上 下
47 / 60
第九章 墨坂の決戦

第47話 撃ちてし止まむ

しおりを挟む
 磐余彦いわれひこ率いる日向ひむかの軍勢は国見丘くにみのたけに陣を張り、八十梟帥やそたけるとの決戦に備えた。
 すると西から黒雲が湧き起こり、日向軍を押し包んだ。
「息が苦しい」
 兵士たちが白目をむいてばたばたと倒れた。
「やばいぜ、こりゃあ!」
 来目くめが叫んだ。
「これしきの符術ふじゅつ、心配は無用」
 椎根津彦しいねつひこが事も無げに言い、手印を切って呪文を唱えた。するとたちまち突風が起こって黒雲を吹き飛ばした。
「やったぜ!」
 日向軍の兵士たちはすぐに息を吹き返した。
 
 同じ頃、八十梟帥の陣では黒い装束に身を包んだ男が、祭壇の前で髪を振り乱し、必死に呪文を唱えていた。
 男の名は蟲丸むしまる、八十梟帥に仕える呪禁道じゅごんどうの術者である。
 呪禁道とは古代中国の道教に由来する方術で、本来は呪文を用いて邪気をはらい、悪霊を退散させるためのものである。
 しかし蟲丸はその術によって悪霊を操り、蟲毒こどくを発生させて民を苦しめる者にしていた。
「くそっ、ならばこれじゃ」
 蟲丸が懐から取り出した蛇の皮を両手でもむと、粉々に砕けた。
 蟲丸はその粉に息を吹きかけて空に向かって放った。
 粉は散り散りに舞い上がり、あたりに悪臭が漂った。
「うっ、臭くてたまらん」
 八十梟帥が思わず顔をしかめた。蟲丸がじろりと睨む。
「まあ、黙って御覧ごろうじろ」
 その言葉通り、風に舞った粉はみるみる間に形を整え、何百匹もの巨大なまむし化生けしょうした。
 数百匹の蝮が一斉に山を登り、磐余彦の陣めがけてうねうねとい上がってゆく。
 息を呑む八十梟帥に蟲丸は冷ややかに言った。
「三日かけてなぶり殺した蝮の怨念がこもっておりまする。噛まれれば、もがき苦しみながらのたうち回って息絶えるでしょう」
 蟲丸がいたのは蝮の皮の粉である。
「大変だ、見たこともない数の蛇が押し寄せてくるぞ」
 蝮の大軍の襲来を見た日向の兵たちは、恐怖のどん底に落とされた。
 それを見た椎根津彦は、磐余彦の髪に触れ、「失礼」と言って一本抜いた。
「何を?」
 驚く磐余彦には構わず、椎根津彦はその髪を人形ひとがたの木片に巻き付けて呪文を唱えた。
 するとたちまち磐余彦に瓜二うりふたつの木の兵士が現れ、剣を手に蝮の大軍めがけて襲いかかった。
 蝮と木の兵士の激しい戦いが繰り広げられた。
 その間日向兵も八十梟帥の兵も、唖然あぜんとして見守るだけだった。
 勝敗は間もなくついた。
 木の兵士が蝮をことごとく斬り捨てて、戦いは終わった。
「歯が立たぬではないか!」
 八十梟帥がとがめようとして振り返ると、蟲丸は首に剣を突き立てられ息絶えていた。
 椎根津彦が操る木の兵士が、蟲丸をちゅうしたのである。

 術師同士の戦いが完敗に終わったことで、恐れをなした八十梟帥は陣地深くに引き籠った。
 そこで椎根津彦は一計を案じ、忍坂おしさかに宴会用の仮の館を建てて饗応の宴を開くことにした。
 呼びかけに応じて多くの梟帥たけるが集まり、酒宴が開かれた。 
 宴たけなわとなったころ、磐余彦が立ち上がった。
「これから一舞い差し上げよう」

   神風かみかぜの 伊勢の海の 大石おおいしにや 
   いもとわる 細螺しただみの 細螺の
   吾子あごよ 吾子よ 細螺の い這い廻り 
   ちてしまむ 撃ちてし止まむ

「伊勢の海の、大石の上を這いまわるキサゴ(細螺)のように、はい廻って敵を打ち負かそう」
 という意味の来目舞くめまいである。
 みごとな舞に梟帥たちが一斉に手を鳴らした。
 その時道臣みちのおみの手がさっと挙がり、それを合図に味方の兵が一斉に襲い掛かった。
「抵抗する者はすべて討ち取れ、それ以外の者には手を出すな!」
 椎根津彦の号令に従い、歯向かう梟帥をことごとく討ち取った。

 さらに磐余彦は、磯城しきの豪族兄磯城えしき弟磯城おとしきの兄弟に参戦を呼び掛けたが、従ったのは弟磯城だけだった。
 そこで磐余彦は、兄磯城と戦うに当たって椎根津彦の策をれ、軍を二つに分けた。
 まず兄磯城の本拠地である磐余邑いわれむらに向けて、女軍めいくさ(小隊)を派兵した。すると敵の主力軍がまんまとそれに乗り、立ち向かってきた。
 その隙に男軍おいくさ(主力部隊)が墨坂すみさかを越えて敵の背後から攻めかかり、挟み撃ちにして兄磯城の軍勢を撃破した。
 戦いの舞台となった墨坂とは、現在の奈良県宇陀市榛原はいばらのあたりと推測される。
 宇陀川畔に建つ墨坂神社の境内には、「墨坂傳稱地でんしょうち」の石碑が建っている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

安政ノ音 ANSEI NOTE

夢酔藤山
歴史・時代
温故知新。 安政の世を知り令和の現世をさとる物差しとして、一筆啓上。 令和とよく似た時代、幕末、安政。 疫病に不景気に世情不穏に政治のトップが暗殺。 そして震災の陰におびえる人々。 この時代から何を学べるか。狂乱する群衆の一人になって、楽しんで欲しい……! オムニバスで描く安政年間の狂喜乱舞な人間模様は、いまの、明日の令和の姿かもしれない。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

肥後の春を待ち望む

尾方佐羽
歴史・時代
秀吉の天下統一が目前になった天正の頃、肥後(熊本)の国主になった佐々成政に対して国人たちが次から次へと反旗を翻した。それを先導した国人の筆頭格が隈部親永(くまべちかなが)である。彼はなぜ、島津も退くほどの強大な敵に立ち向かったのか。国人たちはどのように戦ったのか。そして、九州人ながら秀吉に従い国人衆とあいまみえることになった若き立花統虎(宗茂)の胸中は……。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

処理中です...