そしてケモノは愛される + ケモノはシーツの上で啼く

藤沢ひろみ

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そしてケモノは愛される

36.穂積の恋人

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 穂積は、志狼という恋人を得た。

 まさか自分が恋人の仲を裂いてまで、しかも親友の恋人を奪うという行動まで取るとは思いもしなかった。
 自分で思っている以上に、穂積は十六歳も年下の獣人の男に、年甲斐もなく惚れ込んでいるようだ。


「志狼の日常の怪我の多さは子供並みだな」
 治療に訪れた志狼に、穂積は溜め息をついた。

 今日は朝から、隣町まで納品に出掛けていたらしい。
 狩りで得た素材などを売りに行くのは、まだハンターとしては一人前ではない者が任されるが、量が多いということで志狼が護衛を兼ねて一緒に付いて行ったという。
 それで何故怪我をしたかというと、どうやら町のチンピラどもに絡まれたということだった。

「睨んでもいないのに、勝手に因縁つけてきたのあっちだから。どうせ俺は目つき悪いよ」
 穂積の向かいのイスに腰掛け、手当てを待ちながら志狼がぼやく。

 目つきは悪くとも、中身を知ればこんなに可愛い奴なのに。穂積は緩く笑った。
「ほれ、顔を出せ」
「ん」

 殴られた頬は赤くなり、口の端には少し血も出ている。
「こういう時は、ほっとかないですぐ冷やせ。少しはマシだ」
「うん。今度からそうする」
 穂積は傷薬を指にとると、志狼の頬に塗っていく。

 こうして手当てで触れることはあるが、未だに志狼とは色っぽい進展がなかった。

 顔に傷薬を塗るため自然と顔が近付き、互いの視線が合う。
 穂積は薬を塗っていた手を、そっと志狼の頬に添えた。意図に気付いた志狼が、受け入れるようにほんの僅か唇を動かす。

「シロちゃん、手当ては終わったかねぇ」
 ノックもなしに診察室のドアが開いた。穂積は素早く元の位置に座り直した。

 色っぽい進展がない要因の一つに、祖母の乱入があった。
 志狼のことを気に入っている祖母は、志狼が来ると一緒に居たがるのだ。

「ばばぁめ……!」
 祖母に聞かれないように、穂積は舌打ちした。何度、二人きりになるのを邪魔されているか分からない。

「お茶でも飲むかねぇ」
「ありがとう。ばあちゃん」
 祖母は待合室へと、志狼の手を引いて出て行った。

 今は患者が途切れているが、受付をしている祖母はいつ患者が来てもいいように、待合室の受付で待機している。だから、志狼にも待合室に来てもらう必要があるのだ。

 当然のように志狼を連れて行かれ、穂積は深く溜め息をつく。仕方がないので腰を上げると、後を追うように待合室へと向かった。

 お茶を用意すると、祖母は受付に座る。
 受付に対して正面とはす向かいに長椅子があるが、並んで座るのも妙なので、志狼が腰掛けたのとは別の長椅子に腰掛けた。

 八割はお喋り好きな祖母がずっと喋っている。志狼はいつも祖母の話を楽しそうに聞いていた。

 穂積は祖母と一緒に暮らしているので、家でも病院でもずっと一緒なものだから特に話をすることもなく、たいがいは聞き手に回っていることの方が多い。いつもより多く話すのは、志狼がいる時くらいだ。

 今日の祖母の話題は、茶飲み友達の孫が来月に結婚するらしく、祝いの品を趣味の編み物で作っているのだという話だった。
 最近病院が終わったらすぐに帰ってしまうのは、そういう事情だったようだ。いつも祖母が何を編んでいようと、穂積はまったく気にも留めないから知らなかった。

「赤ちゃんが生まれた時に、可愛いローブで包んであげたくてねぇ」
 祖母は赤ん坊を抱く真似をする。穂積が生まれた頃は、その腕の中にいたはずだ。

「まだ結婚もしてねえのに、気が早すぎやしないか?」
 呆れたように言うと、分かってないねぇと逆に呆れ返された。穂積にしてみれば、何故呆れられるのかが分からない。

「俺も、ばあちゃんの作ったやつ見てみたいな」
 祖母の作った編み物を見たことがない志狼は、祖母がどんなものを作るのか興味を持ったようだ。

 祖母がぽんと手を叩いた。
「そうだ。今度シロちゃんにも、何か作ってあげようかねぇ。じきに寒くなるから、首巻きなんてどうだい」
「いいの? わぁ、楽しみだな」
 尾をゆさゆさと振りながら、志狼は楽しそうにする。

「ばあちゃんは手先が器用だね。俺は豆の筋取りの手伝いも下手って言われるくらいだよ」
「なにせ、六十年以上しとるからねぇ。じいさんと付き合っていた頃も色々プレゼントしたものさ」

 カウンターで頬杖をつき、祖母は昔を思い出すように笑った。
「私は二十歳で結婚したのさ。穂積の父親も、二十過ぎには結婚しとったねぇ。今度結婚する友達の孫も、三十過ぎだって聞く」

 祖母の声色が少し変化する。
「それなのにこの子ときたら、三十八歳になるというのに未だに嫁ももらわずフラフラして……」

 話の雲行きが怪しくなってくる。穂積は嫌な予感がした。

「じいさん譲りの男前だ。決して女にもてないわけじゃないのにねぇ。それなのに、あっちでフラフラ、こっちでフラフラと遊び歩きおって。いったいいつ身を固めて、私にひ孫を見せてくれるつもりかねぇ。いくら仲良くしていても、お店の女の子は嫁じゃないんだよ」
 祖母が半分呆れた顔で睨んでくる。

 自業自得とも言えるが、恋人の前で女遊びの過去を暴露されるのは遠慮したかった。

「斎賀様も言ってたけど、穂積先生ってそんなに昔から女遊びばっかしてるの?」
「ハンターをしていた頃は特にひどかったもんだねぇ」

 これ以上話を広げられたくないのに、志狼までが祖母の話に乗ってくる。
 なんと居心地の悪い空間だ。

 今すぐに患者が来ないものかと入り口を穴が開くほど見つめるが、こんな時ほど扉は微動だにしない。

「みんな遅くても三十過ぎには結婚しとる。この歳にもなって嫁をもらっていないのは、斎賀とこの子くらいだよ。斎賀は本人にその気さえあればその日にでも嫁は見つかるだろうが、お前はそうじゃなかろうに」

 確かに家庭を持つというのはいい。それは穂積にも分かる。
 だが、残りの人生でたった一人しか愛せなくなる。この先もっと愛する者が現れたら、どうしたらいい。少なくとも、残りの人生すべてを捧げたいと思えるほどの女とは、まだ出会ったことはない。

 だから、これまで付き合った女から結婚を匂わされると別れていた。次第に、恋人を作らない方がそういった煩わしさがなく楽だと考えるようになり、その場限りの付き合いしかしなくなった。

 現時点での嫁候補ならここにいるんだけど。
 穂積はちらりと視線を志狼に送るが、志狼は祖母の方を向いていた。

 志狼が嫁候補だ、なんて言ったら祖母は卒倒しそうだ。
 男相手に何言ってるんだと、怒るということもある。それとも、孫のように可愛がっているから喜んでくれるだろうか。

 そんなことを考えていたら、扉がようやく開き患者が現れた。
 どうやら祖母のお喋りを阻止できそうだと、穂積は安堵した。
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