神武東征外伝

長髄彦ファン

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猫と河童と鬼退治(三)

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  三
 じゃりじゃり――
 頬をやすりで削られているような気がする。
 はっと気がつくと、ミケが三毛入野命の顔を必死で舐めていた。
 周りでは心配そうに見ている緑色の人間、いや河童だ。
 そうだ、思い出した。
――吾は河童と相撲を取っていたのだ。
 三毛入野命は長男の川太郎を皮切りに、川二郎、川三郎、川四郎と立て続けに破った。
 
 ところが川五郎と取ったとき、奴は頭を下げなかった。
 頭の皿に水がたまった河童は強い。
――このままでは負ける。
 そのとき三毛入野命はミケのある仕草を思い出した。頭突きである。
 三毛入野命はとっさに、立ち合いで頭からごつんとぶつかった。それから先は激しく火花が散ったので、覚えていない。
――気を失ったようだ。
「吾は負けたんだな」
 三毛入野命が呟くと、川太郎が言った。
「いやあ、引き分けだ」
「あんた、すげえ石頭だな」
 頭にぐるぐる包帯を巻いた川五郎がしかめ面をして言った。大事な皿にひびが入ってしまったようだ。
 結局二人(一人と一匹)とも同時に倒れたため、勝負は引き分け扱いとなった。
「そうか…」
 三毛入野命は落胆した。五匹を破ったら言うことを聞くという約束だったが、これでは聞いて貰えそうもない。
「まあ、人間のくせに根性がある。話だけは聞いてやろうじゃねえか」
 川太郎の言葉に、三毛入野命の顔がぱっと明るくなった。

 河童たちと会う前、三毛入野命は五ヶ瀬川沿いの村をひとつ一つ訪ねて回り、鬼八討伐のための兵士を募った。
 鬼八に苦しめられていた村人がそれに応じ、一行は川をさらに遡っていった。  
 鬼八は高千穂の神奈備かんなび二上山ふたかみやまの麓の乳ヶ窟ちちがいわやに住み、この辺りを根城としていた。
 鬼八はすぐに見つかった。
 だが鬼八は七尺近い巨体の持ち主で、人の二倍はある太く逞しい腕、吊り上がった真っ赤な目の怪物である。大きく開けた口から凶暴な牙が覗いていた。
 鬼八は三毛入野命の姿を見るなり大きな岩を投げつけてきた。
 あやうく避けた三毛入野命は、剣を抜いて鬼八に斬りかかっていった。
 ところが鬼八は二丈(約六メートル)もある大木の幹を楽々と登り、兵士たちの輪の中に飛び降りた。大混乱に陥る兵士たちを嘲笑うように、鋭い爪で兵士たちを次々に切り裂いた。
 ぎゃあ!
 絶叫を上げて兵士たちがばたばたと倒れていく。
 恐慌を来した兵士たちを尻目に、鬼八は息つく暇もなく襲いかかってきた。必死で剣を振り回す兵を嘲笑うように、軽々と大岩を飛び越えていく。恐るべき俊敏さと跳躍力である。
 三毛入野命が息を切らしながらようやく追い詰めたと思っても、今度は二十丈(約六十メートル)も下の崖に飛び降りた。
 人間はおろか獣にも真似のできない、まさに異形の者の為せる技である。
 鬼八は形勢不利だとみると、木の枝に飛び乗ってひょいと飛び越え、息つく間もなく崖をよじ昇り、深い谷もひと跨ぎで越えて姿が見えなくなってしまった。
 鬼八にとって五ヶ瀬川は自分の庭のようなもので、どこに何があるかを熟知している。
 この先は阿蘇の暗い森である。とても追いかけることはできない。
「厄介な相手だ…」
 それが鬼八とはじめてまみえた三毛入野命の率直な印象だった――。

 鬼退治の件を切り出すと河童たちが一斉に口を尖らせた。どうやらこれが河童のしかめ面らしい。
「君たちは戦わなくていい。ただちょっと手伝ってほしいだけだ」
 三毛入野命が懸命に説得するが、河童たちは口々に言った。
「よだきいなあ」
「うん、よだきい」
 よだきいとは、「面倒だ」「おっくうだ」というような意味のこの地方の言葉である。
 それでも三毛入野命は必死で頭を下げた。
「手伝ってやったら、ジゴを食わせてくれるか?」
 川太郎が言った。
 ジゴとは人間の肝のことである。河童は川で泳いでいる子供を溺れさせて肝を抜き取って食べるのだ。
「ジゴはだめだ。代わりに豆腐をたくさんご馳走しよう」
 豆腐もまた河童の大好物である。
 河童たちは目を輝かせてひそひそと相談をし、川太郎が言った。
「俺たちにやってほしいことは何だ?」
 三毛入野命が身振りを交えて語る言葉を、河童たちは真剣に聞き入った。
                            (つづく)

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