばかり聞いてくれていた。クレールも、澄川くんも優しい人。前世と今世は違うとはわかっているけれど、重なる部分があると私は取り残される感覚が薄れていく。
「そういえばね、多分一ノ瀬にはアルフォンスの記憶がないみたい」
一ノ瀬と話していて、確認しなくてもわかった。彼には前世の記憶がない。私や澄川くんとは違う。
「それなら星野が一ノ瀬を毛嫌いする理由はないよね」
「え?」
「だって星野は兄上……アルフォンスが嫌で生まれ変わりの一ノ瀬を警戒していたんだよね」
「う、うん。そうだけど」
「でも、全く記憶のない別人なら一ノ瀬自体を嫌う理由なんてないよね?」
確かに澄川くんの言う通り、私が嫌なのはアルフォンスであって一ノ瀬自体に嫌なことをされたわけではない。ただ生まれ変わりというだけで、今の彼は別人だ。アルフォンスはもういない。一ノ瀬を一人の人間として、見るべきなのはわかっている。
「一ノ瀬は……一回でも一緒に出かけたら私のこと諦めてくれるのかな」
一ノ瀬が何度も私のこと誘ってくるのは、きっと一度もデートを了承しないので躍起になっているだけだ。だったら彼とデートへ行けば、その後は誘ってこなくなるかもしれない。
「星野」
澄川くんの手が私の方に伸びてくる。なにをされるのかわからず固まっていると、伸ばした手を引っ込めて眉を下げて微笑んできた。
「行っておいでよ」
「う、うん」
「大丈夫だよ。きっとふたりなら」
なにがなのかはわからないけれど、澄川くんの優しい笑顔に言葉が詰まって、私は言葉を返せなかった。澄川くんも前世の記憶を持っているのに、一ノ瀬とアルフォンスをちゃんと切り離して見ている。簡単にできることじゃないけれど、私も澄川くんのように前世に囚われすぎずに生きたい。
ふたりで出かけるときは、アルフォンスと重ねずに、一ノ瀬晴翔をちゃんと見よう。
***
午後からは、大忙しだった。新製品としてヘアケアブランドを立ち上げることになったため、十五時から会議が行われた。
今回は販促だけではなく、商品開発など新製品携わる部署全体での合同会議だから一番広い会議室だ。楕円形のテーブルを囲み、プロジェクターに新製品の概要が映し出される。
ターゲットは十代~二十代の女性。人気漫画家とのコラボを予定しており、学生も気軽に参加出来るイベントも行う予定で、この商品にちなんだノベルティも制作するようだ。
「うーん、でもこういうヘアブランドでターゲットが十代~二十代なら、今人気のモデルとかのほうがいいんじゃない? たとえば、最近テレビとかでも話題の美月雫さんとか」
ひとりの言葉に賛同する声がちらほら上がる。確かに知名度の高いモデルを起用すれば、一定数の支持は得られる。
この会議に参加している人たちで漫画に詳しい人はあまりいないようで、それよりも芸能人を起用したほうがいいという意見のほうが多いみたいだ。けれど、今回予定している人気漫画家は、数作品がドラマ化やアニメ化がされている。そのためターゲット世代からの知名度も高いはずだ。
そう思っていても、この芸能人の方がいいという流れの空気の中で自分の意見を告げるのは結構勇気がいる。けれど、このままだと人気漫画家とのコラボはなくなってしまう。
意を決して肺に酸素を送り込む。たとえ、賛同してくれる人が少ないとしても言わなくちゃと、手を挙げようとしたときだった。
「俺は面白いなって思います」
自分ではない声に驚いて、弾かれたように振り向く。私が思っていて言えなかった言葉をさらりと言ったのは一ノ瀬だった。一気に彼に視線が集まり、次の言葉を待つように静かになる。
「芸能人を起用するのはいつもどおりのうちの流れですけど、時には新しい試みも必要だと思うんですよね」
「とは言ってもねぇ……漫画とコラボってうちの会社ってしたことないし、成功するかもわかんないじゃない?」
悩ましげな声や反対する声が聞こえてきて、不穏な空気が流れる。
「わ……っ」
ここで言わなきゃ、なんのために参加している会議なのだと心の中で自分を叱咤する。言われるがまま流される仕事はしたくない。自分なりに考えて行動して、やりがいのある仕事をしたい。
「っ、私も漫画家コラボ面白いと思います!」
力みすぎて思ったよりも大きな声が出てしまった。
「あ……その、私もその漫画家のファンの一人なんですが、胸キュン漫画といえばこの方って感じで、特に中高生に絶大的な支持を得てるんです! 最近その方の作品の実写映画化も発表されて注目されてますし、やるなら今だって私は思います!」
一気に視線が集まってきて、緊張と恥ずかしさに顔が熱くなり早口になってしまう。けれど、ちゃんと伝えたい。パソコンで検索をかけて、実写化が決まった作品をみんなに見せる。
「あ、私もその作品知ってる!」
「私も。雑誌で特集されてた記事読んだ」
作品名で思い出した人もちらほらいて、先ほどよりも食いついてくれている。あともう一歩かもしれない。
「今、企画の方ではイラストで物語を展開するPVを作成したり、購入した方限定でQRコードから読み取って電子書籍で読める胸キュンショートストーリーなども作成する案が出ています」
発案者の篠田さんが、プロジェクターの画面を切り替えた。胸キュンショートストーリーは面白そうだし、髪にまつわる物語にして登場人物に共通点とかがあったら集めたくなりそうだ。
「あー、それでストーリーが何パターンかあったら面白そうだね!」
「学校で回し読みとかもできそうですよね。そしたら、自然と日常で話題になりますし」
中高生をターゲットにするなら、SNSだけではなく学校で拡散してもらうことが重要だ。学生の頃って誰かがハマると伝染していくことも多い。私のときもそういうのがよくあった。
「これは予算の問題でできるか微妙ですが、イケメンキャラの一言ボイス付きっていうのも案が出てます」
その発言に一部の人たちが騒めきだす。
「うわー、それいいね! 好きな声優さんとかだったら嬉しい」
「私もそういうのやってたらちょっと買っちゃうかも」
確かにボイス付きなら、学生だけじゃなくて成人女性のアンテナにも引っかかる可能性が高い。
「声優さん好きな人は、演じているキャラクターが違くてもその声優さんが出演しているってだけでチェックしたりしますしね」
そういえば、私の友達でも声優さん好きで出るアニメは必ず一話は録画するって言っていた。人気漫画家とヘアケアブランドのコラボ、そしてオリジナルショートストーリーでボイス付き。それが実現できたら社内では今までにない試みだ。
モデルにしたほうがいいという話から人気漫画家とのコラボのほうに話が傾き、最終的に部長が意見をまとめだ。まだボイス付きかは決定ではないけれど、今回は人気漫画家とのコラボということで決定した。
会議が終わり、会議室の片付けをしていると後ろから肩を軽く叩かれた。振り向かなくても誰だかわかってしまう。
「なに?」
ため息を吐いてから振り向くと、頬を指で潰された。
「……なにしてんの」
「お、引っかかったな」
「馬鹿じゃないの」
目を細めて一ノ瀬を見ると、顔をくしゃっとさせて楽しげに笑っている。
「これ、昔やらなかった?」
「……小学生の時ね」
仕事になると頼りがいあるのに、こういうときは急に子どもっぽくなるときがある。一ノ瀬の笑顔が眩しく感じて、視線を逸らすためにホワイトボードを綺麗にしていく。
「で、デートはいつしてくれる?」
「今週の土曜ならいいよ」
ホワイトボードを消し終わり、一ノ瀬に視線を向けると目を見開いてきょとんとしている。なんでそんな顔してるんだと、眉を寄せる。こっちだって一応勇気を出して答えたのに、無反応だと恥ずかしくなってくるんだけど。
「……え、まじで?」
「一度しか言わないからね」
「じゃあ、連絡先!」
「え」
スマホを取り出して、ぐっと顔を近づけてきた一ノ瀬に驚いて、一歩下がる。
「じゃないと、待ち合わせとか面倒だろ。ほら」
「……わかった」
一ノ瀬と連絡先を交換し終えると、いつもよりも少し高めの声で「じゃあ、詳細は連絡する」と言われた。
すごく嬉しそうに見えるのは本心なのだろうか。どうしていつも酷い態度をとっていた私にこんな風に接してくれるのかわからない。嫌われたっておかしくないのに。
新たに増えた連絡先を眺めながら、胸の奥に広がる不思議な感覚に戸惑いを感じた。
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