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寿司と客と休暇届け
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ガラガラと戸が開く。
「大将、やってる?」
「……やってますよ」
客が誰もいない店内を気にしたのか、常連客は寿司職人に声を掛ける。
狭い店内だ。
カウンター席が6席あるだけの寿司屋。流行ってるのかどうか、となれば流行っていない部類に入る店だ。それでも昼飯時に、客が誰もいないというのは珍しい。
常連客は迷わずに一番奥の席に座る。
寿司職人も慣れたもので、すぐに湯飲みとオシボリがカウンターに並ぶ。
「いやあ、今日はやっていてよかったよ」
オシボリを手に常連客が言う。
「この前来た時は休みだったからね。イカからもらおうか」
「あいよ」
最近は、寿司屋でも昼の時間にはランチセットと称して、安い値段で海鮮丼や握り寿司を出す店も増えた。この店もそうだ。ランチセットに値引きした海鮮丼と味噌汁を出している。それでも常連客は個別の握り寿司を注文した。
注文を通してから、常連客は湯飲みに入った熱いお茶に口をつける。
「やっぱり一口目は熱くないとね。今日は寿司だ、って気分だったからね。休みのときは、さてどうしようかと思っても、舌は寿司になっちゃってるから、難儀なもんだよ」
「そいつは、相済みません」
あのときは困ったという常連客に、言葉だけは謝って見せるものの、寿司職人の意識は握り寿司に向いている。
ネタを切り分け、握ったシャリの上に乗せる。
カウンターに寿司が並んだ。
「それにしても、なんで休みだったの?」
「お答え出来ません」
「いや、聞かれたくないなら聞かないけどさ。体調でも崩したかと思ったじゃない。次はヒラメね」
「あいよ。休みの理由を聞くのは労働基準法違反ですので」
常連客は、口にしていたイカの寿司を、熱いお茶で流し込む。
「いやいやいや、雑談だよ、雑談。ってか俺に休むなって言う権利ないからね? お茶っ葉変えた?」
「ならパワハラですかね」
「上司でもないよ? 雑談だってんでしょうに、おっかないなー」
カウンターに寿司が並んだ。
「休もうとしたら『有給なんて取られちゃったら仕事回んないよ』って言われましたからね。管理職に」
「え、大将一人でやってるのに、管理職なんているの?」
「妻です」
「ああ、奥さん。あれか、家族経営ってやつ。中トロよろしく」
「あいよ。訴えました」
常連客はヒラメの寿司を口に運ぶ。
ガリをつまみ、少しぬるくなったお茶で、口の中をさっぱりさせる。
「話し合いは必要だよね。どうにも味がスッキリしないな。風邪でも引いたかな」
「いえ、裁判所に訴えました」
「え? なんでよ。奥さんでしょ」
「これが訴状です」
寿司職人がどこからか取り出した書類が、カウンターに置かれる。
「見てもいいの? どれどれ」
常連客は言葉では遠慮するような素振りを見せたものの、躊躇せずに書類を手に取る。
「……これ、不倫の訴状じゃないの」
「ええ、人を仕事に追い出して、不倫相手を引き込んでいたようで」
「へ、へー、そりゃあ大変だ。中トロまだかい」
「失礼しました。どうぞ」
カウンターに寿司が並んだ。
「そんなわけで、妻と、ついでに不倫相手もとっちめてやろうかと思ったんですよ」
「ふーん。そうなんだ。やっぱり味がハッキリしないな。どうも調子が悪いみたいだ、今日はもう帰るよ。おあいそ」
常連客はお茶を飲み干して、席から立ち上がる。
「まあまあ、そう言わずに、もう少し付き合ってくださいよ」
「いやいや、体調がわふいんらって。なんらこれ……」
立ち上がりはしたものの、そこから歩けずに、カウンターに手をついて体を支える。
「効いてきたみたいですね」
「らいしょう、おまへ……」
「ご心配なく。包丁さばきには、ちょっと自信があるんですよ」
カウンターに寿司が並んだ。
「大将、やってる?」
「……やってますよ」
客が誰もいない店内を気にしたのか、常連客は寿司職人に声を掛ける。
狭い店内だ。
カウンター席が6席あるだけの寿司屋。流行ってるのかどうか、となれば流行っていない部類に入る店だ。それでも昼飯時に、客が誰もいないというのは珍しい。
常連客は迷わずに一番奥の席に座る。
寿司職人も慣れたもので、すぐに湯飲みとオシボリがカウンターに並ぶ。
「いやあ、今日はやっていてよかったよ」
オシボリを手に常連客が言う。
「この前来た時は休みだったからね。イカからもらおうか」
「あいよ」
最近は、寿司屋でも昼の時間にはランチセットと称して、安い値段で海鮮丼や握り寿司を出す店も増えた。この店もそうだ。ランチセットに値引きした海鮮丼と味噌汁を出している。それでも常連客は個別の握り寿司を注文した。
注文を通してから、常連客は湯飲みに入った熱いお茶に口をつける。
「やっぱり一口目は熱くないとね。今日は寿司だ、って気分だったからね。休みのときは、さてどうしようかと思っても、舌は寿司になっちゃってるから、難儀なもんだよ」
「そいつは、相済みません」
あのときは困ったという常連客に、言葉だけは謝って見せるものの、寿司職人の意識は握り寿司に向いている。
ネタを切り分け、握ったシャリの上に乗せる。
カウンターに寿司が並んだ。
「それにしても、なんで休みだったの?」
「お答え出来ません」
「いや、聞かれたくないなら聞かないけどさ。体調でも崩したかと思ったじゃない。次はヒラメね」
「あいよ。休みの理由を聞くのは労働基準法違反ですので」
常連客は、口にしていたイカの寿司を、熱いお茶で流し込む。
「いやいやいや、雑談だよ、雑談。ってか俺に休むなって言う権利ないからね? お茶っ葉変えた?」
「ならパワハラですかね」
「上司でもないよ? 雑談だってんでしょうに、おっかないなー」
カウンターに寿司が並んだ。
「休もうとしたら『有給なんて取られちゃったら仕事回んないよ』って言われましたからね。管理職に」
「え、大将一人でやってるのに、管理職なんているの?」
「妻です」
「ああ、奥さん。あれか、家族経営ってやつ。中トロよろしく」
「あいよ。訴えました」
常連客はヒラメの寿司を口に運ぶ。
ガリをつまみ、少しぬるくなったお茶で、口の中をさっぱりさせる。
「話し合いは必要だよね。どうにも味がスッキリしないな。風邪でも引いたかな」
「いえ、裁判所に訴えました」
「え? なんでよ。奥さんでしょ」
「これが訴状です」
寿司職人がどこからか取り出した書類が、カウンターに置かれる。
「見てもいいの? どれどれ」
常連客は言葉では遠慮するような素振りを見せたものの、躊躇せずに書類を手に取る。
「……これ、不倫の訴状じゃないの」
「ええ、人を仕事に追い出して、不倫相手を引き込んでいたようで」
「へ、へー、そりゃあ大変だ。中トロまだかい」
「失礼しました。どうぞ」
カウンターに寿司が並んだ。
「そんなわけで、妻と、ついでに不倫相手もとっちめてやろうかと思ったんですよ」
「ふーん。そうなんだ。やっぱり味がハッキリしないな。どうも調子が悪いみたいだ、今日はもう帰るよ。おあいそ」
常連客はお茶を飲み干して、席から立ち上がる。
「まあまあ、そう言わずに、もう少し付き合ってくださいよ」
「いやいや、体調がわふいんらって。なんらこれ……」
立ち上がりはしたものの、そこから歩けずに、カウンターに手をついて体を支える。
「効いてきたみたいですね」
「らいしょう、おまへ……」
「ご心配なく。包丁さばきには、ちょっと自信があるんですよ」
カウンターに寿司が並んだ。
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