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第8章 王都への道のり

第121話 救助

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「わわっ!」

 甲板の端に立っていたエミリスは、海賊船がぶつかった衝撃でバランスを崩してよろめいた。
 咄嗟に手を伸ばして手すりを掴もうとしたが、間に合わずに空を切る。

「――――あっ!」

 小さな悲鳴の声を上げながら、船から投げ出されて、船と船の僅かな隙間に吸い込まれていく。

「エミー!!」

 アティアスは急いで追おうと、甲板の端に駆け寄り下を覗き込むが、彼女の姿は見えない。
 いくら自由に飛べる彼女といえども、魔力を練るには若干の時間がかかる。咄嗟には反応することができなかったのだろう。

 飛び込んで助けに行くか逡巡する。
 自分は泳げるが、船が進んでいるこの状況では可能性が低い。
 ただ、少しでも可能性があるなら行かないわけにはいかなかった。

 しかし、飛び込もうとしたとき、再度船体が大きく傾いてアティアスは尻餅をついてしまった。

「な、なんだ――⁉︎」

 自分たちが乗っている定期船が、海賊船の側に傾き始めていた。
 まさか――。
 嫌な予感が頭をよぎる。

『緊急事態です! 本船の側面から浸水があり、沈没する恐れがあります! 乗客の皆様は部屋を出て、甲板から避難ボートに乗ってください! 繰り返します――』

 船員の慌てた声が、船に張り巡らされた伝声管を通して聞こえてくる。
 やはり予感が的中してしまったか。
 先ほどの海賊船がぶつかった衝撃で、船の側面に穴が開き、そこから浸水を始めていたのだ。

 恐らくエミリスが放った魔法で海賊船の操舵手も倒れ、勢いを殺さずにぶつかってしまったのだろうと考えられた。

 ――これはまずい。

 エミリスのことは当然心配だが、このまま沈没となると甚大な被害になる。
 自分が優先すべきは、1人でも多くの乗客を非難ボートに誘導することではないかと、考えを改める。

「乗客を誘導するぞ!」

 アティアスは大声を張り上げて音頭を取る。
 それに呼応して傭兵たちが動く。そして船員も急いで避難ボートを降ろす作業に取り掛かる。

 海に落ちた程度で、あのエミリスがどうにかなるはずないと信じて。

 ◆

 船が沈む前に、確認できる乗客全員を避難ボートに乗せることができた。
 そのことを確認したあと、次いで船員、そして最後に船長も避難する。

 幸い避難ボートの定員は十分であり、余裕を持って乗り込むことができていた。

「これで全員のようだな」

 荷物などは持ってくることはできないが、やむを得ない。
 海賊船は少し離れたところで沈黙したままだが、この状況では改めて船を襲うようなことはしないだろう。
 積荷を略奪しようにも、その間に沈んでしまう可能性が考えられるからだ。

 アティアスが周りを見渡したときだった。
 見覚えのある顔が目に入った。何度か顔を合わせた子供連れの母親だった。
 彼女はアティアスと目が合うと、悲壮な声で訴えかけてきた。

「……あの、チャコがいないんです……! はぐれてしまって……」
「なんだと……!」

 チャコというのは彼女が連れていた小さな息子のことだ。
 他の避難ボートに目を遣っても、子供が乗っているようには見えなかった。
 となると、まだ船内に取り残されているのだろうか。

 しかし、今からもう一度船に近づくことは危険すぎる。
 目の前で沈没すれば避難ボートが巻き込まれてしまう。むしろ一刻も早く離れる必要があった。

「エミー……!」

 こういうときに彼女がいれば、飛んで船に戻ることができた。
 なにより、船内のどこに子供がいるかなど、すぐに突き止めることができる。
 近くに彼女がいないことで、どれほど普段から助けられていたのかを痛感する。

 アティアスは何も手を出すことができず、傾いた船を見ていることしかできなかった。

 ――くそっ!

 アティアスは無力を悔やむ。
 海賊船が近づいて来ているのがわかった時点で、相手を沈めてしまうことすらできたのに、自らの中途半端な判断でこれほどの被害を出してしまった。
 誰も彼を責めたりはしないだろうが、自分が許せずに歯軋りし、頭をうなだれた。

 そのとき、ボートの内からどよめきが湧く。

「――おい! 見ろよ……!」

 何事かと頭を上げ、皆が指差す方に目を遣る。

 そこには――。

 傾いた船の甲板の上で子供を抱き抱えていたのは、紛れもなくエミリスだった。

「エミー!」

 無意識に彼女の名前を叫ぶ。
 髪や服がびしょ濡れになっていたエミリスは、その声に呼応するかのように甲板から浮かび上がる。
 その瞬間、さらにどよめきが大きくなる。
 しかし彼女は、その声を気にも留めずに、アティアスの乗るボートにふわりと降り立つと、母親に子供を手渡した。

「はい、チャコは無事ですよ。間に合ってよかったです」

 そう言って笑顔を見せる。
 子供をしっかりと抱きしめた母親は、嬉し泣きをしていた。

「うう……ありがとうございます……! 本当に……命の恩人です」

 その光景を見て、アティアスも胸を撫で下ろした。
 代わりにエミリスへと感謝の言葉をかける。

「エミー、偉いぞ」
「すみません、落ちちゃいました。私、泳げないから慌てましたよ……」

 苦笑いしながら、彼女は自分の服と髪を魔力で乾かす。少し塩を吹いて白っぽくなっているのはご愛嬌か。

「本当に心配したよ。俺も飛び込もうかと思ったくらいだ」
「飛び込まなくてよかったです。……落ちてすぐ、開いた穴から船の中に吸い込まれちゃって。最悪船ごと吹き飛ばして出ようかとも思ったんですけど、それすると船が沈んじゃいますから……」

 だから下を見ても彼女はいなかったのか。
 船底付近に入ってしまって、出るのに時間がかかってしまったということのようだ。

「そうか。……それにしてもよく子供も助けられたな」
「その子の気配が船に残ってましたから。見つけられて良かったです」
「……本当にエミーは有能だな。俺だけじゃ何もできないのを痛感したよ」

 結局今回も彼女に助けられたことになる。

「ふふ、それが私のお仕事ですから。……それで、このあとどうします?」

 言いながら周りを見渡す。
 避難用のボートは手漕ぎしかできず、沿岸から離れているこの場所から最寄りの港まで移動するのは大変なことが想像できた。

「やむを得ん。俺たちで港に飛んで、救助を依頼するしかないんじゃないか?」
「ですかね。見られちゃいますけど、構いません?」

 先ほど思いきり見られているにも関わらず、そのことを心配する彼女に対して笑う。

「さっき見られたばかりだろ。今更気にしてもな。……それに非常事態だ」
「承知いたしました。では、早くいきましょうか。夜になってしまいます」
「そうだな、頼む」

 そう言うと、ボートに乗り合わせている船長に言伝て、2人は最寄りの港まで急ぎ飛んだ。

 そして、アティアスが事情を説明して手配した救助のための船が、避難用のボートに到着したのは、夕方陽が沈むぎりぎりの時間だった。
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