怪異たん

さくら書院(葛城真実・妻良木美笠・他)

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陸アンコウ

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 生息数が少ない地域があるため、知らない人も多いようだが、世界中に陸生の「チョウチンアンコウ」が生息している。

「陸生チョウチンアンコウ」では長いので「陸アンコウ」と呼ぶことにしようか。

 陸アンコウは深海にいる同族と同じく誘引突起を持ち、先端のエスカ(擬餌状体)と呼ばれる部分を釣竿のように動かして、獲物を誘う。

 陸アンコウはかなり大型で、鹿や猪、時には人間も餌にしている。

 人間の味を覚えた陸アンコウのなかには、誘引性を上げるため人間の姿を模したエスカを持つものもある。

 田んぼの向こうでクネクネと踊る白い人型の何か、正体は蠢き人を誘うエスカだった。

 同じく白いエスカ。女の姿だが、寄ってみれば身長が2.4メートルの異形だったという。陸アンコウは寸法を間違えたのだ。

美しい女の姿が男を誘うと理解した個体は、人間の構造まで真似たエスカを作り出し、成果をあげた。

 やがて、脳や声帯まで模倣しはじめ、エスカは喋るようになった。島根県の伝承には、小料理屋を営んでいたエスカのことが書かれている。

「今夜は泊まっていってくださらない?」

鼻の下を伸ばした男を餌食にしていた。

 次は別の地域のお話。女の姿をしたエスカを陸アンコウから切り離してしまった男がいる。

 女の背中から本体へ向かう誘引突起を鋭い刃物で断ち切ったのだ。

 大量の出血。陸アンコウが暴れたり、それを退治する片目を隠した男が現れたりと大変な騒ぎが起きた。

 それらが一段落して、本体から切り離されたエスカはどうなったか?

 文献は残されていないが、死ななかった。

 男と結ばれて、子供まで作った。

 なぜ、断定的に言えるのか? 母親の話、自分の話だからだ。

 そんなに怯えなくもいいだろう。相当に腹が減った時でもなきゃ、人間は食わないよ。

 さて、これからは僕の大好きな、母親の話になる。やっと「怪異たん」の始まりだ。



 山の中にある廃屋をひとりで片付けて、ひっそりと住み始めたが、村役場の人に見つかってしまった。
「あなたの家じゃないですよね」
「……」
 私は黙っていた。声帯がまだ完全ではなかったから上手く喋れなかったのだ。

 次の日の昼に白いスクーターを乗って駐在がやって来た。面倒なことになると思ったら、背中の肉の管を通して何かが伝わったらしく、陸アンコウが地中から現れ、大きな口を開けて駐在を丸呑みにした。

 丸呑みでよかった。証拠が残るとあとあとあと厄介なことになる。駐在のスクーターを谷に落として、私はしばらく別の場所に移った。

 本来、狩場として、家など必要なかったのだ。山道でさえ狩場だった。道端で横になっているだけで、心配して人間が近づいてくるのだから。

 雨が降ろうが、擬似餌としての生活に何も困ることはなかった。栄養やら水分は背中から陸アンコウが流してくれる。どこにいようが関係なかった。

 なかには下心のある男もいたのだろう。でも、関係ない。いい人間も、悪い人間も、老若男女の隔てなく、健やかなる者も、病める者も、貧しき者も、富める者も、陸アンコウは同じように喰らった。平等だった。


 底無しと思えていた陸アンコウの胃袋が満杯になった日があった。

 大雨で体育館に避難していた人たちを土石流が襲った日。泥と一緒に流れていった百人ほどのうち、半数の遺体は見つからなかったというが、大半は陸アンコウが喰らったのだ。擬似餌である私が出るまでもなかった。

 その翌日、陸アンコウはいつぞやの廃屋に私を連れていった。家があれば昨日と同じように大量の獲物を狩れると思ったのだろう。

 残念なことに先客がいた。メガネの男。村役場の男だ。私が帰ってくることを信じて、この家を買い、待っていたのだという。

「いっしょにここで暮らしましょう」

 男は言った。おかしなことを言う。

「一目惚れで」

そんなことも言った。

 そうか、そうか。素晴らしい。そうやって男を惹きつけるために私は作られたのだ。

 さあ、陸アンコウよ、こいつを喰らえ。


 しかし、陸アンコウは現れない。昨日のごちそうで腹いっぱいで、目の前の餌に興味が湧かなかったのだろう。

私はなりゆきて、村役場の男と暮らすことになってしまった。

 なりゆきで、いっしよに風呂に入り、なりゆきでいっしょに寝た。

 陸アンコウは現れない。

 村役場の男が常軌を逸しているのは会った瞬間からわかっていた。

 目つきがおかしい。山で道に迷って幻覚の世界に溺れている者と同じ目をしている。

 道を失った者は容易く狂う。この男も真っ当に生きる道を踏み外し、朧な妄想の迷路を彷徨っているのだ。

 一度だけ見かけた女に惚れて、戻ってくるか分からぬ家を買い、そこに住んで帰りを待つ。おかしすぎる。低すぎる確率に賭けられるのは狂気以外にない。

 私の名前を聞いてきた。名前はないと答えた私に、ならば名前をつけようと彼は言った。程なくして、戸籍が作られ、住民票が作られた。男が正規の手続きを踏んだかどうかはわからない。私は陸アンコウのエスカにすぎないのだから。

 まともな状態では決してない村役場の男も私の背中から生えているくだは気にしていた。それは当然だろう。普通の女にそんなものはない。

 陸アンコウは大入満員まで待って人を喰らいたいと思ってか、満腹でなくなっても男を喰らう様子がなかった。 

 私の背中をじっとみつめる男、そんな男がいると知って見逃す陸アンコウ。静かな、しかし狂気を孕んだ日々が流れていった。

 その静寂を破ったのは男の攻撃だった。

「ぎえーーーーーー!」

 化鳥のごとき雄叫びをあげて、男は村内の資料館から持ち出した日本刀を振り下ろした。

 国宝「童子切」と同じく平安時代の伯耆国の名工、安綱が鍛えし大太刀「七ツ胴石切」。試し斬りで7体の死体を重ねて斬り通した後、土台を斬り、さらには下の石さえ半ば斬ったと言われる常識外れの妖しの剣。

 村役場の男は高校の剣道全国大会で2位。1位になれなかったことで才能のなさを感じ剣道を辞めたと言っていたが、いま、狂気がこの男に新しい力を与えているのを感じた。

 剣は私の背中に生えた誘引突起の管を一刀両断した。

「早技ゆえ、痛みはないはず」

 侍めいた口調で男は言った。

 何を根拠に? 私はあまりの痛みに悶絶した。背中の管から大量の血が噴き出す。

 男は家にガソリンを撒き火をつけた。

 そしてスマートフォンで消防署に連絡する。すぐに消防団たちがやって来て、地鳴りが始まった。

 やっと来たのだ。もう血管は繋がっていないがわかった。陸アンコウが口を開け、餌を屠る時間がやってきたのだ。

 牙が地面を突き破り私たちを噛み砕こうとするのを見た。金属めいた光沢と生物ならではの濁った粘液……。

 誘引突起を切断された痛みで、陸アンコウも悶え苦しんだのだろう。

 山は崩れ、村は壊滅した。死体は一体も発見されなかった。陸アンコウが喰らったに違いない。

 陸アンコウのその後を私は知らない。

 男と私は山を捨てて、里に降り、いまでは小さな町で共働きをしている。

 やがて子供ができた。男の子と女の子。構造は人間と変わらない。

 ただ、素材の一部は陸アンコウのようだ。私も同様で人間のふりは得意だが、やはり人間とは別の存在だと思えるときがある。傷の治りが早いこととか、夫や子どもにさほど愛情を感じないこととか。

 やはり私は陸アンコウのエスカなのだ。そして我が子たちも。あなたの町にいるのと同じように。






                           「陸アンコウ」了
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