12 / 17
勾玉の姫(六)
しおりを挟む
六
「長髄彦、ですか?」
大国主は思わず顔を上げて聞き返した。
「そうじゃ。良き名前であろう。そなたの長い脚にふさわしい名を考えたのじゃ」
玉座から見下ろしたニギハヤヒが薄笑いを浮かべて言った。居並ぶヤマトの重臣たちも嘲るような視線を送っている。
「しかしあまりにも突飛な……」大国主は二の句が継げなかった。
名前にはそれぞれ呪力がある。名前はその存在を意味づけることで本質と結びつき、その性質をも支配できる力を持つ。
「名は体を表わす」の言葉通り、人はみな名前にふさわしい存在になる。
名付けられることで枠が填はめられると言い換えてもよい。
大きな名前を貰えば大人物になり、反対に小さい名前、弱い名前を与えられると、心も体も脆弱な、それどころか世の中にとって邪悪な存在にもなりかねない。
だから親はみな、生まれてくる子の幸せを願って良い名前、健やかな名前を付けようと苦心する。
それは昔も今も変わりはない。
出雲の国譲りが滞りなく済み、大国主がヤマト王権を支える武将の末席に加えられたことはすでに述べた。
それからすぐに、「新しく生まれ変わった証しに名を変えよ」との王命が下ったのである。その新しい名前が「長髄彦」だった。
「大国主」とは「大きな国の主」で、いまの“あの男”にはふさわしくない。長身で足が長いから「長髄彦」ぐらいがちょうどいい、という話である。
「記紀」神話に登場する土着の民は、梟帥や土蜘蛛等、侮蔑に満ちた名称で呼ばれることが多い。
当然、長髄彦の場合もそれに当てはまる。
今回のニギハヤヒの仕打ちには、大国主の身体ばかりか心も弱らせ、力を殺《そ》ごうという意図がありありだった。
しかし大国主改め長髄彦は、諾々とこれを受け容れた。
「ここで腹を立てて死ぬのは簡単だ。だが今は命を捨てる時ではない。必ずや、武人としてふさわしい死に場所が与えられるはずだ」
長髄彦はそう確信していた。
ちなみに長髄彦の名は、『日本書紀』の中に見ることができる。
「神武東征」に於ける磐余彦(神武天皇)の最大のライバルとして登場する人物である。
月日が流れた。
ある時、少彦名にヤマトの秘宝を盗んだという疑いが掛けられた。少彦名に命じられて、従者の一人が財宝を盗んだというものだった。
ニギハヤヒは長髄彦に、少彦名をすぐさま差し出せと命じた。しかし長髄彦はこれに従わず、翡翠の神に祈った。
すると間もなく従者が捕まり、少彦名に罪はないことが明らかになった。財宝も無事ニギハヤヒの元に返された。
「やれやれ、吾もまだ死なせて貰えぬようですな」
少彦名が苦笑して言った。
他にも長髄彦を狙った刺客が草叢に潜んでいると、どこからともなく毒蛇や蜂、ムカデが現れて刺客を噛み、その度に長髄彦は命を救われた。
長髄彦は奴奈川姫がくれた勾玉の霊力によって守られていると確信した。
呪いを掛けた筈のニギハヤヒは、術が効かないことに焦り、呪者を叱り飛ばして何度も術を掛けさせた。
それでも効かないと分かると、その呪者を殺して別の呪者に呪わせた。しかしそのどれもが効かなかった。
ここに至って、ニギハヤヒは非常な不安を覚えた。
「もしや長髄彦は、呪いを返す術を知っているのかもしれない」
呪いを掛けた者(ニギハヤヒ)より呪われた者(長髄彦)の霊力が強い場合、その呪いは自分に返ってくる。
その恐怖が疑心暗鬼を生み、ニギハヤヒの心は荒んでいった。
その一方で、出雲を従えたヤマトはさらに強大になり、各地の豪族たちも続々とその配下に従った。
はじめは服属した国を丁重に扱ったヤマトも、時が経つにつれ、次第に傲慢な要求を突きつけるようになっていた。
或る国は収穫した米の三分の一の徴税を命じられ、拒むと領土の三分の一をヤマトに割譲された。また或る国はヤマトの先兵となって戦いに赴いた王の戦死を機に、ヤマトに併合されてしまった。
ある時、生駒山麓の長髄彦の館に薬売りが現れた。東から来たというその男は、各地を回ってさまざまな薬草や薬石を売り歩いているという。
「これを傷口に塗ればたちどころに治ります。そしてこちらの薬は頭痛や手足の痺れにも効く薬で、かの唐土の仙人が千年の時を越えて伝えしもので――」
勝手口で従者たちを相手に、巧みに話をしている。ときおり笑い声も起こる。
にぎやかさにつられて長髄彦が様子を見に来た。
男を一目見た長髄彦はすぐに「あの者を奥へ」と呼び寄せ、人払いを命じた。
男の顔には見覚えがあった。奴奈川姫に仕えていた舎人である。
「しばらくぶりじゃ」
「王さまもご健勝の様子で何よりでございます」
薬売りに化けた舎人は深々と頭を下げた。
すでに述べたように、大国主は長髄彦という卑しい名を与えられたことで、出雲にいた頃の魂の強さを失った。
だが特に厄災に遭うこともなく、ここまで生き長らえることができた。これも奴奈川姫に貰った翡翠の勾玉のお蔭である。
長髄彦は奴奈川姫と過ごした日々を思い出し、懐かしさが込み上げてきた。
「本日は御覧頂きたきものがあり、参上つかまつりました」
薬売りは絹布にくるまれた包みを取り出した。
中身は翡翠の原石だった。深い碧色の美しい石である。
これで勾玉をつくれば、さぞかし大きな”力”を持つことができるだろう。
「この持ち主である男の子に、ふさわしき名前を付けていただきたく存じます」
「男であったか…」
長髄彦は深いため息をついた。喜びが身体を貫き、身震いした。
「はい。三歳になり、母子ともに諏訪の館にてお健やかにお過ごしでございます」
「そうか、良かった……」
長髄彦(大国主)と奴奈川姫の間に生まれた男子が、諏訪で無事に育っている。それだけで十分だった。
「いまはまだ『若』と呼んでおりますが、ぜひにお名前を授けていただきたいと、姫が…」
薬売りが長髄彦をまっすぐ見据えて言った。
長髄彦は一瞬の沈黙ののち、きっぱりと答えた。
「建御名方ではどうじゃ。水の方に国を建てし者」
諏訪湖の畔で良き国を建てる者になって欲しい、との願いが込められている。
翡翠が持つ霊力とは、邪気を払うだけでなく、宿した者の命の力を漲らせ、清浄さを保つ力でもある。
我が子への精一杯の愛を込めた命名だった。
「おお。まことに良き名、ありがとうございます」
薬売りは感激して涙を流し、翡翠を大事にしまうと静かに館を出て行った。
長髄彦は知る由もないが、この男こそ身重の奴奈川姫を護りながら諏訪まで導いた舎人である。
〈結〉
時は移り、神武天皇が橿原宮で即位したころ、信濃国・諏訪では成長した建御名方の姿を見ることができる。
建御名方は背が高く逞しい体つきの若者となり、目は母の奴奈川姫に似て優しく、鼻筋は父の大国主に似てすらりと伸びている。
建御名方は諏訪の王となり、この地を治め民を幸せにしたという。
死後は諏訪大社の祭神として勧請され、今なお人々の崇敬を集めている。
約千四百年後の寛文五(一六六五)年――
出雲大社の摂社、命主社の裏手で勾玉が発見された。
これが数百キロ離れた糸魚川産の翡翠の原石からつくられたものであることは、現代の科学分析によって判明している。
ただしこれが、いつ、誰によって奉納されたものなのかは未だ不明である。
了
※「古事記」の訳は『古事記(上)』次田真幸(講談社学術文庫)を参照しました。
「長髄彦、ですか?」
大国主は思わず顔を上げて聞き返した。
「そうじゃ。良き名前であろう。そなたの長い脚にふさわしい名を考えたのじゃ」
玉座から見下ろしたニギハヤヒが薄笑いを浮かべて言った。居並ぶヤマトの重臣たちも嘲るような視線を送っている。
「しかしあまりにも突飛な……」大国主は二の句が継げなかった。
名前にはそれぞれ呪力がある。名前はその存在を意味づけることで本質と結びつき、その性質をも支配できる力を持つ。
「名は体を表わす」の言葉通り、人はみな名前にふさわしい存在になる。
名付けられることで枠が填はめられると言い換えてもよい。
大きな名前を貰えば大人物になり、反対に小さい名前、弱い名前を与えられると、心も体も脆弱な、それどころか世の中にとって邪悪な存在にもなりかねない。
だから親はみな、生まれてくる子の幸せを願って良い名前、健やかな名前を付けようと苦心する。
それは昔も今も変わりはない。
出雲の国譲りが滞りなく済み、大国主がヤマト王権を支える武将の末席に加えられたことはすでに述べた。
それからすぐに、「新しく生まれ変わった証しに名を変えよ」との王命が下ったのである。その新しい名前が「長髄彦」だった。
「大国主」とは「大きな国の主」で、いまの“あの男”にはふさわしくない。長身で足が長いから「長髄彦」ぐらいがちょうどいい、という話である。
「記紀」神話に登場する土着の民は、梟帥や土蜘蛛等、侮蔑に満ちた名称で呼ばれることが多い。
当然、長髄彦の場合もそれに当てはまる。
今回のニギハヤヒの仕打ちには、大国主の身体ばかりか心も弱らせ、力を殺《そ》ごうという意図がありありだった。
しかし大国主改め長髄彦は、諾々とこれを受け容れた。
「ここで腹を立てて死ぬのは簡単だ。だが今は命を捨てる時ではない。必ずや、武人としてふさわしい死に場所が与えられるはずだ」
長髄彦はそう確信していた。
ちなみに長髄彦の名は、『日本書紀』の中に見ることができる。
「神武東征」に於ける磐余彦(神武天皇)の最大のライバルとして登場する人物である。
月日が流れた。
ある時、少彦名にヤマトの秘宝を盗んだという疑いが掛けられた。少彦名に命じられて、従者の一人が財宝を盗んだというものだった。
ニギハヤヒは長髄彦に、少彦名をすぐさま差し出せと命じた。しかし長髄彦はこれに従わず、翡翠の神に祈った。
すると間もなく従者が捕まり、少彦名に罪はないことが明らかになった。財宝も無事ニギハヤヒの元に返された。
「やれやれ、吾もまだ死なせて貰えぬようですな」
少彦名が苦笑して言った。
他にも長髄彦を狙った刺客が草叢に潜んでいると、どこからともなく毒蛇や蜂、ムカデが現れて刺客を噛み、その度に長髄彦は命を救われた。
長髄彦は奴奈川姫がくれた勾玉の霊力によって守られていると確信した。
呪いを掛けた筈のニギハヤヒは、術が効かないことに焦り、呪者を叱り飛ばして何度も術を掛けさせた。
それでも効かないと分かると、その呪者を殺して別の呪者に呪わせた。しかしそのどれもが効かなかった。
ここに至って、ニギハヤヒは非常な不安を覚えた。
「もしや長髄彦は、呪いを返す術を知っているのかもしれない」
呪いを掛けた者(ニギハヤヒ)より呪われた者(長髄彦)の霊力が強い場合、その呪いは自分に返ってくる。
その恐怖が疑心暗鬼を生み、ニギハヤヒの心は荒んでいった。
その一方で、出雲を従えたヤマトはさらに強大になり、各地の豪族たちも続々とその配下に従った。
はじめは服属した国を丁重に扱ったヤマトも、時が経つにつれ、次第に傲慢な要求を突きつけるようになっていた。
或る国は収穫した米の三分の一の徴税を命じられ、拒むと領土の三分の一をヤマトに割譲された。また或る国はヤマトの先兵となって戦いに赴いた王の戦死を機に、ヤマトに併合されてしまった。
ある時、生駒山麓の長髄彦の館に薬売りが現れた。東から来たというその男は、各地を回ってさまざまな薬草や薬石を売り歩いているという。
「これを傷口に塗ればたちどころに治ります。そしてこちらの薬は頭痛や手足の痺れにも効く薬で、かの唐土の仙人が千年の時を越えて伝えしもので――」
勝手口で従者たちを相手に、巧みに話をしている。ときおり笑い声も起こる。
にぎやかさにつられて長髄彦が様子を見に来た。
男を一目見た長髄彦はすぐに「あの者を奥へ」と呼び寄せ、人払いを命じた。
男の顔には見覚えがあった。奴奈川姫に仕えていた舎人である。
「しばらくぶりじゃ」
「王さまもご健勝の様子で何よりでございます」
薬売りに化けた舎人は深々と頭を下げた。
すでに述べたように、大国主は長髄彦という卑しい名を与えられたことで、出雲にいた頃の魂の強さを失った。
だが特に厄災に遭うこともなく、ここまで生き長らえることができた。これも奴奈川姫に貰った翡翠の勾玉のお蔭である。
長髄彦は奴奈川姫と過ごした日々を思い出し、懐かしさが込み上げてきた。
「本日は御覧頂きたきものがあり、参上つかまつりました」
薬売りは絹布にくるまれた包みを取り出した。
中身は翡翠の原石だった。深い碧色の美しい石である。
これで勾玉をつくれば、さぞかし大きな”力”を持つことができるだろう。
「この持ち主である男の子に、ふさわしき名前を付けていただきたく存じます」
「男であったか…」
長髄彦は深いため息をついた。喜びが身体を貫き、身震いした。
「はい。三歳になり、母子ともに諏訪の館にてお健やかにお過ごしでございます」
「そうか、良かった……」
長髄彦(大国主)と奴奈川姫の間に生まれた男子が、諏訪で無事に育っている。それだけで十分だった。
「いまはまだ『若』と呼んでおりますが、ぜひにお名前を授けていただきたいと、姫が…」
薬売りが長髄彦をまっすぐ見据えて言った。
長髄彦は一瞬の沈黙ののち、きっぱりと答えた。
「建御名方ではどうじゃ。水の方に国を建てし者」
諏訪湖の畔で良き国を建てる者になって欲しい、との願いが込められている。
翡翠が持つ霊力とは、邪気を払うだけでなく、宿した者の命の力を漲らせ、清浄さを保つ力でもある。
我が子への精一杯の愛を込めた命名だった。
「おお。まことに良き名、ありがとうございます」
薬売りは感激して涙を流し、翡翠を大事にしまうと静かに館を出て行った。
長髄彦は知る由もないが、この男こそ身重の奴奈川姫を護りながら諏訪まで導いた舎人である。
〈結〉
時は移り、神武天皇が橿原宮で即位したころ、信濃国・諏訪では成長した建御名方の姿を見ることができる。
建御名方は背が高く逞しい体つきの若者となり、目は母の奴奈川姫に似て優しく、鼻筋は父の大国主に似てすらりと伸びている。
建御名方は諏訪の王となり、この地を治め民を幸せにしたという。
死後は諏訪大社の祭神として勧請され、今なお人々の崇敬を集めている。
約千四百年後の寛文五(一六六五)年――
出雲大社の摂社、命主社の裏手で勾玉が発見された。
これが数百キロ離れた糸魚川産の翡翠の原石からつくられたものであることは、現代の科学分析によって判明している。
ただしこれが、いつ、誰によって奉納されたものなのかは未だ不明である。
了
※「古事記」の訳は『古事記(上)』次田真幸(講談社学術文庫)を参照しました。
2
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
白雉の微睡
葛西秋
歴史・時代
中大兄皇子と中臣鎌足による古代律令制度への政治改革、大化の改新。乙巳の変前夜から近江大津宮遷都までを辿る古代飛鳥の物語。
――馬が足りない。兵が足りない。なにもかも、戦のためのものが全て足りない。
飛鳥の宮廷で中臣鎌子が受け取った葛城王の木簡にはただそれだけが書かれていた。唐と新羅の連合軍によって滅亡が目前に迫る百済。その百済からの援軍要請を満たすための数千騎が揃わない。百済が完全に滅亡すれば唐は一気に倭国に攻めてくるだろう。だがその唐の軍勢を迎え撃つだけの戦力を倭国は未だ備えていなかった。古代に起きた国家存亡の危機がどのように回避されたのか、中大兄皇子と中臣鎌足の視点から描く古代飛鳥の歴史物語。
主要な登場人物:
葛城王(かつらぎおう)……中大兄皇子。のちの天智天皇、中臣鎌子(なかとみ かまこ)……中臣鎌足。藤原氏の始祖。王族の祭祀を司る中臣連を出自とする
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる