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第九章 墨坂の決戦
第45話 吉野巡行
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宇陀に着いて間もなく、磐余彦はこの地の豪族兄猾と弟猾の兄弟に、ヤマト平定の仲間に加わるよう使者を送った。
弟猾はすぐに賛同して帰順したが、兄猾はなかなか現れなかった。
弟猾は磐余彦に告げた。
「兄は磐余彦さまを殺す計画を立てています。新しい宮を建ててもてなすふりをして、中に仕掛けを作っています。どうかお気をつけ下さい」
その報告を聞いた磐余彦は、道臣を遣わして詳しく調べさせた。
謀が真実であることを知った道臣は怒り、
「卑怯者め、お前が作った部屋に自分で入るがよい!」
と大喝し、剣と弓で兄猾を追い詰めた。
兄猾は言い逃れできず、とうとう自分が作った罠にはまって圧し潰され、哀れな死を遂げた。
道臣が兄猾の屍を瓦礫の中から引き出して斬ったところ、流れる血がくるぶしを埋めるほどに溢れたという。
そのためこの地を「宇陀の血原」と呼ぶようになった、と『日本書紀』に記されている。
弟猾は、肉と酒を用意して磐余彦をもてなした。
磐余彦は兵士たちにも分け隔てなくご馳走を分け与えた。
宴が盛り上がってきたところで来目が立ち上がり、舞をはじめた。
兎田の高城に鴫とる罠を張って、
俺が待っていると鴫はかからず鷹がかかった。これは大漁だ。
古女房が獲物をくれといったら、やせた肉のないところをうんとやれ。
若い女房が獲物をくれといったら、実の多いところをうんとやれ――
磐余彦の兵も弟猾の兵も一緒になって、声を揃えてはやした。
大台ケ原を源流とし、奈良県から和歌山県を経て紀伊水道に注ぐ紀ノ川は、奈良県側では吉野川と呼ばれる。
「吉野川を上ってくる途中で、幾つかの村が隼手さんのお蔭で磐余彦さまに従うと誓って下さいました」
隼手に代わって剣根が説明した。
「隼手よ、そなたはよくやってくれた」
磐余彦が固く手を握ると、隼手は顔を真っ赤にしてはにかんだ。
口数は少ないが、労を厭わず役目を遂行する「縁の下の力持ち」として、皆の信頼も篤い。
隼手は元は九州阿多隼人の王子である。
その地位を捨ててまでこの遠征に加わった胸の内には、並々ならぬ決意があったはずである。
それは彼の出自に由来することかもしれない。
隼人も熊襲も、古くから日本列島に暮らしてきた縄文の民である。
そして本州にも同様の民がいる。
彼らは日本列島の先住者であるにもかかわらず、今は土蜘蛛と蔑まれ、辺地に追いやられている。
磐余彦は日向にいる時から、身分や血統・出自にかかわらず能力のある者を重んじ、彼らの言葉に真摯に耳を傾け、苦楽を共にしてきた。
来目や隼手についても、卑しい民だとして差別はしなかった。
「磐余彦さまは俺らのような者も平等に扱ってくれた。それはヤマトを平定しても変わらないはずだ」
隼手の言葉に心を動かされた誇り高き吉野の山人たちが、進んで磐余彦の力になりたいと申し出たのも当然かもしれない。
宇陀に着いて数日後、磐余彦は山人たちの住む土地を訪ねることにした。
世に言う〈吉野巡幸〉である。
隼手の案内で道臣と来目、椎根津彦のほか僅かな供を連れて磐余彦は出発した。
吉野川を遡り、崖を登ったところに開けた土地があり、そこに竪穴住居が数軒建っていた。山人たちの集落である。
集落から少し下った山の斜面に土が盛ってあった。
その横に深く穿たれた穴があった。鉱物採掘用の井戸である。
隼手が井戸の中に向かって叫んだ。
「井光!」
すると井戸の中から人の気配がして、一人の男が顔を出した。
「おお、隼手!」
その男、井光は隼手を認めると人懐こい顔で白い歯を見せた。
「この方、磐余彦さま」隼手が磐余彦を紹介した。
「おお!」
井光は急いで井戸から這い上がってきた。
磐余彦は驚いた。
井光は頭の先からつま先まで、全身が光っていた。
ただし自ら発光しているわけではなく、身体に粉が付着して光っているようだ。
「なぜ光っているのだ?」
磐余彦が尋ねると、井光は光る両手を見比べながら「辰砂でさあ」と言って笑った。
辰砂とは水銀を含んだ鉱物、硫化水銀のことである。
全身が光って見えたのは、汲み上げている間に細かい水銀の粒が身体に付着するからだ。
ちなみに『日本書紀』には、井光は「尻尾が生えている」とも記されている。
これは水銀採鉱の際に使う尻当てを腰からぶら下げていたためであろう。
別に異形の者という意味ではない。
井光をはじめとする吉野の民は、水銀採掘をして暮らしを立てていた。
日本列島では中央構造線に沿った九州や四国、紀伊半島などで水銀を産出する。
紀伊半島ではこの宇陀地方をはじめ、伊勢国が知られている。
水銀はまた丹ともいう。伊勢国丹生郷(現在の三重県多気町丹生)の名は、水銀の一大生産地であった証である。
水銀は古くから顔料や塗料のほか、仏像の鍍金などにも消費された。
奈良時代の東大寺大仏造営にあたっては、丹生の水銀が大量に使われたことが『東大寺要録』に記されている。
隼手が井光に向かって何事か言った。
磐余彦が初めて聞く言葉だった。
すると井光が破顔して、二人は親しげに肩を抱き合った。
隼手はこれまでの訥々とした話しぶりとはうって変わって、よく喋った。
心なしか態度まで堂々として見えた。
「あんなに喋る姿ははじめて見た」
磐余彦が思わず漏らすと、来目が答えた。
「おいらたちの一族も、かつてはあの言葉を喋ってました。昔はこれで倭国中に通じたそうです」
来目も先住の民、熊襲の出である。
磐余彦は納得した。
隼手はただ無口なのではない。磐余彦たち弥生系倭人の言葉がうまく使いこなせないだけなのだ。
「『磐余彦さまと、一緒に、戦う』と言って、ます」
隼手の通訳を介して磐余彦と井光は言葉を交わし、最後は固く手を握った。
井光の手は分厚くてごわごわしていた。いかにも鉱山掘りらしい掌である。
その手の熱い血潮を感じ、磐余彦は胸が熱くなった。
のちに井光は、吉野の首部――古代ヤマト王権の官職のひとつ――の先祖となる。
さらに川を遡ると、大岩の転がる谷底に出た。
ここで岩の間から男がひょいと現れた。手には二羽の兎を持っている。
「あいつ、石押分の子」
隼手が胸を張って紹介した。兎は手土産である。
南九州の海岸沿いや森の中で暮らす隼人族は、漁労や狩りに長けている。
魚を採るのはもちろん、シカやイノシシ、ウサギを獲るのも上手い。
隼手は同じ狩人としての誇りからか、満面の笑みを浮かべて石押分の子の猟師としての腕前を讃えている。
こののち磐余彦は石押分の子らの協力を得て、多くの食料を手に入れることが可能になった。
のちに石押分の子は、吉野の国栖の先祖となった。
国栖の名がふたたび脚光を浴びるのは、約四百年後の壬申の乱に際してである。
この時国栖の民は、大海人皇子(後の天武天皇)が隠棲していた吉野から東国への脱出を助けたとされる。
この脱出行の途中、大海人皇子は伊勢国を流れる迹太川から伊勢神宮の方角に向かって遥拝した。
この時大海人皇子の頭の中には、皇祖神である天照大神だけでなく、初代神武天皇(磐余彦)の存在もあったかもしれない。
磐余彦がヤマトに攻め入ったエピソードに、自分を重ねる気持ちがあったと考えても不思議ではない。
磐余彦たちがさらに川を西に進むと、簗で魚を採っている男に出会った。
顔に入れ墨をしている。
「苞苴担の子!」
隼手が叫んだ。
この辺りの民は漁撈で生計を立てているだけあって、川を熟知している。
険阻な山を軽々と越え、危険な瀞や淵を避けて魚や川海老を必要なだけ捕まえて暮らしている。
のちに苞苴担の子は阿太の養鸕部の先祖となった。
井光も石押分の子も苞苴担の子も、いずれも太古の昔から日本列島に暮らし、自然とともに生きた縄文の民である。
狩猟採取の民と農耕民を比較した場合、狩猟の民は戦闘的で農耕民のほうが平和的と思われがちだ。
だが事実は逆のようだ。
少ない自然の恵みを糧にしてきた狩猟民は、獲物を巡って他の部族と争うことは少ない。
むしろ一度に多くの収穫が得られる農耕民のほうが、より多くの富を求めて他の村を襲う傾向が強い。
人間同士の争いの少なかった縄文時代から、稲作の始まりとともに血腥い争いに明け暮れた弥生時代は、いわば日本列島に於ける戦争の幕開けの時代なのである。
その点吉野の山中で昔ながらの暮らしを営んできた狩猟採取の民は、農耕社会の発展形であるヤマト王権の支配にも従おうとしなかった。
それゆえさまざまな迫害を受け、隷属を強いられてきた。
磐余彦がはるばる日向から来て新しい国造りを熱く語り、また吉野の山人たちに助力を求めるに至って、彼らは各々兵を率いて磐余彦の軍に合流したのである。
その結果、磐余彦に従う兵士の数は二百人近くまで増えていった。
弟猾はすぐに賛同して帰順したが、兄猾はなかなか現れなかった。
弟猾は磐余彦に告げた。
「兄は磐余彦さまを殺す計画を立てています。新しい宮を建ててもてなすふりをして、中に仕掛けを作っています。どうかお気をつけ下さい」
その報告を聞いた磐余彦は、道臣を遣わして詳しく調べさせた。
謀が真実であることを知った道臣は怒り、
「卑怯者め、お前が作った部屋に自分で入るがよい!」
と大喝し、剣と弓で兄猾を追い詰めた。
兄猾は言い逃れできず、とうとう自分が作った罠にはまって圧し潰され、哀れな死を遂げた。
道臣が兄猾の屍を瓦礫の中から引き出して斬ったところ、流れる血がくるぶしを埋めるほどに溢れたという。
そのためこの地を「宇陀の血原」と呼ぶようになった、と『日本書紀』に記されている。
弟猾は、肉と酒を用意して磐余彦をもてなした。
磐余彦は兵士たちにも分け隔てなくご馳走を分け与えた。
宴が盛り上がってきたところで来目が立ち上がり、舞をはじめた。
兎田の高城に鴫とる罠を張って、
俺が待っていると鴫はかからず鷹がかかった。これは大漁だ。
古女房が獲物をくれといったら、やせた肉のないところをうんとやれ。
若い女房が獲物をくれといったら、実の多いところをうんとやれ――
磐余彦の兵も弟猾の兵も一緒になって、声を揃えてはやした。
大台ケ原を源流とし、奈良県から和歌山県を経て紀伊水道に注ぐ紀ノ川は、奈良県側では吉野川と呼ばれる。
「吉野川を上ってくる途中で、幾つかの村が隼手さんのお蔭で磐余彦さまに従うと誓って下さいました」
隼手に代わって剣根が説明した。
「隼手よ、そなたはよくやってくれた」
磐余彦が固く手を握ると、隼手は顔を真っ赤にしてはにかんだ。
口数は少ないが、労を厭わず役目を遂行する「縁の下の力持ち」として、皆の信頼も篤い。
隼手は元は九州阿多隼人の王子である。
その地位を捨ててまでこの遠征に加わった胸の内には、並々ならぬ決意があったはずである。
それは彼の出自に由来することかもしれない。
隼人も熊襲も、古くから日本列島に暮らしてきた縄文の民である。
そして本州にも同様の民がいる。
彼らは日本列島の先住者であるにもかかわらず、今は土蜘蛛と蔑まれ、辺地に追いやられている。
磐余彦は日向にいる時から、身分や血統・出自にかかわらず能力のある者を重んじ、彼らの言葉に真摯に耳を傾け、苦楽を共にしてきた。
来目や隼手についても、卑しい民だとして差別はしなかった。
「磐余彦さまは俺らのような者も平等に扱ってくれた。それはヤマトを平定しても変わらないはずだ」
隼手の言葉に心を動かされた誇り高き吉野の山人たちが、進んで磐余彦の力になりたいと申し出たのも当然かもしれない。
宇陀に着いて数日後、磐余彦は山人たちの住む土地を訪ねることにした。
世に言う〈吉野巡幸〉である。
隼手の案内で道臣と来目、椎根津彦のほか僅かな供を連れて磐余彦は出発した。
吉野川を遡り、崖を登ったところに開けた土地があり、そこに竪穴住居が数軒建っていた。山人たちの集落である。
集落から少し下った山の斜面に土が盛ってあった。
その横に深く穿たれた穴があった。鉱物採掘用の井戸である。
隼手が井戸の中に向かって叫んだ。
「井光!」
すると井戸の中から人の気配がして、一人の男が顔を出した。
「おお、隼手!」
その男、井光は隼手を認めると人懐こい顔で白い歯を見せた。
「この方、磐余彦さま」隼手が磐余彦を紹介した。
「おお!」
井光は急いで井戸から這い上がってきた。
磐余彦は驚いた。
井光は頭の先からつま先まで、全身が光っていた。
ただし自ら発光しているわけではなく、身体に粉が付着して光っているようだ。
「なぜ光っているのだ?」
磐余彦が尋ねると、井光は光る両手を見比べながら「辰砂でさあ」と言って笑った。
辰砂とは水銀を含んだ鉱物、硫化水銀のことである。
全身が光って見えたのは、汲み上げている間に細かい水銀の粒が身体に付着するからだ。
ちなみに『日本書紀』には、井光は「尻尾が生えている」とも記されている。
これは水銀採鉱の際に使う尻当てを腰からぶら下げていたためであろう。
別に異形の者という意味ではない。
井光をはじめとする吉野の民は、水銀採掘をして暮らしを立てていた。
日本列島では中央構造線に沿った九州や四国、紀伊半島などで水銀を産出する。
紀伊半島ではこの宇陀地方をはじめ、伊勢国が知られている。
水銀はまた丹ともいう。伊勢国丹生郷(現在の三重県多気町丹生)の名は、水銀の一大生産地であった証である。
水銀は古くから顔料や塗料のほか、仏像の鍍金などにも消費された。
奈良時代の東大寺大仏造営にあたっては、丹生の水銀が大量に使われたことが『東大寺要録』に記されている。
隼手が井光に向かって何事か言った。
磐余彦が初めて聞く言葉だった。
すると井光が破顔して、二人は親しげに肩を抱き合った。
隼手はこれまでの訥々とした話しぶりとはうって変わって、よく喋った。
心なしか態度まで堂々として見えた。
「あんなに喋る姿ははじめて見た」
磐余彦が思わず漏らすと、来目が答えた。
「おいらたちの一族も、かつてはあの言葉を喋ってました。昔はこれで倭国中に通じたそうです」
来目も先住の民、熊襲の出である。
磐余彦は納得した。
隼手はただ無口なのではない。磐余彦たち弥生系倭人の言葉がうまく使いこなせないだけなのだ。
「『磐余彦さまと、一緒に、戦う』と言って、ます」
隼手の通訳を介して磐余彦と井光は言葉を交わし、最後は固く手を握った。
井光の手は分厚くてごわごわしていた。いかにも鉱山掘りらしい掌である。
その手の熱い血潮を感じ、磐余彦は胸が熱くなった。
のちに井光は、吉野の首部――古代ヤマト王権の官職のひとつ――の先祖となる。
さらに川を遡ると、大岩の転がる谷底に出た。
ここで岩の間から男がひょいと現れた。手には二羽の兎を持っている。
「あいつ、石押分の子」
隼手が胸を張って紹介した。兎は手土産である。
南九州の海岸沿いや森の中で暮らす隼人族は、漁労や狩りに長けている。
魚を採るのはもちろん、シカやイノシシ、ウサギを獲るのも上手い。
隼手は同じ狩人としての誇りからか、満面の笑みを浮かべて石押分の子の猟師としての腕前を讃えている。
こののち磐余彦は石押分の子らの協力を得て、多くの食料を手に入れることが可能になった。
のちに石押分の子は、吉野の国栖の先祖となった。
国栖の名がふたたび脚光を浴びるのは、約四百年後の壬申の乱に際してである。
この時国栖の民は、大海人皇子(後の天武天皇)が隠棲していた吉野から東国への脱出を助けたとされる。
この脱出行の途中、大海人皇子は伊勢国を流れる迹太川から伊勢神宮の方角に向かって遥拝した。
この時大海人皇子の頭の中には、皇祖神である天照大神だけでなく、初代神武天皇(磐余彦)の存在もあったかもしれない。
磐余彦がヤマトに攻め入ったエピソードに、自分を重ねる気持ちがあったと考えても不思議ではない。
磐余彦たちがさらに川を西に進むと、簗で魚を採っている男に出会った。
顔に入れ墨をしている。
「苞苴担の子!」
隼手が叫んだ。
この辺りの民は漁撈で生計を立てているだけあって、川を熟知している。
険阻な山を軽々と越え、危険な瀞や淵を避けて魚や川海老を必要なだけ捕まえて暮らしている。
のちに苞苴担の子は阿太の養鸕部の先祖となった。
井光も石押分の子も苞苴担の子も、いずれも太古の昔から日本列島に暮らし、自然とともに生きた縄文の民である。
狩猟採取の民と農耕民を比較した場合、狩猟の民は戦闘的で農耕民のほうが平和的と思われがちだ。
だが事実は逆のようだ。
少ない自然の恵みを糧にしてきた狩猟民は、獲物を巡って他の部族と争うことは少ない。
むしろ一度に多くの収穫が得られる農耕民のほうが、より多くの富を求めて他の村を襲う傾向が強い。
人間同士の争いの少なかった縄文時代から、稲作の始まりとともに血腥い争いに明け暮れた弥生時代は、いわば日本列島に於ける戦争の幕開けの時代なのである。
その点吉野の山中で昔ながらの暮らしを営んできた狩猟採取の民は、農耕社会の発展形であるヤマト王権の支配にも従おうとしなかった。
それゆえさまざまな迫害を受け、隷属を強いられてきた。
磐余彦がはるばる日向から来て新しい国造りを熱く語り、また吉野の山人たちに助力を求めるに至って、彼らは各々兵を率いて磐余彦の軍に合流したのである。
その結果、磐余彦に従う兵士の数は二百人近くまで増えていった。
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