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第四章 軍師の鳩

第21話 椎根津彦誕生

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 一行が舟に乗り込む際、新たに仲間に加わった珍彦うずひこは鳥駕籠かごを手にしていた。
 中には二羽の鳩が入れられている。
「旨そうだな」
 籠を覗いて五瀬命いつせのみことが舌なめずりした。
「むろん鳩は食しても旨い鳥です。しかしこれはそれより大事な役目を果たします。遠くの者に伝令を伝える時に用いると便利です」
 珍彦が理路整然と答えると、五瀬命はちっと舌打ちした。
 ミケもちらりと籠を見たが、すぐにそっぽを向いて葛籠つづらの中で寝てしまった。
 食べるよりもっといい使い道があることを知っているようだ。
 猫のほうが人間よりよほど賢いとみえる。
 鳩の帰巣能力については、地磁気を捕えることで巣の方向が分かるという説や、太陽の位置から自分の巣がある方向を知るなど諸説ある。
 人類は古くから鳩の帰巣本能を利用してさまざまなことに利用してきた。
 古代ペルシャやメソポタミアでは、紀元前四千五百年頃から野生の鳩を家畜として飼うようになったと伝えられる。
 古代ローマ時代には、軍事用の通信手段として盛んに用いられていた。

「申し上げました通り、いまヤマトは混乱しているようです」
 珍彦は小さく折り畳まれた木の皮片を磐余彦いわれひこに見せた。
「王命に従わず帰国する豪族あり」
 磐余彦が読み上げると、「本当か?」と五瀬命が気色ばんだ。
「ヤマトに暮らす我が朋友たちからのしらせです。間違いないでしょう」
 珍彦が鳩の籠に視線を向けながら言った。
 ヤマト王の暴政に不満が高まっているという噂は、遠く日向ひむかにも伝わっていた。
 しかし王に服従せず、自分の国に戻る重臣がいるとの話は初めて聞く。
 それだけヤマト政権の結束が弱まっているということのようだ。
「なるほど、その鳥は役に立ちそうだな」
 磐余彦が興味深げに鳥籠を覗き込んだ。
 大陸からの移住者たちは、進んだ技術や知識を倭国の人々に伝えてきた。
 鳩もその一つである。鳩を通信手段として駆使し、日本各地に散らばった仲間との情報網を構築していたのである。

「そなたにこれを渡そう」
 磐余彦が珍彦に長い木の棒を渡した。
 それは、ここまで隼手はやてが操船に使っていた椎の木のさおだった。
 つまり、船頭役を珍彦に任せるという宣言である。
「よいのですか?」
 珍彦が隼手を見た。隼手は顔を真っ赤にして「あんた、安心」とぼそりとつぶやいた。
「謹んでおけいたします」
 珍彦が棹をうやうやしく受け取った。
「これからは椎根津彦しいねつひこと名乗るがいい」
 磐余彦が言うと、珍彦改め椎根津彦は一瞬手を止めた。
「不満か?」
「良き名です。ありがとうございます」
 僅かに口角を上げ、椎根津彦がうやうやしく頭を下げた。
 顔を上げた時には、すっきりと顔立ちまで変わったように見えた。
「珍彦の名はこの地に置いていきましょう」
 この物語では以後、彼を椎根津彦と呼ぶことにする。

 速吸之門はやすいのと(豊予海峡)の荒海を一艘の舟がすいすいと渡っていく。
「おお、全然揺れないぞ」
 舟の舳先へさきに立って巧みに棹を操るのは椎根津彦である。旧名「うずひこ」の名は伊達ではない。
 ここを流れる潮流は最大時速五・七ノット(十・六キロメートル)、黒潮の平均的な速さ二~三ノットと比べても格段に速い。
 流れも複雑で潮汐の干満差も大きいため、細心の注意が求められる。
 海上保安庁が発行する『瀬戸内海水路誌』には、「高島と関埼せきざきとの間の水道は、平瀬、権現碆ごんげんばえなどの暗礁があり、可航幅が狭く潮流も強いので通航する場合は注意を要する。」とある。
 今日においても瀬戸内海は日本有数の海上交通の難所なのである。

「ありがたい。隼手の時は死ぬかと思ったぜ」
 来目くめの冷やかしに隼手が目を剥き、顔を真っ赤にして殴りかかろうとした。
「まあそう怒るな」日臣ひのおみが懸命になだめる。
 狭い舟の上で喧嘩をされたのではたまらない。
 にゃーお。
 ミケが低くないた。「いい加減にしろ」と言っているようだ。
 ははは。
 ときおり笑い声も起きる中、磐余彦たちを乗せた舟は速吸之門を越えていった。   
                              (第四章終わり)
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