愛を知らずに愛を乞う

藤沢ひろみ

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55.想い

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 気持ちを自覚したことは、那岐にとってマイナスでしかなかった。

 那岐は、感情が高ぶるとすぐに口に出てしまう癖がある。快楽に耽り口走ってしまうのではないか、想いを隠し通すことができるのかと不安になった。
 いつも通りに、愛人らしく振舞うことができるものかと気が気ではない。

 “遊華楼の那岐”であればどんな客であろうと、感情を伏せ笑みを浮かべ、卒なく対応してきた。

 つまり、演じればいいのだと気付いた。それならば、得意なことである。
 次の勤めまでに妙案が浮かび、那岐は安心した。



 次の勤めの夜、祥月が寝室を訪れるのはいつもよりも随分遅い時間だった。しかも、見るからに疲れた様子で現れ、仕事が忙しいのだと分かった。

 そんな時くらい体を休めればいいのにと思わなくもないが、疲れているからこそ性を発散したくなることもある。
 祥月は人より性が溜まるのが多いので、そのせいで先延ばしにすることができないということも分かっている。面倒な体なのだ。

 愛人の那岐にできることは、優しく労わることでも何でもない。
 祥月に疲れさせないように、勤めに励むだけだ。

 ベッドに仰向けになる祥月のものを昂らせると、那岐は身にまとった襦袢をはらりとシーツの上に落とし、腰の上に跨った。

「ん……っ」

 ゆっくりと侵入してくる肉の突起が内側を掠め、那岐は小さく声を漏らす。なるべくいい場所に当たらないように、体の角度を少し変えた。

「く……」
 那岐は息を吐き出し、腰を動かし始めた。肉を締め付け、祥月が高まっていくことに意識を集中させる。自分の快感を得ることは控えるようにした。

「どうした?」
 尋ねられ、腰を動かしながら那岐は首を傾げた。

「何がですか?」
 問うと、祥月は少し考えるようにして那岐を見上げる。
「いつもと違うような……。動きが硬いように思える」

 緊張を見抜かれ、目敏さに感心した。セックスしかしない関係だからこそ、むしろ違いがすぐに分かるのかもしれない。

 少し動揺してしまったのを隠すように、那岐は微笑んだ。
「悦くありませんでしたか? 襦袢を着ているので、遊郭らしい雰囲気を出してるんですよ。しっとりと色気があるでしょう?」

 多くの男に見せてきた微笑みを浮かべる。祥月の前では最初から素の自分で接していたので、出すことはなかった。
 今夜はそういう趣向なのだと、祥月は納得した。

「確かに、年相応だ」

 普段ならば、それはどういう意味だと軽く睨むところだが、今夜は口にしない。
 黙って腰を動かし続ける那岐の反応は祥月にも意外だったようで、少し戸惑うような顔が返ってきた。

 大きなベッドが、那岐の動きに合わせてぎしぎしと音を立てる。息が乱れるほど腰を揺らし、祥月が小さく呻き達した。那岐はそれを体の中で受け止める。
 祥月が達しても那岐がまだ達していないことは、初めてだった。

「今夜はお疲れですから、最後まで俺に任せていて下さい」
 営業用の微笑みを浮かべ、那岐は立て続けに跨ったまま腰を動かす。

 この態勢で二回続けるのはなかなか辛くもあるが、疲れている祥月が少しでも楽をできるようにしたかった。

 那岐、と名を呼ばれ祥月に腰を掴まれた。
「まだ達してもいない。お前のいい所に当てていないだろう」

 いつも先に達している那岐が未だ達していないので、おかしいと思うのも当然だ。
 愛人が気持ちいいかどうかは勤めに関係がないのに、祥月はそのことを指摘した。

 腰を掴む手に、那岐は慌てた。祥月が、自ら動く気だと分かった。

「いいんです。俺がするんですから、祥月様はそのままで……っあ」

 少し浮かせた腰に、衝撃が訪れる。
 腰を固定され下から突き上げられると、当てないようにしていた感じる場所を突起が掠める。

「や……っ、あ」
 揺さぶられ倒れてしまわないよう、那岐は祥月の腹に手を置き体を支える。
「動か……、あっ、やだって……!」

 気持ち良くなれば思考が飛んでしまう。自分が何を口走ってしまうかが分からない。
 だから、わざと自分の快楽を追わないように主導権を握っていたのに、祥月に奪われてしまった。

 揺さぶりが止まり、那岐の体はシーツの上に仰向けにさせられた。大きく足を開かれ、再び突かれる。

 那岐は腰を掴む祥月の手を掴んだ。
「っは、あ、祥……! あっ、あ」

 激しく腰を動かす祥月の髪が揺れ、耳飾りがゆらゆらと動く。

「あ……っあ、あ、い、い……く、あっ」
 那岐は祥月を締め付け、体を震わせた。
 見下ろす祥月は、自分が達した時よりも満足そうな表情を浮かべていた。

 結局、疲れているというのに祥月は自ら動き、三回那岐の中に精を吐き出した。

 いつもならば、行為を終えれば祥月は自分の部屋に帰る。
 だが今夜は、三回目の直後、限界だと口にして祥月はベッドに突っ伏してしまった。

「ったく、疲れてるなら大人しくしていればいいのに……」

 数秒で眠ってしまった祥月を眺めぼやくと、那岐は自分の部屋へ掛け布団を取りに行った。
 季節的にも掛け布団がなくても風邪をひくことはなさそうだが、王子を素っ裸で寝かせるわけにもいかない。遅い時間に安住に布団を頼むのも忍びなかった。

 掛け布団を手にして寝室に戻ると、祥月は仰向けになっていた。静かな寝息が聞こえる。
 無防備な姿に、想像以上に疲れているのだと分かった。那岐は起こさぬようにして、自分の掛け布団をそっと祥月の体に掛けた。

 掛け布団は一つしかない。以前、一緒に寝れば良いなどと口にしていたから、一緒の布団に入らせてもらっても怒られはしないだろう。
 那岐は祥月を起こさぬよう、静かに反対側から布団の中へと滑り込んだ。

「寝顔、初めて見たな……」
 那岐は、祥月の綺麗な寝顔を見つめる。
 王族ともなると、寝顔さえ上品だ。きっと寝相も良いに違いない。寝相の悪い祥月など、想像できない。

 いつまでも見つめていられそうな祥月の寝顔に、那岐は口元を緩めた。大人びていても、寝顔は那岐より二歳年下の若者だ。

 愛しいと、思った。

 勘違いだと、雰囲気に流されただけだと、自分を誤魔化せそうもない。那岐は間違いなく、祥月のことが好きなのだ。

 温かなものが胸の奥から湧いてきて、幸せな気持ちにさせてくれる。けれど、立場を考えると苦しい気持ちにもさせられる。

 そもそも、普通に生きていれば出会うことすらなかった相手だ。出会えたこと自体が奇跡である。傍に居られるだけで満足だ。こうして肌を重ねているだけで、那岐は幸せなのだ。

 館を出るその日まで、那岐はこの密やかな想いを大事にすることにした。

 少しでも長く傍に居られるように、飽きられることのないように、より一層勤めに励もうと決意する。

 那岐は愛しい者を見る優しいまなざしで、祥月を見つめた。疲れ切っている祥月は、朝まで起きそうもない。

 キスしたいと思ったが、寝ているとはいえそんなことを許される相手ではない。
 けれど、唇でなければまだ許されるだろうかと、生まれた欲を抑えられない。

 那岐は少しだけ祥月にすり寄った。こめかみに顔を近付けると、唇に髪が触れる。
 散々肉欲に耽ったくせに、ただその程度触れただけで、温かな気持ちになった。

 この想いは秘めなければならない。だから、祥月に告げることはない。

 けれど、寝ている時ならば口にすることができる。こんなふうに祥月が部屋に帰らないことは、もう二度とないであろう。

 今ならば、今しかないと、口にしたい衝動が湧き上がる。
 一度吐き出せば、楽になれる気がした。

 那岐は静かに深呼吸をした。祥月がぐっすりと眠っていることを確認し、意を決して震える唇を薄く開く。
 そして、大切な言葉を噛みしめるように、ひっそりと想いを告げた。

「好……きだ」

 あまりに小さくか細い声に、那岐は唇を噛んだ。
 こんな状況でないと口にすることができない恋をしているという現実が、悲しかった。

「……様、好きだ……」
 声が震えたが、もう一度だけ口にした。

 那岐の秘めやかな想いは、静かな夜に溶けた。
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