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人身事故
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その日は最悪の一日だった。
朝。数日振りの対面授業のために、僕は電車に乗っていた。
大学の一時限目。
その時間に間に合わせるには、通勤ラッシュの時間帯に電車に乗らなければいけない。リモート授業も増えている中で、よりにもよって一時限目の対面授業。しかも、今日の対面授業はそれ一つだけだ。
「あー、面倒臭い」
そう呟いては見ても、授業の予定が変わるわけではない。
前に熱を出して休んでいたこともあって、授業をサボれば単位が危ない。
だから、僕は仕方なく通勤ラッシュの電車に乗り込んだ。
だが、授業開始に余裕を持って乗った電車は、予定通りには着かなかった。
よりにもよって、乗っている電車は、駅でもないところで急に減速したかと思ったら、そのまま停止した。
『線路内に人が立ち入りましたため、安全確認を行っております』
そんなアナウンスが流れてから一時間。
それ以上のアナウンスはなかったけど、時間の長さと、外を行きかうブルーシートを手にした人たちを見て、人身事故だったのだと悟った。
やっと目的の駅についた時には、対面授業なんてとっくに終わっている時間だった。
つまり、無駄に時間と電車代を消費したわけだ。
「学食でもいこう」
来ただけで何もせず無駄に帰るのも馬鹿らしくて、学食に寄ることにした。昼には少し早いけど、もうやっている時間だ。なにより、今から帰ったら電車に乗っている間にお昼を過ぎる。
それだったら安い学食で済ませてから帰ろうと思った。
大学の構内はいつも通り。人身事故なんて無縁のキャンパスで、いつも通りの学食へ行き、いつもと変わらない定食を食べる。
他にも大学で用事があれば良かったんだけど、何もない。食事が終わると、重い足を引きずるようにして駅を目指す。
「あれ? 青砥くん。どうしたの? 授業には出てなかったけど」
そう声を掛けてきたのは、同じ学部の白羽さんだった。
いくつか同じ授業を取っていて、今日も人身事故がなければ同じ授業を受けていたはずの女性だ。
「人身事故で遅刻した」
「それはご愁傷様」
「また怪我?」
「転んじゃって」
ハハハと笑う白羽さんは、頬にガーゼをあてていた。
彼女はよく怪我をしている。そのせいか、服は真夏でも長袖のシャツとロングスカートばかりだ。シンプルな服はよく似合ってると思うけど、知り合いに言わせると古臭いらしい。
怪我について、本人はドジなだけだと言うが、あまりに頻繁なので変な噂も耳にする。曰く、両親に虐待されているとか、自傷行為だとか。バイト先がブラックだとか、彼氏からの暴力だなんてのもあった。
どれも噂だけで、本当かどうかは分からない。でも、そのせいか、見た目も性格も悪くないのに、大学の中でも少し浮いた存在だ。
僕も、授業が被っているから話すようになっただけで、大学の外で会ったことは一度もない。
だから、帰ろうとする僕が、同じくキャンパスを出ようとする彼女と一緒に歩くのは、少し意外だった。
一緒に歩くと言っても、話題なんてそんなにはない。
今日の授業はどんな話だったとか、共通の知り合いの話とか。彼女の怪我については、聞いていいのか分からないから触れていない。
「それで、大学着いたときには、もう授業が終わってる時間でさ」
話すことがなくなって、今日の不幸の元である人身事故の話もした。
ちょうど乗っている電車だったから、一時間以上電車の中。一本でもずれていれば、振替輸送でなんとかなったかもしれないのに。
そして「わざわざ電車で自殺しなくてもいいのに」という愚痴になる。
死にたいなら他の所で死ねばいいのに、と。
でも、白羽さんの意見は少し違うようだった。
「簡単だからじゃないかしら」
そう彼女は言った。
首つりのロープを用意する必要もなく、施錠している屋上に入り込む必要もない。普段から使っている駅で、一歩踏み出すだけで済むから、と。
「でも、今日は駅じゃなかったよ。駅から結構離れた場所だったと思う」
離れたとは言っても、都会の電車は数分置きに駅に止まる。
歩いても30分も掛からないくらいの距離だ。
「それに……」
と、僕は続けた。
電車で自殺なんてしたら、賠償金とか請求されるみたいだよ、と。
白羽さんは知らなかったらしく、駅の改札を通りながら、少し得意げに話す。
「電車が止まっている時間とか、通勤ラッシュかどうかとか、いろいろあるみたいだけど、賠償金が請求されるんだって」
「本人に?」
「本人が生きてたら本人だろうけど。死んでたら、家族だね。何千万って噂だけど、そこは良く分からないんだ。ネットで調べてもハッキリと書いてないし」
都会に出てきたばかりの頃、スマホで調べてみたことがあった。
何度も人身事故で待ちぼうけをさせられていた時の、暇つぶしだ。
始めの頃は自殺なんて可哀想な人だと思っていた。でも、何度もそれで電車が止まるのに居合わせるようになって、迷惑な人になった。賠償金のことを知ってからは、馬鹿な人だと思っている。
賠償金と言っても、鉄道会社にしてみれば払ってもらえなければ意味がない。
示談で済ませることが多いって話だから、もしかしたら金額の調整もしているのかもしれない。
それに、賠償金の請求しても、払えなかったら相続放棄でお終いという話もあった。
家やマンションを持っているような年配の人ならともかく、学生や新社会人なんかだと貯金も資産も大したことはない。それなら多額の賠償金と、ほんの少しの資産を相続するよりも、相続を放棄したほうが良い。
家の持ち主だと、相続放棄をした時点で家の相続も放棄になってしまう。残った家族は住む場所を失うから、なんとか賠償を払うようだ。
ホームに降りながら、賠償金のことを話す。続いて、相続放棄の話をしようとした時には、電車が到着するアナウンスがあった。
『間もなく3番線に、電車が到着致します。危ないですから、黄色い線の内側に……』
アナウンスに続いて、遠くから電車が近づくガタンゴトンという音が聞こえる。
「ありがとう。良いことを聞いたわ」
白羽さんは、最後にそう言って、線路へ飛び込んだ。
朝。数日振りの対面授業のために、僕は電車に乗っていた。
大学の一時限目。
その時間に間に合わせるには、通勤ラッシュの時間帯に電車に乗らなければいけない。リモート授業も増えている中で、よりにもよって一時限目の対面授業。しかも、今日の対面授業はそれ一つだけだ。
「あー、面倒臭い」
そう呟いては見ても、授業の予定が変わるわけではない。
前に熱を出して休んでいたこともあって、授業をサボれば単位が危ない。
だから、僕は仕方なく通勤ラッシュの電車に乗り込んだ。
だが、授業開始に余裕を持って乗った電車は、予定通りには着かなかった。
よりにもよって、乗っている電車は、駅でもないところで急に減速したかと思ったら、そのまま停止した。
『線路内に人が立ち入りましたため、安全確認を行っております』
そんなアナウンスが流れてから一時間。
それ以上のアナウンスはなかったけど、時間の長さと、外を行きかうブルーシートを手にした人たちを見て、人身事故だったのだと悟った。
やっと目的の駅についた時には、対面授業なんてとっくに終わっている時間だった。
つまり、無駄に時間と電車代を消費したわけだ。
「学食でもいこう」
来ただけで何もせず無駄に帰るのも馬鹿らしくて、学食に寄ることにした。昼には少し早いけど、もうやっている時間だ。なにより、今から帰ったら電車に乗っている間にお昼を過ぎる。
それだったら安い学食で済ませてから帰ろうと思った。
大学の構内はいつも通り。人身事故なんて無縁のキャンパスで、いつも通りの学食へ行き、いつもと変わらない定食を食べる。
他にも大学で用事があれば良かったんだけど、何もない。食事が終わると、重い足を引きずるようにして駅を目指す。
「あれ? 青砥くん。どうしたの? 授業には出てなかったけど」
そう声を掛けてきたのは、同じ学部の白羽さんだった。
いくつか同じ授業を取っていて、今日も人身事故がなければ同じ授業を受けていたはずの女性だ。
「人身事故で遅刻した」
「それはご愁傷様」
「また怪我?」
「転んじゃって」
ハハハと笑う白羽さんは、頬にガーゼをあてていた。
彼女はよく怪我をしている。そのせいか、服は真夏でも長袖のシャツとロングスカートばかりだ。シンプルな服はよく似合ってると思うけど、知り合いに言わせると古臭いらしい。
怪我について、本人はドジなだけだと言うが、あまりに頻繁なので変な噂も耳にする。曰く、両親に虐待されているとか、自傷行為だとか。バイト先がブラックだとか、彼氏からの暴力だなんてのもあった。
どれも噂だけで、本当かどうかは分からない。でも、そのせいか、見た目も性格も悪くないのに、大学の中でも少し浮いた存在だ。
僕も、授業が被っているから話すようになっただけで、大学の外で会ったことは一度もない。
だから、帰ろうとする僕が、同じくキャンパスを出ようとする彼女と一緒に歩くのは、少し意外だった。
一緒に歩くと言っても、話題なんてそんなにはない。
今日の授業はどんな話だったとか、共通の知り合いの話とか。彼女の怪我については、聞いていいのか分からないから触れていない。
「それで、大学着いたときには、もう授業が終わってる時間でさ」
話すことがなくなって、今日の不幸の元である人身事故の話もした。
ちょうど乗っている電車だったから、一時間以上電車の中。一本でもずれていれば、振替輸送でなんとかなったかもしれないのに。
そして「わざわざ電車で自殺しなくてもいいのに」という愚痴になる。
死にたいなら他の所で死ねばいいのに、と。
でも、白羽さんの意見は少し違うようだった。
「簡単だからじゃないかしら」
そう彼女は言った。
首つりのロープを用意する必要もなく、施錠している屋上に入り込む必要もない。普段から使っている駅で、一歩踏み出すだけで済むから、と。
「でも、今日は駅じゃなかったよ。駅から結構離れた場所だったと思う」
離れたとは言っても、都会の電車は数分置きに駅に止まる。
歩いても30分も掛からないくらいの距離だ。
「それに……」
と、僕は続けた。
電車で自殺なんてしたら、賠償金とか請求されるみたいだよ、と。
白羽さんは知らなかったらしく、駅の改札を通りながら、少し得意げに話す。
「電車が止まっている時間とか、通勤ラッシュかどうかとか、いろいろあるみたいだけど、賠償金が請求されるんだって」
「本人に?」
「本人が生きてたら本人だろうけど。死んでたら、家族だね。何千万って噂だけど、そこは良く分からないんだ。ネットで調べてもハッキリと書いてないし」
都会に出てきたばかりの頃、スマホで調べてみたことがあった。
何度も人身事故で待ちぼうけをさせられていた時の、暇つぶしだ。
始めの頃は自殺なんて可哀想な人だと思っていた。でも、何度もそれで電車が止まるのに居合わせるようになって、迷惑な人になった。賠償金のことを知ってからは、馬鹿な人だと思っている。
賠償金と言っても、鉄道会社にしてみれば払ってもらえなければ意味がない。
示談で済ませることが多いって話だから、もしかしたら金額の調整もしているのかもしれない。
それに、賠償金の請求しても、払えなかったら相続放棄でお終いという話もあった。
家やマンションを持っているような年配の人ならともかく、学生や新社会人なんかだと貯金も資産も大したことはない。それなら多額の賠償金と、ほんの少しの資産を相続するよりも、相続を放棄したほうが良い。
家の持ち主だと、相続放棄をした時点で家の相続も放棄になってしまう。残った家族は住む場所を失うから、なんとか賠償を払うようだ。
ホームに降りながら、賠償金のことを話す。続いて、相続放棄の話をしようとした時には、電車が到着するアナウンスがあった。
『間もなく3番線に、電車が到着致します。危ないですから、黄色い線の内側に……』
アナウンスに続いて、遠くから電車が近づくガタンゴトンという音が聞こえる。
「ありがとう。良いことを聞いたわ」
白羽さんは、最後にそう言って、線路へ飛び込んだ。
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