素直になれない君が好き

うり

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 私と一ノ瀬の出会いは、入社式してすぐのオリエンテーション。何度思い返しても衝撃的なものだった。けれど衝撃的とはいえ、運命とは違っていると思う。それは、運命を呪いたくなる瞬間だった。

『一ノ瀬晴翔です』
 艶やかな黒髪に爽やかな笑顔。けれどどことなく色気が漂っている。新入社員の多くがスーツに着られている人が多かったけれど、この人だけは違和感なくスマートに着こなしていた。

『商品の企画に携わることが目標です。よろしくお願いいたします』

 声も、顔も、異なるのに不思議とある人物の顔が頭に過った。〝この人だ〟。この人こそが、私がずっと記憶から忘れられずにいた……大嫌いな男。

 前世で犬猿の仲だったアルフォンスの生まれ変わりである一ノ瀬晴翔だった。



 私の前世は王女で、両親と兄たちから愛情をたっぷりと受け、それはもう幸せに暮らしていたのだ。
 窓を開いて、外の空気を吸い込むと甘い花の匂いが鼻腔をくすぐる。砂糖菓子のような甘さは決して嫌な感じはせず、この匂いにしばらく浸っていたいくらい私は好きだった。

 やわらかな風に甘い香りがふわりと乗って、私の淡い桃色の髪を撫でるように揺らす。あの花と同じ私の髪色は大好きな人とお揃いで、それがとても誇りだった。

『ソフィア』
 私がそう呼ばれていたのは遠い昔のこと。

『こっちへおいで、ソフィア』
 同じ髪色を持つお兄様は、優しくて聡明で憧れだった。いつかお兄様が治めるこの国を見ることができるはずだと私は信じていた。

『お兄様! あのね、今日はサクレアの花からとってもいい香りがするの』
『今日はいい天気で、風もあるからだね。ほら、ソフィア。サクレアの実を小鳥たちが食べてるのが見えるよ』
『本当! 可愛らしいわ』

 大好きなお兄様が微笑んでいることが嬉しくって、私も笑顔になる。いつか私もお兄様の力になりたい。お兄様にとっても私が誇りになるような、そんな立派な姫になりたい。そう願っていたのだ。……叶うことはなかったけれど。

 そして、もう一つ色濃く覚えていることがある。

『お前は本当にちいせぇな、ソフィア』
『私に近づかないで! お兄様にもよ!』

 私の小さな身長を小馬鹿にして、事あるごとにからかってくる黒髪の男。

『ほら、お前に土産だ。お前と似ている名前だぞ』
『ぎゃぁああ! 毛虫!』
『すごい顔だな、ほれそんなに怖いか?』
『やめて馬鹿! アルフォンスなんて大っ嫌い!!』

 意地悪で、偉そうで、私の大好きなお兄様の隣に当然のように立つ隣国の王子、アルフォンス。
 大嫌いだったあの男は、未だに私の記憶を占領している。私の髪色が黒くなった、今でも。決して、色褪せることなく。


***


 
 あの夢見てしまった。私はもうソフィアではない。星野結花、二十六歳。何か特別な取り柄もなく、ごく普通のOL。自分を言い聞かせるように、心の中で言う。
 私は二十六年前よりも、もっと昔の記憶を持っている。実年齢よりもはるか昔のその記憶は、私の前世の記憶である。どこまで覚えているのかというと、自分がどんな人間で、どんな生活を送っていて、どんな人たちに囲まれて過ごしていたのかをはっきりと覚えている。

 私の前世はプランターヌという王国の姫でソフィアという名前だった。一年中、淡い桃色のサクレアという甘い香りがする花が咲いている国で春の国とも呼ばれていた。
 私は大好きなお兄様たちに囲まれて、とても幸せに過ごしていた。————あの目を瞑りたくなるような最悪な出来事までは。とはいっても今の私はただのOLで、棚の上の資料を取らなければいけない。

 それが今は一番大事なことだ。あの資料がないと午後の会議で困ってしまう。

「……っ」
 背伸びをして手を伸ばしながら、私の身長があと三センチ高ければと悔やむ。今でも、五センチのヒール履いてるけれど、これでも足が痛むことがあるため、さすがに八センチのヒールは無理だ。

 そろそろ限界がくる。腕も足もぷるぷるとしてきた。キャスターつきの椅子しかないため、それに乗るのは危険だ。背伸びをして手を目一杯伸ばしていると、取ろうとしていていた赤いファイルを誰かが背後から引き抜いた。


「これ、取りたかったのか?」

 低音の声に、びくりと肩を揺らす。慌てて振り返ると、不敵に微笑む黒髪の男が立っていた。

「……ありがとう」

 この間の件について、一ノ瀬は全く触れてこない。やっぱり彼にとっては私と肌を重ねたことなんて、どうってことないことなのだ。むしろ気にしている方が、一ノ瀬からしてみたら面倒なのかもしれない。まあでも、私からしてみても触れられない方がいい。

「他に必要なファイルは?」
「ううん、これだけで大丈夫」

 一ノ瀬は切れ長の目はどことなく冷たく近寄りがたい雰囲気を感じるけれど、本人は表情が豊かなため周囲からは人気が高い。これが他の女性社員だったら、顔を赤らめているところだろう。けれど、私はときめく前に警戒心が生まれてしまう。

 この男の見た目も声も、私の大嫌いなあの男……パルフィム王国の王子のアルフォンスとよく似ている。
 それなのに……酔った勢いとはいえ、どうして寝てしまったのだろう。もしもこの男も前世の記憶を持っていて、あの頃の私を恨んでいるままだったら……と考えていたけれど、私と体の関係を持ったということは、一ノ瀬は前世の記憶はないのだろうか。あったら私と関係を持つようには思えない。


「お前、本当ちいせぇな」
「は?」

 頭の上に軽く手を置かれた。前世でアルフォンスが私にやってきた行動と同じで血の気がひいていく。

『知ってるか? ここにこうやって手を置くとお前の身長は永遠に伸びないそうだぞ』

 あの頃はそれを信じていて、なんて酷いことをするのだと怒っていた。今になってはそんなはずもないとわかっているものの、私の反応を見て楽しんでいたのだと考えると腹立たしい。今世でも使用してくるということは、彼も記憶があるのだろうか。彼の真意がわからず、じっとりとした目で見つめる。


「一ノ瀬って一言余計」

 私もボロは出さないように気をつけなくてはいけない。一ノ瀬が前世の記憶がない場合も厄介なのだ。私が前世のことをうっかり話でもしたらただの痛い女に思われる。そして、それを広められでもしたら会社に居場所がなくなる。

 だからできるだけ、一ノ瀬には関わりたくない。


「あのさ、星野」
「なに?」
「これからお昼一緒にどう?」

 ちらりと時計を確認するとちょうど十二時になったところだった。なんてタイミングの悪い。

「残念、お弁当なの」

 スムーズに断ることができて内心ほっとする。この男といると私の心が休まらない。だからどうか、一ノ瀬は外で食事でもしてきてほしい。そしてつれない同僚なんて、放っておけばいいのだ。

「奇遇だな、俺も今日弁当なんだ」
「え」

 まさかの予想外の返答に開いた口が塞がらない。一ノ瀬がお弁当だなんて思いもしなかった。

「一緒にどっかで食おう」
「えっ」

 こんな展開望んでいない。私は極力一ノ瀬に近づかないように頑張っているのに、何故かいつの間にか彼に近づかれるのだ。


「さ、時間なくなるから行くぞ」
「ちょっ」
「間抜けな顔してないで、ほら」
「なっ! 誰が間抜けな顔!?」

 強制的に「いいから弁当を持ってこい」と命じられ、逃げる手段も思いつけず仕方なくお弁当を持って一ノ瀬についていくしかなかった。
 アルフォンスもそうだった。関わってほしくないのに、近づいてくる。思い出したくないのに、彼とこうしていると脳裏にチラついてしまう。

***

 社員食堂の一番端っこのスペースで、私と一ノ瀬は向かい合いながらそれぞれお弁当を開く。
 一ノ瀬ってお弁当ちゃんと作っているらしい。おにぎりだけとかの適当な感じをイメージしてたけれど、ちゃんとおかずも入っていて、冷凍食品っぽい感じもしないので驚いた。

「星野って意外と料理できるんだなって、思ったけど冷凍食品だなそれ」
「一ノ瀬、一言余計」
「まあ、料理苦手そうだもんな」
「二言目も余計」

 昨晩作ったきんぴらを一口、食べる。うん、今回もいい出来だ。姫がきんぴらって考えるだけで、ちょっとおかしいけど私はOLの星野結花でもあるから、この生活にももう慣れた。

 前世の記憶を持つ私は異質なのだ。だからこそ、このことは隠さなければいけない。
 小さい頃は誰もが持っているものなんだって思って、お母さんに話してみたことがあった。だけど、『おもしろい夢ね』って言われて笑われてしまった。そのときに知ったんだ。前世の記憶は誰でも持っているものじゃないんだって。

 お母さんに夢だと言われても、あの国の記憶は夢なんかじゃない。何年たっても色褪せない私に刻まれた記憶なんだ。

 お母さんに話してから、このことは簡単に周囲に話してはいけないことだと幼いながらに悟った。打ち明けたら変人だと思われて周囲から浮いてしまう。周りの子たちがそんな話をしているのを一度も聞いたことがなかったから、おそらくみんなにも記憶がない。

 どこか周りとは壁を感じながら、過ごしてきた私は入社して初めて同じ前世の記憶を持つ人物に出会った。いや、ある意味再会とも言えるのかもしれない。その時に、やっと私の記憶が本物だと心から思えて安心した。といっても、まだそれから三年くらいしか経っていないけれど。

 それまでの私は自分の中にある記憶が怖かった。誰にも言えなくって、けれど確実に存在した出来事。それでも証明はできない。それを考えると、前世のことを話せる相手が見つかった今はかなり楽になった。

 ……この目の前にいる男のこと以外は。


「星野」
「なに?」
「今日空いてる?」

 また軽いノリで誘ってくる。こういう男なんだ、一ノ瀬晴翔は。見た目もいいし、仕事もきちんとこなすから評判もいい。寄ってくる女の人も多いみたいだけど、いまいち言葉が軽くって私は信用できない。たとえ、前世の記憶がなくってもこの人を警戒してそうだ。

「用事あるから無理」
「どうせ家に帰って一人酒だろ?」

 八割そうだけど、失礼すぎる。それに今日は違う。本当に予定がある。まあ、予定がなくても一ノ瀬とは絶対に飲みに行く気はない。あの夜のように間違いが起こったら困る。

「あのさぁ」
「なに」
「いつになったら俺とデートしてくれんの?」
「ぐふっ!」

 変な単語が聞こえてきて、驚きのあまりきんぴらが喉に突っかかる。なんとかお茶で流しこんだけれど、鼻の奥にツンとした痛みを感じて涙目になる。

「すっげー顔。大丈夫かよ」

 一言余計だ。

「するわけないでしょ、やめてよ」
「ふーん、そんなこと言って……実は俺のこと言うほど嫌じゃないだろ?」
「は、はあ!? 嫌ですけど」

 アンタのこと前世から嫌なんですけど!年季入ってるんですけど!と言いたい気持ちをぐっと堪える。


「だったらなんで俺のこと拒絶しなかったんだよ」

一ノ瀬からあの夜について触れられたのは初めてだった。

「それは、その酔った勢いとしか……」

 お互い酔っていなかったら、きっとあんな風にはならなかった。前世を抜きにしても、私と一ノ瀬の間に甘い空気なんて流れたことはなかったのだ。


「なんでデートしたいの」

 もしも前世の記憶があるのなら、一ノ瀬はアルフォンスとして、ソフィアに復讐をしたいとか? 私を惚れさせて、後でポイ捨てされる可能性もある。それにアルフォンスは、私のことをきっと恨んでいるだろうから。

「星野とデートがしたいって思うから」
「それ答えになってないってば」
「一度くらい行ってほしい」

 真っ直ぐに見つめられなが言われると、良心が痛む。もしも純粋に向けられた好意だとしたら……いや、これも作戦かもしれない。そうじゃなかったとしても、あのアルフォンスの生まれ変わりの一ノ瀬とデートをする気はない。

「どうせ誰にでも言ってて本気じゃないでしょ」
「言ってない」

 一ノ瀬から笑顔が消えて、急に真面目な表情になる。


「本気だよ」

 この既視感はなんだろう。この熱っぽい眼差しは、どこか見覚えがある。

『————だよ』

 それに前にも……いや、これは前世だ。前世の時にもアルフォンスにこんな感じでなにかを言われたことがある。

「聞いてる?」
「うん、聞いてる。卵焼きおいしい」

 むしゃむしゃと卵焼きを咀嚼しながら、己の卵焼きの美味さに慄く。

「私は卵焼きのスペシャリストかもしれない」
「お前なぁ」

 一ノ瀬はかなりモテるから、他の女性社員と仲良さげにお喋りしているとこをよく見かける。
 前世の記憶がないとしたら、ただなかなか振り向いてくれないっていうのが面白いだけだ。きっと一度でもデートに行けば、一ノ瀬は満足するのだろう。けれど、どうしても警戒心を捨てきれない。


「おい、スペシャリストの卵焼きよこせよ」
「頭が高い。あげるわけないでしょう」
「お前は心も小さいのか」

 私の卵焼きに手を伸ばそうとする一ノ瀬の手をペチンと小気味いい音を立てて叩く。

「いてっ!」
「自分のお弁当食べなさいよ」
「おかず交換ってのを知らねぇのか」
「アンタは小学生か」

 この男は生まれ変わっても私に構ってくる。あの頃だって、たくさん意地悪をしてきて、馬鹿にされてばかりだった。
 私は前世に囚われすぎだって、あの人に言われたことがある。だけど、仕方ない。私の記憶には色濃くあの頃の想い出が残っていて、一ノ瀬は見た目も声もまったく同じなアルフォンスの生まれ変わりなのだ。
 そんな彼をアルフォンスと重ねるなと言われても無理な話。私は大っ嫌いだったアルフォンスと一ノ瀬を完全に切り離して考えることができない。


 実際のところ一ノ瀬はどうなのだろうか。前世の記憶を持っている? それとも、記憶はなくっても身体では覚えているから頭の上に手を置いてきたり、似た言動をするのだろうか。




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