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しおりを挟むその日の夜、会社から一駅離れた居酒屋の個室である人と待ち合わせをした。そこは三年くらい前から使っている私と彼の密会の場所だ。ビールを一気に胃へと注ぐように飲み干して、息をつく。
「……相変わらずの飲みっぷりだね」
同期の澄川くんが、私の空いたビールジョッキを見て苦笑した。
「だって、なんか最近調子狂う!」
「落ち着いて。あ、ほらそこ溢れてる」
澄川くんには一ノ瀬と関係を持ったことは伏せているけれど、一ノ瀬にデートに誘われていることは打ち明けている。
「だけど、一ノ瀬って噂とは違って恋愛関係、案外真面目じゃない?」
「真面目……?」
「女遊びしてるって言われてるけど、実際社内で誰かに手を出したって聞いたことないし」
黙っていてごめんなさい。実は私、関係持ちました。なんて吐露をしたら、今まで嫌っていたくせにと澄川くんに軽蔑されそうだ。
「ソフィアと兄上は喧嘩するほど仲がいいって感じだったから、星野と一ノ瀬を見てると懐かしくなるよ」
「別に仲良くなんてなかったよ」
彼も前世の記憶を持つ人であり、〝ソフィア〟を知っている。私にとって唯一前世の話ができる貴重な相手だ。
澄川くんと出会ったのは、入社式の日だった。早く着きすぎた私はコンビニでお茶を買おうとしていると、振り返ると男の人が立っていた。
目があって、一瞬時が止まったように息をのんだ。身体にピリピリと電流のような感覚が走り、僅かな痺れによって思うように力が入らない。手を擦り合わせて、指先の感覚を確かめる。
誰かはわからない。きっと今日ここで初めて会った人だ。だけど、すごく懐かしい気持ちになる。胸の奥が妙にざわついて、呼吸を自発的にしないと忘れてしまいそうになった。
『あ、あの……』
私はこの人のことを、ずっと昔から知っている気がする。彼はじっと私のことを見つめながら、『ソフィア』とつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。かなり驚いたし、戸惑ったけれど、確かに相手はそう言ったのだ。聞き間違えるはずがない。
『クレール……?』
私も同じように少し震えた声で呟くと、彼は驚いたように目を見開いたあと嬉しそうに微笑んでくれた。
ああ、やっと出会えた。そんな風に心から思った。前世の記憶があるのに、前世で出会った人にはそれまで出会えなかった。このとき、私はやっと〝再会〟ができたのだ。
まあ、そのあとすぐにアルフォンス……一ノ瀬とも顔を合わせて、私の脳内は大混乱だったけれど。そんな出会いがあって、そこから私たちは互いの前世の話をするために時々こっそりと飲みに行くようになったのだ。
「兄上にとってソフィアをからかうのは愛情表現だったんだよ」
「そんなわけないって」
澄川くんは、アルフォンスの弟のクレール王子の生まれ変わり。もうあの頃のような黒髪ではなくて、今は焦げ茶色の髪。けれど優しげに笑った顔はあの頃と変わらない気がする。
「ねえ……一ノ瀬には前世の記憶があると思う?」
「うーん」
澄川くんは枝豆を食べながら、少し考えるように視線を上げると小さく首を横に振った。
「その可能性は低いんじゃないかな」
「どうして?」
「俺と会った時、特に驚いていなかったし。本当に初対面って感じだったからさ。記憶があるなら、俺らが出会った時みたいな反応してるんじゃないかな」
「そっか」
確かに私と一ノ瀬が初めて出会ったときも一ノ瀬は全然驚いている素振りはなかった。澄川くんの言う通り、一ノ瀬が前世の記憶がある可能性は低いのかもしれない。
「私たちはどうして前世の記憶があるんだろう」
普通はあるはずないのに。それを持っている理由とかってあるのだろうか。
「それに偶然私と一ノ瀬、澄川くんが出会うなんて……すごい話だよね」
どこかにお兄様もいるのだろうか。お母様やお父様もまだ出会っていないだけで、近くにいたりするのかもしれない。
アルフォンスとクレールの転生した姿にも気づいたのだから、他の人に出会っていたらすぐに気づきそうだ。けれど転生といっても、必ずしも同じ時代に転生できるとは限らないだろうから、出会えない場合もあるのかもしれない。
「……偶然、なのかな」
ポツリと呟くように澄川くんが言葉を漏らした。私は顔を上げて、目の前に座っている彼に視線を向ける。
「どういうこと?」
「こうして俺らが同じ時代で、同じ会社で出会ったのは……強い未練があるから、とかさ」
澄川くんの表情はどこか寂しげで、触れていいのかわからなくて上手く言葉が出てこなかった。
私が知らないだけで、澄川くんは心の中で葛藤していることがあるの? クレールにとって強い未練があったってこと?
私には、彼に未だに聞けないことがある。クレールはいつ亡くなったのか。〝あの出来事〟でクレールは、命を落としているのかどうか。そして、〝あのこと〟を知っているのだろうか。
「まあ、憶測でしかないけどさ。そういう可能性もあるんじゃないかなって思うんだ」
前世の強い未練……。そうか、それなら思い浮かぶことは一つだけある。
「じゃあ……アルフォンスは私を強く恨んでいるのかも」
だから私と一ノ瀬が出会って、たとえ記憶がなくても無意識に私に近づいてくるのかもしれない。彼自身は記憶がないから今は私に敵意はないのかもしれないけど、何かの拍子に思い出したら……一ノ瀬と私の関係は今みたいなものではなく、かなり悪くなるかもしれない。
「恨みって、恨まれるようなことしたの?」
「あ……いや」
これはアルフォンスの弟であったクレール……澄川くんには言えない。
言えないっていうのは、ただの私の身勝手な都合で結局は自分のことしか考えていないわけだけど。話すのは怖い。これを知ったら、澄川くんは私を嫌うかもしれない。拒絶してくるかもしれない。せっかくこうやって再会して話ができるようになったのに、嫌われたくない。
「アルフォンスって私のこと嫌いだったじゃない」
「え、本気で言ってる?」
「うん、そうだよ。私に対してすごく嫌な感じだったし、最期まで私たちは仲良くなんてなれなかったよ」
そう、ソフィアとアルフォンスは仲良くなんてなれなかったんだ。端から見れば、仲良さそうに会話をしているように見えたかもしれないけど、そういうわけじゃなかった。
「もしかして……覚えてないの?」
「え? なにを?」
私も完璧に全ての記憶があるわけじゃないから、忘れていることもある。だけど、仲良くなったことはないはずだ。思い出す出来事は九割、アルフォンスが意地悪してきて私が怒ってる。
「いや……そうだ、この際一度デートに行ってみたら?」
「はい!?」
澄川くんは軽くそういうこと言ってくるけど、私とってはかなり大きなことだ。アイツとデートなんてできる気がしない。
「だってさ、それ一度行っちゃえば一ノ瀬だって諦めるかもよ?」
「うっ」
「そのほうがいいんでしょう?」
にっこりと微笑む澄川くんがクレールと重なる。昔と変わらない。私はクレールの笑顔には弱いんだ。前世の頃も同い年だったけれど、弟のように可愛らしかった。恋をしていたわけじゃないけれど、大事な存在であることには変わりなかった。
「そ、そうだけど」
「なんでそんなに嫌がるのかわかんないなぁ」
「だって、無理だよ……絶対無理」
残っている枝豆を口の中に放り込む。枝豆に似てる豆も前世にもあったなぁ。あの頃はそれがすごく苦手で、アルフォンスが嫌がらせのように私のお皿に乗っけてきて、お兄様に行儀が悪いって叱ってくれたっけ。あのときは、ちょっとアルフォンスに仕返しが出来た気分だった。
そういえばアルフォンスはお兄様には、意地悪言ったりしなかった。
どうしてアルフォンスはお兄様のとこによく来るのかって聞いたら、『俺はアイツを尊敬してる。だから、もっとよく知りたい』そう答えていた。
あの時は少し驚いた。まさかあのアルフォンスがお兄様に対して、そんな風に思っていたなんて思いもしなかったから。そこだけは私と同じ気持ちなんだなって思ったけれど、やっぱり私はアルフォンスが羨ましくて嫌いだった。
お兄様の隣は私よりもアルフォンスの方が様になっている。あの頃の私は彼らに比べると弱くて、守られる立場で……っ、痛い。
ずきりとこめかみ辺りに鈍い痛みが浸透していく。またこの痛みだ。きっと私が思い出していない記憶。痛みの先にはなにがあるんだろう。
「一ノ瀬ってかっこいいし、基本的に優しいと思うけどな」
「……澄川くん酔ってるんだね」
私には、澄川くんに言えないことがある。
「本気でそう思ってるよ。それとも俺の方がいい?」
「あははっ!」
「……酔ってるね」
自分がどんな死に方をしたのかは覚えていないけれど、これだけは覚えているんだ。
「酔ってない酔ってない! 澄川くんも冗談言うんだなぁって」
「ソフィアもいつもそうだったよ、俺がちょっとかっこつけると笑うんだ」
アルフォンスが死んだのは……
「そんなことないってー!」
「ほら、空いたグラスこっち置いて」
「面倒見いいとこは変わらないよねー」
確実に私が原因だったはず。
どんな出来事があったのかはわからない。けれど、断片的に視える記憶はアルフォンスが私の目の前で死んだ。そして、私は『自分が原因でアルフォンスが死んだ』と強く思ったことを覚えている。こめかみ辺りが鈍く痛む。
『どうだ……————気分は』
『……っ、最悪な気分よ』
『そうか』
『だから……————許さない!』
声が脳内に途切れ途切れに聞こえてくる。だけどそれが、重要な会話なのかわからない。
その記憶に触れようとするとパチンッと弾けて消えていった。あれはきっと私とアルフォンスの会話だ。最悪ってなんのことなのか、許さないって何をされたのか。全く思い出せない。
「〝ソフィア〟も、昔と変わってないよ」
澄川くんはそう言って、少し苦しそうに笑った。前にも見たことのある表情だ。
ああ、そうだ。……前世の頃は————
『ソフィアは何もわかってないよ』
そんなことを言われたんだ。
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