忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

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王子アレクシスとサーディスは道なき道を進み続け、無理な行軍と追手との戦闘を繰り返した疲労は限界に達していた。だが、彼らにはまだ止まる余裕はない。

 "騎士団の砦まで、あと少し"

 追跡を振り切り、国境に近い砦にたどり着けば、彼らにとって大きな転機となる。そこには、王子に忠誠を誓う者たちがいるはずだった。

(ここまで来た……あと少しだ)

 王子は疲労を抱えながらも、そう自分に言い聞かせる。先を急ぐ中で見えたのは川だった。
 サーディスは足を止めた。

「……水場か」

 目の前には、小川が静かに流れていた。透き通る水。揺れる水面が、朝の光を反射してきらめく。
 サーディスは、ふと喉の渇きを意識する。

「少し飲んでおくか」

 王子もまた、川を見つめて静かに呟いた。
 疲労と渇きが限界に近づいているのは、二人とも理解していた。
 サーディスは、膝をつき、手で水を掬った。冷たい感触が指先を伝い、ひどく渇いた喉を潤すように口元へと運ぶ。

 一口、飲み込んだ瞬間――

 全身に異変が走った。

「……!?」

 サーディスの思考に、鋭い警鐘が鳴る。水が喉を通ると同時に、体の奥深くに"重さ"が広がるような感覚。まるで、鉛の塊が内臓へと沈み込むような鈍い衝撃。

「っ……!」

 頭の奥に鈍い痛みが広がる。ゆっくりと、だが確実に、体の感覚が変質していくのがわかった。
 手足の末端から、じわじわと力が抜けていく。指先の感覚が鈍り、次第に冷たくなっていく。腕を持ち上げようとしたが、思うように動かない。

(まさか……毒!?)

 サーディスの中で、疑念が確信へと変わる。
 ただの疲労や脱水ではない。これは"体の内側から蝕まれる"ような感覚。

(まずい……! 解毒を)

 だが、思考がまとまりきる前に、視界が揺れた。全身に広がる違和感。体温が奪われるような悪寒と、体の芯から染み出すような脱力感。
 サーディスは即座に、喉へと指を突っ込んだ。

「……ッ!」

 吐き出す。全てを外へ押し出すように、無理やり胃を収縮させる。

 だが――

 すでに"遅かった"。

 喉に絡みつく苦みを感じながら、水を吐き出したものの、すでに体内に回り始めた毒が完全に抜けることはない。
 膝が崩れる。地面に手をつく。しかし、その手すらも支えきれず、力なく指が震えた。

(クソ……! 何だ、この毒は……!?)

 呼吸が乱れる。肺が妙に重い。吸い込む空気が薄く感じる。
 視界が霞む。焦点が合わず、周囲の景色がぼやける。

(神経を蝕み……力を奪う毒……?)

 サーディスは必死に思考を巡らせる。戦場での経験上、毒にはある程度の知識がある。
 だが、これは見たことのない種類だった。
 それ以上に――

(……どうして、こんなところに"毒入りの水"が?)

 普通、毒は飲食物や武器に仕込まれる。水源に仕込むなどというのは、あまりに"手荒な手段"だ。

(まさか……この水場そのものが"罠"だったのか?)

 ここは、偶然見つけた水源。だが、それが本当に"偶然"だったのか。
 いや、違う。
 "待ち伏せられていた"可能性が高い。

(……まずい)

 まだ敵の気配はない。だが、この毒の効果が完全に回る前に、戦闘になれば間違いなく不利になる。
 サーディスは、自分の体の異変を分析しながら、次の行動を考えた。

(……今は"解毒"よりも"逃亡"を優先すべき)

 毒の種類が分からない以上、適切な処置は取れない。無闇に動いても、余計に毒の巡りを早めるだけ。

(ここを離れなければ……!)

 喉を締めつけるような違和感が広がる。サーディスは朦朧とする意識の中で、なんとか王子に視線を向けた。

「シ、スさ、ま……みずは……のみま、たか?」

 ろれつがうまく回らず、言葉がつっかえる。舌が痺れ、思考すら鈍るような感覚。
 王子は驚いた様子でサーディスを見ており、首を横に振った。

「……まだだ。どうした?」

「……こ、のみず、どく、す……」

 途切れ途切れの声だったが、王子には十分伝わった。彼の表情が、一瞬で凍る。
 サーディスの腕が微かに震え、意識が霞む中で彼を見つめた。




(やられた……!)

 しかし、その"気づき"はすでに遅かった。川の向こう黒い影が、静かに動く。 

「……ッ」

 サーディスは霞む視界の中で、"それ"を見た。王子もまた、その姿を目にした瞬間、わずかに表情を引き締める。

「来たか……」

 遠くから歩み寄る十数名の追手。だが、その中で一際異質な存在がいた。
 黒衣をまとい、漆黒の短剣を腰に差し、無駄な動き一つない静かな歩調で近づいてくる。まるで、影が"実体を持って動いている"かのような男。

 ――ゼファル。

 王子の目が鋭くなる。

(……"クレスト"が動いたか)

 ヴォルネス公の追手だけではない。
 "王直属の精鋭"クレスト――王子暗殺を確実に遂行するための存在。
 つまり、王子の命を狙う動きが"確定事項"となった証拠だった。ゼファルは静かに佇み、視線をゆっくりと動かす。

「……"すでに、この近くにいるはずだ"」

 冷たい声が響く。その言葉に、周囲の兵たちはさらに警戒を強めた。槍を握り直し、剣を抜き、茂みの隙間を睨む。
 王子は、わずかに息を殺す。

(……どうする)

 この状態で見つかれば、確実に"詰み"だ。
 サーディスは必死に意識を保ちながら、王子を見上げる。

「サーディス、動けるか?」

 王子が小声で尋ねた。サーディスは僅かに首を横に振る。

「……なら、まずは隠れるしかないな」

 王子は迷わなかった。サーディスの腕を引き、静かに茂みに身を潜める。

("今、無理に戦えば確実に負ける")

 敵は数が多い。ゼファルがいる以上、戦うには"最悪のタイミング"だ。今は"機を伺う"しかない。
 王子は、ゼファルの動きを注意深く観察する。
 ゼファルは、すでに"王子たちがこの近くにいる"と確信しているようだった。だが、まだ正確な位置は割り出せていない。

「……痕跡を探れ」

 ゼファルの指示で、兵たちが動き始める。



(……まずい)

 このままでは、いずれ発見される。サーディスは、回り始めた毒を無理やり押さえ込みながら、必死に考えた。

(何か、考えないと……)

 毒の影響で、剣を握る手に力が入らない。だが、王子一人でこの場を突破するのは困難すぎる。

(今、戦うわけにはいかない)

 ゼファルの殺意が、この場を支配していた。そして、刻々と時間が過ぎる。
 森の静寂の中、"死の予感"が漂い始めていた。
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