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第11章 その後

第159話 交代

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「今日からここが我が家になるんですねぇ……」

 まだがらんとした広い部屋を見回しながら、エミリスがしみじみと呟いた。

「と言っても、まだ借家だけどな。ちゃんとした家は落ち着いたら建てよう」
「はい! それも楽しみですね」

 エミリスは彼を振り返って笑顔で頷いた。

 新年早々、一度ゼバーシュに戻ってドーファン先生に来てもらう手筈を整えてから、改めてウメーユに入っていた。
 それからしばらくは宿から砦に通う日々を続けていたが、その間に借家の手配をしていたのだ。
 2月になり、ようやく今日その家に引越しすることになった。
 最小限の荷物はゼバーシュから馬車で手配していて、それが午後に届く手筈だった。

「さあ、荷物が届いたら、忙しくなるぞ」
「ふふふ、そういうのは私の得意技ですから、存分にお任せくださいませ」

 彼女は胸を張って鼻息を荒くした。
 確かに、エミリスは魔力で簡単に重いものでも運べるし、掃除や片付けなどは元々プロのレベルなのだ。

「ああ、頼む。早く終わらせてゆっくりしよう」
「ですね! 今晩はお料理するのは難しいかもしれませんけど、明日はパーティにしましょう」
「そうだな。……ところで、明日は何の日か、覚えてるか?」

 アティアスに聞かれて、彼女はきょとんとして首を傾げた。

「え……? いえ……思い当たることはありませんけど……?」
「相変わらずそういうのは苦手なんだな。ほら、よーく考えてみろ。明日は何月何日だ?」
「えっと、明日は確か……2月2日だったかなと」

 彼女は頭の中でカレンダーを思い出しながら答えた。

「そうだな。2月2日といえば?」
「……思いつきませんけど。なんの日ですか? もう教えてくださいよぅ」

 考えたが思いつかなかったので、諦めて彼に聞く。

「仕方ないな。……これの日だ」

 アティアスはそう言うと、すっとエミリスの背後に回って、彼女の首筋に指を当てた。
 それでようやく気付いたのか、エミリスはしみじみと呟いた。

「……もう1年……なんですね。……あっという間すぎて意識してませんでした」

 彼は彼女の首から指を離すと、今度はその頭をそっと撫でる。

「そうだ。この1年、いろいろあったな」
「はい……。アティアス様にこのように撫でていただいてから、本当に。……感謝の言葉もありません」

 エミリスは彼のほうに振り返り、その胸に顔を埋めた。
 彼女の目からすっと涙が溢れる。

「気にしなくていいさ。逆に言うとまだたった1年だ。この先、まだまだ何十年もあるんだ」
「はい。そうですね。……これから今までの何十倍も楽しめると思ったら、楽しみすぎますね」

 アティアスは彼女の涙を指でそっと拭ったあと、ポンポンと頭を押さえた。

「とりあえず、荷物が来る前に掃除くらいしないとな」
「はい。それもお任せくださいね」

 彼女が笑顔で手をかざすと、壁際に置いていた雑巾がふわっとその手に収まった。

 ◆

「失礼します……」

 翌日、一通り片付いたと聞いて、ウィルセアが2人の家に来訪した。
 彼女も新年早々にウメーユに来て、それから2人と同じように当面は宿で寝泊まりしていた。

「こんにちは、ウィルセアさん。どうぞお入りください」

 玄関で出迎えたエミリスがウィルセアをダイニングに案内する。

「やあ、ウィルセア」
「アティアス様。こんにちは。ご機嫌そうでなによりです」
「2日前には顔合わせたばっかりだろ。そんな堅苦しくなるな」

 そう言ってアティアスが笑う。

「いえ、私はアティアス様の部下ですから。礼儀は大切ですわ」
「それ言ってたら、ノードとか部下でも俺とタメ口だぞ? 俺はそんなの気にしないから」
「貴族たるもの、それではいけませんわ。ねぇエミリスさん?」

 急に振られたエミリスは戸惑いながらも答えた。

「え? えっと……そうですね。礼儀は大事だと思いますっ!」
「ほら、エミリスさんもそう言っておられます」
「そ、そうか……。エミーにも何度も言ったんだがな、聞いてくれないんだ」

 今まで何度も『様』付けしないで構わないと言ってきているが、それだけは頑なに変えようとはしなかった。

「……ところで、アティアス様にお願いがあるのですが」
「なんだ? ウィルセア」

 唐突にウィルセアは彼に話しかけた。

「はい。実は……宿だとあまり自由にできませんので、私も宿を出たいと思うのです」
「ふむ……。まぁそうだよな。どこかに家でも借りるか?」
「つきましては、こちらの家で住み込みで働かせていただけないかな、と……」

「「…………は?」」

 その話を聞いて、アティアスもエミリスも目を丸くして絶句した。
 すぐに正気に戻ったエミリスが慌てて返す。

「だ、だめですよっ! アティアス様のお世話は私のお仕事ですからっ! ねっ、アティアス様っ!」
「そうだなぁ……」

 歯切れの悪い返事を返すアティアスに、ウィルセアは言った。

「エミリスさんはアティアス様の奥方様なのですから、使用人がするようなことはしなくても良いかと思います。私も幼い頃から家事は仕込まれておりますので、それなりのお役には立てます」

 エミリスは言葉に詰まる。
 確かにウィルセアの言うことも尤もだという気もしなくもない。
 しかし、その通りではあるのだが、彼の側で仕えるのが自分のアイデンティティでもあるのだ。

「うぅ……。それでもアティアス様のお世話は私の仕事なのです……」

 困ったような顔をするエミリスに、ウィルセアが提案する。

「なら、私と交代でするのはいかがでしょうか? アティアス様も毎日同じより良いのではないですか?」
「うーん……。まぁエミーに休ませてあげたい気もするけど」

 アティアスは悩む。
 毎日家事もこなすエミリスは、休みなく働いているようなものだ。
 時々はゆっくりさせてやりたいとは思っていた。

「ならちょうど良いですね。エミリスさんもいかがですか? 休みの日はお二人でごゆっくりしてください」

 エミリスもなんとか思考をまとめようとする。
 確かにウィルセアの言うように、自分が休みのときに彼とゆっくり出かけたりするのも魅力的だ。
 しかし、彼を独り占めしたい気持ちも大いにある。
 とはいえ、ウィルセアはまだ幼いし、アティアスの力になるために来てくれているのに、一人暮らしをさせるのも申し訳ない気持ちもあった。そしてこの家は十分な広さがある。

 それらが頭をぐるぐると駆け巡って、湯気が出てきそうになった。
 そして、苦い顔で吐き出した。

「…………ううぅ。わ、わかりました。わかりましたよっ!」
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