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第三章 隼人の穀璧
第11話 犬吠え
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磐余彦と五瀬命、日臣、来目の四人は、日向から霧島連峰を越えて阿多隼人の村へと向かった。
現在の鹿児島県西部地方である。
ひとくちに隼人といっても、「隼人国」という国があったわけではない。
大隅、阿多、甑、多禰、夜句など、地域ごとに小さな部族集団を作り、族長が治めていたと考えられている。
阿多隼人はその一つである。
阿多隼人の村は、幾重もの柵でぐるりと囲んだ環濠集落だった。
村の入り口に近づくと、赤と黒の渦巻模様が描かれた盾が目に入った。隼人の盾である。
一行を見るなり、槍を持った警護役の男が慌てて村の奥に報せに走った。
しばらくすると、管玉の首飾りや南海産の高価な貝の腕輪を身に付けた若者が現れた。
高貴な身分のようだが、怒りを押し殺しているのが手に取るように分かる。剣を持つ手が微かに震えていた。
背後の兵士たちも殺気立った目で磐余彦たちを睨んでいる。
明らかに異変が起きているようだ。
「これをお届けに来ました」
磐余彦が穀璧を包んだ布を差し出した。
中身を見た隼人の若者は、後ろに控える男たちに向かって何事か言った。磐余彦には聞き取れない言葉である。
とたんにざわめきが起こった。
「これを持っていた方の亡骸は、高千穂峰の麓に埋めました」
来目が通訳すると、とたんに若者の表情が悲しみに包まれた。
「あ、ありがたい」
若者は感情を押し殺し、頭を下げた。それを合図に後ろの男たちが一斉に跪いて大地に両手を付けた。
ウオーン、ウオーン。
男たちは犬のように咆哮を始めた。地鳴りのような大きな叫びである。
「やる気か、こいつら!」
五瀬命がとっさに剣に手をかけた。
「心配ありません。犬吠えといって隼人の作法です。害意はないのです」
磐余彦が兄を諭した。
犬吠えは隼人独特の儀礼で「記紀」や『延喜式』にも記されている。
若者は隼人族の王子で、隼手と名乗った。精悍な風貌だが、冷静な判断ができる男のようだ。
穀璧を守ろうとして殺された老人は阿多隼人の族長で、隼手の父だった。
磐余彦の一行はただちに隼人の王宮に招かれ、王子から村に伝わる秘密を打ち明けられた。
「阿多隼人は、穀璧に宿る精霊を清めるため年に一度、聖なる泉と呼んでいる泉に浸すんだそうです」
隼手の言葉を、同じ縄文の血を引く来目が伝えた。
隼人の儀式には王と神官のみが随行できることになっており、王子すらも参加は許されないのだという。
「王様は今回は護衛の兵を付けなかったそうです。王子が付けるよう言ったのですが、親父さんがそれでは秘密が守れないと許さなかったそうです」
「ヤマトの兵はそれを知って待ち伏せたのですね」
磐余彦の言葉に、隼手が唇を噛みしめてうなずく。無念さが伝わる。
穀璧は長らく隼人を束ねる力の源とされてきた。
それも単なる政治的な象徴ではなく、巫者の霊力を増す力を秘めていると信じられている。
万一この神秘の輝きを失えば、隼人全体の力が大きく殺がれたであろうことは想像に難くない。
その絶体絶命の危機を磐余彦が救ったのである。
帰ろうとする磐余彦を、隼手が強く引き留めた。
「親父さんの亡骸は明日にでも取り戻して葬ることができるけど、神宝を賊から守り、お届け下さった大恩ある磐余彦さまを、このままお帰しするわけにはいかない」
真剣な表情で隼手に見つめられ、戸惑いながらも磐余彦がうなずいた。
ほどなくして、磐余彦たちを主賓とする宴が始まった。
イノシシの肉を焼く香ばしい匂いがあたりに広がり、村人がぞろぞろと集まってきた。
「日向の皇子のお蔭で神宝が戻ってきたのだ」
おお、というどよめきとともに沈んでいた村人の顔に光がさした。
篝火が焚かれ、肉を焼く香ばしい匂いが立ちのぼる。
胃を刺激するたまらない匂いに、村人たちは目を輝かせ、舌なめずりしている。
イノシシのほかに鹿やウサギ、山鳥の肉もある。
魚介も豊富で、タイやマグロ、サバ、エビ、カニに加えてイカやタコ、ハマグリ、サザエ、アワビもあった。
熊肉とならび猪肉は大変なご馳走である。精がつくうえに力がみなぎると信じられている。
「さあ、遠慮なく食うがよい」
隼手が高らかに宣言し、皆が肉にかぶりついた。
いつの間にか磐余彦や日臣たちの周りには隼人の若い女性が侍り、酒をつぎ、山のように盛った料理を手ずから食べさせようとした。
日臣は強いうえに美形だから当然女にももてる。
だが、日臣はほとんど関心を示さず、うるさそうに女たちの腕を振り払った。
その点五瀬命や来目は、根っからの女好きである。
「こりゃ、どういうことかね」
来目が戸惑いながらも、にやけた顔で女たちにされるままにしていた。
隼人における未婚の女性たちの集まりは、「娘組」と呼ばれ、主に精霊のもてなしを担ったという。
薩摩半島から北薩に連なる海岸では、時には女だけの酒宴を開き、亭主たちに料理を作らせ、女装して接待をさせたともいわれる。
男たちが魚を獲ったり海に潜って貝やエビを獲っているあいだ、女たちは交易によって魚を売りさばき、また長期保存できるよう加工したりすることに忙しい。
さらに焼畑などの農作業も主に女の仕事だった。
女性の立場が強くなるのも当然である。
「やっぱりすげえなあ、磐余彦さまは。隼人の人間にも好かれるんだからよお」
すっかり出来上がった来目が、ふくよかな女の膝に頭を乗せ、磐余彦について自慢気に語っている。
「おいらも熊襲と呼ばれてずっと馬鹿にされてきた。だけど磐余彦さまはそんなおいら達とも仲良くしてくれるんだ」
来目は猿のような顔をくしゃくしゃにさせて涙を浮かべる。根が純真なのである。
「おいら、磐余彦さまのためなら何でもやる。嘘じゃねえ、なあ兄い」
来目の呼び掛けに日臣はうなずき、ぼそりと言った。
「吾の命は磐余彦さまに捧げる覚悟だ」
日臣の忠誠心は、いつ、どんな時でもいささかも揺らぐことがない。
それが自らの命を賭した使命だと思っているようだ。
現在の鹿児島県西部地方である。
ひとくちに隼人といっても、「隼人国」という国があったわけではない。
大隅、阿多、甑、多禰、夜句など、地域ごとに小さな部族集団を作り、族長が治めていたと考えられている。
阿多隼人はその一つである。
阿多隼人の村は、幾重もの柵でぐるりと囲んだ環濠集落だった。
村の入り口に近づくと、赤と黒の渦巻模様が描かれた盾が目に入った。隼人の盾である。
一行を見るなり、槍を持った警護役の男が慌てて村の奥に報せに走った。
しばらくすると、管玉の首飾りや南海産の高価な貝の腕輪を身に付けた若者が現れた。
高貴な身分のようだが、怒りを押し殺しているのが手に取るように分かる。剣を持つ手が微かに震えていた。
背後の兵士たちも殺気立った目で磐余彦たちを睨んでいる。
明らかに異変が起きているようだ。
「これをお届けに来ました」
磐余彦が穀璧を包んだ布を差し出した。
中身を見た隼人の若者は、後ろに控える男たちに向かって何事か言った。磐余彦には聞き取れない言葉である。
とたんにざわめきが起こった。
「これを持っていた方の亡骸は、高千穂峰の麓に埋めました」
来目が通訳すると、とたんに若者の表情が悲しみに包まれた。
「あ、ありがたい」
若者は感情を押し殺し、頭を下げた。それを合図に後ろの男たちが一斉に跪いて大地に両手を付けた。
ウオーン、ウオーン。
男たちは犬のように咆哮を始めた。地鳴りのような大きな叫びである。
「やる気か、こいつら!」
五瀬命がとっさに剣に手をかけた。
「心配ありません。犬吠えといって隼人の作法です。害意はないのです」
磐余彦が兄を諭した。
犬吠えは隼人独特の儀礼で「記紀」や『延喜式』にも記されている。
若者は隼人族の王子で、隼手と名乗った。精悍な風貌だが、冷静な判断ができる男のようだ。
穀璧を守ろうとして殺された老人は阿多隼人の族長で、隼手の父だった。
磐余彦の一行はただちに隼人の王宮に招かれ、王子から村に伝わる秘密を打ち明けられた。
「阿多隼人は、穀璧に宿る精霊を清めるため年に一度、聖なる泉と呼んでいる泉に浸すんだそうです」
隼手の言葉を、同じ縄文の血を引く来目が伝えた。
隼人の儀式には王と神官のみが随行できることになっており、王子すらも参加は許されないのだという。
「王様は今回は護衛の兵を付けなかったそうです。王子が付けるよう言ったのですが、親父さんがそれでは秘密が守れないと許さなかったそうです」
「ヤマトの兵はそれを知って待ち伏せたのですね」
磐余彦の言葉に、隼手が唇を噛みしめてうなずく。無念さが伝わる。
穀璧は長らく隼人を束ねる力の源とされてきた。
それも単なる政治的な象徴ではなく、巫者の霊力を増す力を秘めていると信じられている。
万一この神秘の輝きを失えば、隼人全体の力が大きく殺がれたであろうことは想像に難くない。
その絶体絶命の危機を磐余彦が救ったのである。
帰ろうとする磐余彦を、隼手が強く引き留めた。
「親父さんの亡骸は明日にでも取り戻して葬ることができるけど、神宝を賊から守り、お届け下さった大恩ある磐余彦さまを、このままお帰しするわけにはいかない」
真剣な表情で隼手に見つめられ、戸惑いながらも磐余彦がうなずいた。
ほどなくして、磐余彦たちを主賓とする宴が始まった。
イノシシの肉を焼く香ばしい匂いがあたりに広がり、村人がぞろぞろと集まってきた。
「日向の皇子のお蔭で神宝が戻ってきたのだ」
おお、というどよめきとともに沈んでいた村人の顔に光がさした。
篝火が焚かれ、肉を焼く香ばしい匂いが立ちのぼる。
胃を刺激するたまらない匂いに、村人たちは目を輝かせ、舌なめずりしている。
イノシシのほかに鹿やウサギ、山鳥の肉もある。
魚介も豊富で、タイやマグロ、サバ、エビ、カニに加えてイカやタコ、ハマグリ、サザエ、アワビもあった。
熊肉とならび猪肉は大変なご馳走である。精がつくうえに力がみなぎると信じられている。
「さあ、遠慮なく食うがよい」
隼手が高らかに宣言し、皆が肉にかぶりついた。
いつの間にか磐余彦や日臣たちの周りには隼人の若い女性が侍り、酒をつぎ、山のように盛った料理を手ずから食べさせようとした。
日臣は強いうえに美形だから当然女にももてる。
だが、日臣はほとんど関心を示さず、うるさそうに女たちの腕を振り払った。
その点五瀬命や来目は、根っからの女好きである。
「こりゃ、どういうことかね」
来目が戸惑いながらも、にやけた顔で女たちにされるままにしていた。
隼人における未婚の女性たちの集まりは、「娘組」と呼ばれ、主に精霊のもてなしを担ったという。
薩摩半島から北薩に連なる海岸では、時には女だけの酒宴を開き、亭主たちに料理を作らせ、女装して接待をさせたともいわれる。
男たちが魚を獲ったり海に潜って貝やエビを獲っているあいだ、女たちは交易によって魚を売りさばき、また長期保存できるよう加工したりすることに忙しい。
さらに焼畑などの農作業も主に女の仕事だった。
女性の立場が強くなるのも当然である。
「やっぱりすげえなあ、磐余彦さまは。隼人の人間にも好かれるんだからよお」
すっかり出来上がった来目が、ふくよかな女の膝に頭を乗せ、磐余彦について自慢気に語っている。
「おいらも熊襲と呼ばれてずっと馬鹿にされてきた。だけど磐余彦さまはそんなおいら達とも仲良くしてくれるんだ」
来目は猿のような顔をくしゃくしゃにさせて涙を浮かべる。根が純真なのである。
「おいら、磐余彦さまのためなら何でもやる。嘘じゃねえ、なあ兄い」
来目の呼び掛けに日臣はうなずき、ぼそりと言った。
「吾の命は磐余彦さまに捧げる覚悟だ」
日臣の忠誠心は、いつ、どんな時でもいささかも揺らぐことがない。
それが自らの命を賭した使命だと思っているようだ。
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