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第5章 マッキンゼ領での旅

第71話 鉄板

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 予定通り、夕方には次の街ダライに着いた。

 昼間はずっと雨だったが、幸い午後には雨が上がってくれた。
 雨の中ですれ違った人達に目立たぬよう、念の為に雨具を着ていた。しかし、幸い多くが馬車であり、アティアス達が濡れていないことを不審がることはなかった。

 ダライはルコルアから北に進路を変え、緩やかな丘陵地帯を越えたところにあった。
 街に入り、まずは宿に向かう。

「この街は、今までと匂いが違いますね……」

 エミリスが周りをきょろきょろしながら呟いた。

「ここはな、鉄工業が盛んなんだ」
「鉄工業?」

 聞きなれない言葉に彼女は聞き直す。

「鉄はわかるだろ? ここはその鉄を作る所と、作られた鉄で色んなものを作ってる工場がいっぱいあるんだ。鉄以外の違う金属も作られてるけどな」
「へー、鉄というと剣とかですか?」

 パッと思いつくものを挙げてみる。

「それもあるけど、例えば釘とかの金具もそうだし、農業する時の道具もそうだよな。鉄が使われてるところなんて、いくらでもある」
「なるほどー。ああいうもの、どこで作ってるのかと思ってましたけど……」
「ゼバーシュ領にもそういう町はあるけど、ここほど大きくはないな」

 宿に着くとまずは荷物を下ろして、部屋に空きがあるか確認する。
 幸い泊まれるようで安心する。
 荷物を宿に預かってもらってから二人は馬を牽き、近くの業者に預けた。

 ◆

「綺麗な部屋ですー」

 宿の部屋は白く塗られた壁が綺麗な模様を描いており、そこに幾つかの絵画が飾られていた。
 室内の設備も新しい。
 ただ、ガラス張りの広い浴室が備えられているのは珍しい。

「これはちょっと恥ずかしいですね……」

 それを見て彼女が呟く。
 カーテンで隠せるとはいえ、何もしなけば外から丸見えの浴室である。そこに1人で入るのは恥ずかしい。

「……どうせ一緒に入ってくるんだから関係ないだろ?」

 彼が指摘する。

「それはそうなんですけど……」

 そういう浴室である、ということを考えるのが単純に恥ずかしいのだ。
 とはいえ、広い浴室はゆっくり過ごすのには良い。

 ◆

「この鉄板、すごいですねー」

 夕食にと入った店で、カウンターに調理用の大きな鉄板が設えられているのを見て、彼女が感嘆した。
 その鉄板の上では、エビなどの魚介類や野菜のほか、分厚い肉も焼かれていて、匂いが食欲をそそった。

「すごいだろ、この鉄板。厚みもすごくあるんだぞ?」
「ほえー」

 この大きさなら、どのくらいの重さになるだろうかと考えたが、いまいちイメージが湧かない。
 この重さなら、エミリスの魔力でも到底持ち上げられないのは確かだ。

「さ、好きなだけ食べて良いぞ?」
「良いんですか⁉︎」
「……やっぱり、ほどほどにな」
「えー」

 いつものような会話をしながらマスターに注文する。メインのステーキ以外は、店の主人にお任せとした。ただ、量は彼女に合わせ、とりあえず普通の2倍くらいで、と伝える。

 カウンターに2人は横に並んで、次々と焼き上がり届けられる料理をつまみにワインを嗜む。
 エミリスは久しぶりに眼鏡を宿に置いてきていた。夜だとそもそも目立たないのと、油が飛んで汚れるのが面倒だったからだ。

「美味しいですねー」
「珍しいだろ? これほど大きな鉄板は他の町まで運べないから、この街にしか無いんだ」
「……確かに。……うちにも欲しいと思ったのですけど、ちょっと無理そうですね」

 がっかりしながら彼女が言う。『うち』とは、もちろんゼバーシュの自宅のことだ。

「まぁ家で使うほどの大きさなら買えなくもないけどな。……要るのか?」
「うーん、よく考えます……」

 欲しいけど、旅先でしか食べられないものがあるのは、それはそれで良いことでもある。
 急ぐものでもないし、そのうち考えることにする。

「ところで、ここからミニーブルまではすぐなんですか?」
「そうだな、馬なら1日で着くだろ。慌てて行かなくても大丈夫だ」
「だいぶ遠くまで来ましたねー」

 彼女が感慨深げに言う。

「と言っても、急いで来ればそこまでかからないからな。……王都はもっと遠いぞ?」
「むー、行ってみたいですけど、そんなに遠いんですか……」
「馬車で毎日移動して2週間かかるからな。今みたいなペースだと1か月だな」
「うーん、疲れそうですね……」

 それを聞くと、げんなりした様子を見せる。

「ま、滅多に行くこともないからな。……お、次はステーキだぞ?」
「はい。待ってました!」

 鉄板の上では分厚いステーキが美味しそうないい音を立てている。
 じゅるり……。
 涎が出そうになるのを我慢する彼女を横目で見る。おあずけされている犬のようだ。

「ど、どうぞ……」

 その様子を見ていたマスターは少し顔が引き攣っている。

「いただきますっ!」

 凄い勢いで胃袋に格納していく彼女を見て、アティアスはあと2枚ステーキを注文した。

 ◆

「満足ですー」

 宿への帰り道、彼女は満足気に歩いていた。
 ただし、『満足』したのであって、『満腹』ではないことに注意しなければならない。
 思えば、エミリスが『もう食べられない』状態になったのを見たことがなかった。

「……でもデザートが欲しかったですねー」

 思い出したようにぽつりと呟く。あの店にはその類のメニューはなかったのだ。

「諦めろ。そういえば、この街にはワッフルって美味いやつがあった気がするぞ?」
「ワッフル、ですか?」
「ああ、甘い焼き菓子なんだが、上にチョコやシロップが乗っててな。絶対気に入ると思う」
「ふむー、それは楽しみですねー」

 彼女はどんな食べ物なのか想像しながら目を輝かせた。

 ――そのとき、エミリスは不意に表情を変えた。

「……アティアス様、つけられています」

 宿への道の中盤ほどだろうか、暗い夜道を歩いている時だった。
 彼女が小声で彼に耳打ちする。
 アティアスは気付かなかったが、エミリスは常に周りに魔力を張り巡らせている。怪しい動きがあればすぐに把握できるようにしていた。

「そうか。何人くらいいる?」
「把握できるのは5人です」

 追い剥ぎが何かだろうか。
 先ほどの鉄板焼きの店はかなりの高級店である。そこから出てきたのを見ていたのだろうか。

「面倒だな。逃げるか?」
「ですねぇ。……飛ぶわけにはいかないですよね?」

 念の為聞くが、もちろんこんなところで飛ぶわけにはいかない。非常事態の時だけだと決めていた。

「ダメだろ。……走るぞ」
「はーい」

 走るのはあまり得意ではなかったが、仕方ない。
 2人ちらっと顔を見合わせて、宿に向けて走りだした。

 はぁはぁ……!

 必死に走るが、エミリスはあっという間に息が切れてしまう。
 後ろからの気配は変わらずついてくる。
 振り返る余裕がないので目では見えないが、追いかけてきているのは確かだ。

「あー、もーダメですー」

 まだ宿までかなりの距離があるというのに、彼女は音を上げてしまった。
 これ以上、走って逃げ切れる気がしないというのも理由のひとつだった。

「仕方ないな。追い払うか……」

 彼も立ち止まり、振り返る。
 暗くて見えない。彼には人がいる気配も感じられない。

「本当にいるのか?」
「……はぁはぁ……真っ直ぐ正面に5人……、全身黒っぽい人たちが……はぁ……いますっ……」

 息を切らしながら、彼女が説明する。
 真っ暗なのでわからないが、彼女には見えているようだ。

「……灯せ!」

 アティアスが魔法で灯りを灯す。
 すると少し離れた所に5人、確かに立っているのがわかった。

「俺たちになんの用だ?」

 アティアスが問う。
 男達は答えない。代わりにナイフが光るのが見えた。
 以前テンセズでも似たことがあったな、と思う。
 もしかして……。

「雷よっ!」

 前触れもなく、男の1人が魔法を使ってきた。しかも雷撃の魔法だった。
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