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十一.神呼び
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まだ梅雨入りしていないにも関わらず、その日は昼前から絶え間なく小雨が降り続いていた。湿気を含んだ空気が重い。
告の家に約束の客が訪れたのは、時計の針が夜の九時を指す少し前だった。
「ようこそお越し下さいました」
木村が客を出迎える。
「遅い時間に申し訳ございません。本日はよろしくお願いいたします」
背広を着た四十代から六十代の男が三人、深々と頭を垂れる。本日の仕事の相手だ。
一番前に立つ六十代の男は、テレビで顔を見たこともある外務大臣だ。副大臣が一緒だと聞いているので、他の二人がそうなのだろう。
手洗い場で手を清めた後、客は木村に応接室へ案内される。まずそこで当主である父と依頼内容について話をした後、神呼びの儀を行うことになっていた。
柱の陰から客が応接に入るのを確認し、大和は悠仁とともに、地下へと続く階段を降りた。
“告”の仕事は、告の屋敷の地下に作られた、神呼びの間で行われる。
まさか、住宅地ど真ん中の屋敷に百平米もの広さの地下室があるとは、誰も思いもしないだろう。
本日の神呼びの儀は、父と大和と悠仁の三人で行う。大和と悠仁は、補佐の立場だ。
神呼びは呼ぶ為の血が多ければなお良い。時には、分家の人間も行うことがあり、広い屋敷の二階には分家の人間が泊まる為の客間もある。神呼びをした後は、かなりの体力を消耗するからだ。
「兄さん。浄衣の衿が少し緩んでいます」
階段を降りた所で、悠仁に呼び止められた。
神呼びの時は気持ちが引き締まる為か、悠仁は口調が敬語になる。
大和は悠仁の方に体を向け、着崩れを直してもらった。
神呼びの際は、白の浄衣を着用する。父の補佐として大和が神呼びに加わるようになってから、六年が経つ。今では一人で着付けもできるようになった。
二人は神呼びの間へと入った。
そこには、天井の高い、板の間が広がっていた。柱に備え付けられた燭台の蝋燭に、それぞれ順番に火を灯していくと、ようやく広間全体が見えるようになる。
中央には榊と水晶が置かれ、水晶を挟むように壁際に三ヶ所、座布団が敷かれていた。それぞれの前に小刀と、神酒の入った盃の乗った三方が置かれている。
大和と悠仁は、左右に配された座布団に向き合うように正座した。神呼びの間は広いので、向き合うといっても距離がある。そして、神呼びの間に入ってからは、余計な話は一切しない。
しばらくして、父と客が神呼びの間へとやってきた。
大和と悠仁は、緊張の面持ちで黙ったまま向き合う。三人の客は、入り口に置かれた座布団の上に静かに座った。
当主である父が、悠仁の後ろを通って奥へと進み、同じように三方を前に置いた座布団に座る。水晶を囲むように、父と大和と悠仁で三角形の配置になった。
「これより、神呼びを行う」
父が、低く厳かな声を上げ、しんと静まり返った神呼びの間に響いた。
客は手を床につき深く頭を垂れる。儀式中、大概の客はこのように、平伏していることが多い。一度神呼びの儀を経験した者は特に、その恐れ多い体験から自然とそうなってしまうようだ。
父の言葉を合図に、一様に三方に乗った小刀を手にする。
左の親指を小刀で深めに切りつけると、指先から赤い血がじわりと溢れ出る。その血のついた指を、盃に入った神酒に浸した。アルコールが傷口に沁み、大和はくっと眉を顰めた。
出血は微量だが、神酒に溶け出すとみるみるうちに神酒が赤く染まっていく。
まるで魔法でも見ているかのように、しゅるしゅると弧を描きながら盃から赤く染まった神酒が宙へと浮かぶ。
血が大量に引き抜かれているわけでもないのに、思わず体がぐらついてしまう。いつもこの時に、体からエネルギーが引き出されているように感じる。大和は足を踏ん張らせ、体がぐらつくのを耐えた。
三人の“告”の血が中央に置かれた水晶の上空へと集まり、赤い球体が出来上がる。
水晶が白く光を放ち始め、赤い球体が呼応するかのうように白く光る玉に変わった。
「我は告の血を受け継ぐ者なり―――」
父が祝詞を唱え始めた。大和と悠仁は、視線を外すことなく光の玉を見つめ続ける。
光の玉は揺らぎながら徐々にその形を変え、次第に大きくなり始めた。父の祝詞が終わる頃には、三十センチほどの球体へと姿形を変える。実際にはそれよりも小さいのかもしれないが、その輝きの眩しさが、球体を大きなものへと見せていた。
光の玉が最も大きくなり、まるで脳にぬるい空気が直接触れるような感覚に襲われる。
“東の……海原に……気を払え……”
直接頭の中に、男のものとも女のものとも分からぬ声が響く。
声が途切れると、光の玉が一瞬大きく光り、突然ふっと消滅した。
声は神呼びの間にいるすべての者に与えられる。客の方を見ると、さらに深々と頭を下げていた。
依頼の内容は父しか知らないが、あの言葉が彼らが求める答えになったということだ。
神呼びで告げられた言葉は、決して違えることはない。例え数年先に結果として現れるものだったとしても、間違いはないのだ。それゆえに、選択を突き付けられた時、“告”を訪れる者は多い。
神呼びの儀が無事に終わり、大和は安堵した。
回数を重ねても、神呼びの緊張と、頭に直接声が流れ込む感覚には慣れなかった。
神呼びの儀を終え、客は木村に見送られ帰って行った。
地下を出て、三人ともリビングへと向かう。指先から血を流したままなので、治療してもらうためだ。
「お疲れ様です」
父のもとへ君江が駆け寄った。
「お疲れ様でございました」
大和と悠仁は、木村にもとへ行く。
傷が深いため、絆創膏ではなくしっかりと傷の手当てをしてもらう必要がある。そして、傷の見た目以上に、体が疲労していた。
神呼びをすると、かなりの体力を消耗する。大和が初めて神呼びを手伝った頃はまだ高校一年生だったが、その体力の消耗ぶりに翌日学校を休んでしまったくらいだ。
今は経験を重ね、そこまで動けなくなるようなことはないが、それでも時には体のだるさが回復せず、大学を休むこともあった。まだ若い大和たちでもそれくらいなのだから、四十代後半の父は体力が戻るまでさらに時間がかかるだろう。
「明日はいかがされますか?」
まず悠仁の手当てをしながら、木村が二人に尋ねる。
学校に行けそうかどうかという意味だ。
「俺は大丈夫」
大和が答えると、悠仁も頷いた。
「俺、もう寝る」
手当を終えると、重い足取りで悠仁は二階の自室へと戻って行った。
平日に神呼びをすると、翌日の学校の授業中に寝てしまうこともある。授業の開始時間がしっかりと決まっている悠仁と違い、大和はまだ大学の講義が遅めなので楽な方だ。
それでも、早く浄衣を脱ぎ、ベッドで横になりたかった。木村に手当をしてもらうと、大和も早々に自室へと戻り、深い眠りについた。
告の家に約束の客が訪れたのは、時計の針が夜の九時を指す少し前だった。
「ようこそお越し下さいました」
木村が客を出迎える。
「遅い時間に申し訳ございません。本日はよろしくお願いいたします」
背広を着た四十代から六十代の男が三人、深々と頭を垂れる。本日の仕事の相手だ。
一番前に立つ六十代の男は、テレビで顔を見たこともある外務大臣だ。副大臣が一緒だと聞いているので、他の二人がそうなのだろう。
手洗い場で手を清めた後、客は木村に応接室へ案内される。まずそこで当主である父と依頼内容について話をした後、神呼びの儀を行うことになっていた。
柱の陰から客が応接に入るのを確認し、大和は悠仁とともに、地下へと続く階段を降りた。
“告”の仕事は、告の屋敷の地下に作られた、神呼びの間で行われる。
まさか、住宅地ど真ん中の屋敷に百平米もの広さの地下室があるとは、誰も思いもしないだろう。
本日の神呼びの儀は、父と大和と悠仁の三人で行う。大和と悠仁は、補佐の立場だ。
神呼びは呼ぶ為の血が多ければなお良い。時には、分家の人間も行うことがあり、広い屋敷の二階には分家の人間が泊まる為の客間もある。神呼びをした後は、かなりの体力を消耗するからだ。
「兄さん。浄衣の衿が少し緩んでいます」
階段を降りた所で、悠仁に呼び止められた。
神呼びの時は気持ちが引き締まる為か、悠仁は口調が敬語になる。
大和は悠仁の方に体を向け、着崩れを直してもらった。
神呼びの際は、白の浄衣を着用する。父の補佐として大和が神呼びに加わるようになってから、六年が経つ。今では一人で着付けもできるようになった。
二人は神呼びの間へと入った。
そこには、天井の高い、板の間が広がっていた。柱に備え付けられた燭台の蝋燭に、それぞれ順番に火を灯していくと、ようやく広間全体が見えるようになる。
中央には榊と水晶が置かれ、水晶を挟むように壁際に三ヶ所、座布団が敷かれていた。それぞれの前に小刀と、神酒の入った盃の乗った三方が置かれている。
大和と悠仁は、左右に配された座布団に向き合うように正座した。神呼びの間は広いので、向き合うといっても距離がある。そして、神呼びの間に入ってからは、余計な話は一切しない。
しばらくして、父と客が神呼びの間へとやってきた。
大和と悠仁は、緊張の面持ちで黙ったまま向き合う。三人の客は、入り口に置かれた座布団の上に静かに座った。
当主である父が、悠仁の後ろを通って奥へと進み、同じように三方を前に置いた座布団に座る。水晶を囲むように、父と大和と悠仁で三角形の配置になった。
「これより、神呼びを行う」
父が、低く厳かな声を上げ、しんと静まり返った神呼びの間に響いた。
客は手を床につき深く頭を垂れる。儀式中、大概の客はこのように、平伏していることが多い。一度神呼びの儀を経験した者は特に、その恐れ多い体験から自然とそうなってしまうようだ。
父の言葉を合図に、一様に三方に乗った小刀を手にする。
左の親指を小刀で深めに切りつけると、指先から赤い血がじわりと溢れ出る。その血のついた指を、盃に入った神酒に浸した。アルコールが傷口に沁み、大和はくっと眉を顰めた。
出血は微量だが、神酒に溶け出すとみるみるうちに神酒が赤く染まっていく。
まるで魔法でも見ているかのように、しゅるしゅると弧を描きながら盃から赤く染まった神酒が宙へと浮かぶ。
血が大量に引き抜かれているわけでもないのに、思わず体がぐらついてしまう。いつもこの時に、体からエネルギーが引き出されているように感じる。大和は足を踏ん張らせ、体がぐらつくのを耐えた。
三人の“告”の血が中央に置かれた水晶の上空へと集まり、赤い球体が出来上がる。
水晶が白く光を放ち始め、赤い球体が呼応するかのうように白く光る玉に変わった。
「我は告の血を受け継ぐ者なり―――」
父が祝詞を唱え始めた。大和と悠仁は、視線を外すことなく光の玉を見つめ続ける。
光の玉は揺らぎながら徐々にその形を変え、次第に大きくなり始めた。父の祝詞が終わる頃には、三十センチほどの球体へと姿形を変える。実際にはそれよりも小さいのかもしれないが、その輝きの眩しさが、球体を大きなものへと見せていた。
光の玉が最も大きくなり、まるで脳にぬるい空気が直接触れるような感覚に襲われる。
“東の……海原に……気を払え……”
直接頭の中に、男のものとも女のものとも分からぬ声が響く。
声が途切れると、光の玉が一瞬大きく光り、突然ふっと消滅した。
声は神呼びの間にいるすべての者に与えられる。客の方を見ると、さらに深々と頭を下げていた。
依頼の内容は父しか知らないが、あの言葉が彼らが求める答えになったということだ。
神呼びで告げられた言葉は、決して違えることはない。例え数年先に結果として現れるものだったとしても、間違いはないのだ。それゆえに、選択を突き付けられた時、“告”を訪れる者は多い。
神呼びの儀が無事に終わり、大和は安堵した。
回数を重ねても、神呼びの緊張と、頭に直接声が流れ込む感覚には慣れなかった。
神呼びの儀を終え、客は木村に見送られ帰って行った。
地下を出て、三人ともリビングへと向かう。指先から血を流したままなので、治療してもらうためだ。
「お疲れ様です」
父のもとへ君江が駆け寄った。
「お疲れ様でございました」
大和と悠仁は、木村にもとへ行く。
傷が深いため、絆創膏ではなくしっかりと傷の手当てをしてもらう必要がある。そして、傷の見た目以上に、体が疲労していた。
神呼びをすると、かなりの体力を消耗する。大和が初めて神呼びを手伝った頃はまだ高校一年生だったが、その体力の消耗ぶりに翌日学校を休んでしまったくらいだ。
今は経験を重ね、そこまで動けなくなるようなことはないが、それでも時には体のだるさが回復せず、大学を休むこともあった。まだ若い大和たちでもそれくらいなのだから、四十代後半の父は体力が戻るまでさらに時間がかかるだろう。
「明日はいかがされますか?」
まず悠仁の手当てをしながら、木村が二人に尋ねる。
学校に行けそうかどうかという意味だ。
「俺は大丈夫」
大和が答えると、悠仁も頷いた。
「俺、もう寝る」
手当を終えると、重い足取りで悠仁は二階の自室へと戻って行った。
平日に神呼びをすると、翌日の学校の授業中に寝てしまうこともある。授業の開始時間がしっかりと決まっている悠仁と違い、大和はまだ大学の講義が遅めなので楽な方だ。
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