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銅戈の眠る海(五)
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五
磐余彦の一行と笠岡の漁師たちは、神島で作戦会議を開いた。
神島は笠岡諸島のなかでも本土に近い。漁師にとっては陸地との重要な中継点である。
しかしいま漁師たちは陸地を追われ、沖の島に避難して暮らさざるを得なくなっていた。
「まず、山側の退路を断ちます。逃げられて鬼ノ城に増援を求められては面倒ですから」
椎根津彦の言葉に一同がうなずいた。鬼ノ城への道は一本だけである。
渓谷に架かる吊り橋を切ってしまえば遮断できる。
「それから火攻めです」
「火攻め?」
椎根津彦が目配せすると、来目が黄色い粉の入った袋を取り出した。卵の腐ったような臭いが鼻を衝く。
「うわっ、臭い!」
「目も痛え!」
笠岡の漁師たちが顔をしかめた。咳き込む者もいる。彼らには見るのも初めてのようだ。
「これは燃える石です」
燃える石とは、つまり硫黄である。
漁師たちがごくりと息を呑む。
「これで敵の目を欺きましょう」
磐余彦の力強い言葉に、漁師たちは目を輝かせた。
翌朝早く――
浜を見下ろす丘の上に立つ木の陰に、磐余彦と仲間たちが潜んでいる。
現在は干拓地となっているが、かつて笠岡湾の最奥部に位置した浜――かつてはカブトガニも生息していた――の集落は静まり帰っている。
山賊どもはぐっすり眠っているようだ。
そのとき海側から銅鑼の音が鳴り響いた。笠造率いる笠岡の漁師たちが、舟に乗り浜に近づいている。
「漁師ども、上陸するつもりだ――」
「矢を放て!」
王丹丸の命令で山賊が一斉に沖に向かって矢を射る。
だが矢はぎりぎりのところで海に落ちた。漁師たちに被害はない。
矢の届かない距離で停泊し鬨の声を上げて威嚇するだけ、というのが椎根津彦の与えた指示である。
「山賊の数はざっと三十人です」
日臣の報告に磐余彦がうなずく。
笠岡の漁師たちが山賊の気を逸らせている隙に、山側に潜んだ磐余彦率いる日向勢が背後から襲い掛かるという作戦だった。
その際、山側に通じる吊り橋は切り、鬼ノ城から増援を呼べないようにする。これには稲飯命と三毛入野命が当たることになった。
「よし、いくぞ」
力自慢で鳴る五瀬命と日臣が、壺状の土器、焙烙から出た藁ひもに火を付けて大きく振り回し、力任せに放った。ハンマー投げの要領である。
丘の上から投げ飛ばされた焙烙はざっと二十間(約三十六メートル)も飛んだ。
焙烙は山賊たちの真ん中に落ちてがしゃんと砕け、黄色い粉が飛び散った。
次の瞬間、粉にぱっと火が点き、辺りが炎に包まれた。硫黄が発火したのである。
「うわっ、熱い!」
「あちちちち! 」
山賊たちは頭から火の粉を被って恐慌を来した。爆弾ほどの威力はないが、驚かすには十分な威力である。
ちなみにこの時代、火薬はまだ発明されていない(黒色火薬は紀元六世紀か七世紀に中国で発明されたといわれている)。
しかし火薬の原料である硫黄は、太古の昔からその存在が知られてきた。
硫黄は火山国である日本では至るところで自然採取できる鉱物である。
とくに磐余彦たちの故郷、九州は九重山や阿蘇山、霧島山などでは硫黄が自然露出している。
大陸の先進技術に詳しい椎津根彦が、武器として硫黄を用いたのである。
五瀬命と日臣に加え、来目や隼手も焙烙を放り投げている。
そこら中で焙烙が破裂し、ぱっと火の粉が飛び散る。折からの山風に煽られて黒煙がもうもうと立ち上った。
硫黄の刺激と鼻を衝く臭気に、荒くれで知られる山賊たちも震え上がった。
「目が痛え!」
「焼け死ぬぞ!」
山賊たちは恐怖のどん底に突き落とされた。
その隙をついて、真っ先に切り込んだのは五瀬命である。
血気に逸る五瀬命の棒術は力任せに振り回すだけで、決して褒められたものではない。しかし相手が構えた剣を真っ向から叩き折るほどの怪力で、たちまち何人も打ち倒されていった。
磐余彦の放った矢は正確に敵を捉え、三人の男を続けざまに射た。
「大人しくしていれば命までは取らない!」
そう言う磐余彦の目は鷲のように鋭い。手負いの山賊たちは射すくめられたように身動きできなくなった。
長身の筋骨逞しい日臣は、頭椎と呼ばれる長い直刀を自在に使う武人である。剣術などまだ発達していなかった時代において、すでに剣士の風格を備えている。
「とおーっ!」
裂帛の気合とともに頭椎を上段から打ち下ろし、続けざまに横に払った。稲妻のような斬撃に、あっという間に四人の山賊が斬り捨てられた。
接近戦で無類の強さを発揮するのが来目である。山賊の間をひらりひらりと動き回り、石椎という石斧を自在に操っている。
「うひょっ、あらよっ!」
まるで猿が躍るような剽軽な動きだが、石椎が振り下ろされるたびに山賊がばたばたと倒れていく。
相撲という格闘技の達人隼手は、山賊を次々に投げ飛ばしている。起き上がる暇を与えず拳や手刀で急所を突くと、山賊たちはうめき声をあげてのたうち回った。
椎根津彦の剣は、中国で代々軍師を務めた名家に伝わる銘刀である。青銅の胴身に鍛鉄の刃を嵌め、倭国の剣とは切れ味が数段違う。
椎根津彦は銘刀の持ち主にふさわしく、流れるような動作で山賊を切り倒していく。微笑さえ浮かべ、芝居の立ち回りでも見ているようだ。
三十人ほどいた山賊たちは、あっという間に数えるほどに減ってしまった。
その頃には笠岡の漁師たちも浜に上がり、武器を携えて残った山賊を取り囲み、勇敢に戦っていた。
「王丹丸はどこだ?」
磐余彦が山賊の首領を探した。だがどこにも見当たらない。
実は王丹丸は、磐余彦たちの襲撃直後に物陰に隠れてしまっていた。そして形勢不利と見るや、子分たちを置き去りにして無人の浜に逃げてきた。
「おっ、舟がある」
王丹丸は浜辺に乗り捨てられた一隻の小舟に乗り込み、自分で漕ぎ出した。そのまま舟はどんどん陸を離れていく。
陸ではすでに山賊たちのほとんどが討ち取られるか、戦意を失って降伏している。
「逃がさん!」
日臣は言うが早いか、踵を返して駆け出した。漁師の磯八も続き、機敏な動作で舟を出す。
「追ってくれるな?」
日臣の問いかけに磯八は力強くうなずいた。
磯八が力いっぱい櫓を漕ぎ、王丹丸の舟との距離はみるみる間に詰まった。
王丹丸の顔が恐怖に怯えるのが手に取るようにわかった。
二間(三・六メートル)の距離まで接近した時、
「この野郎!」
目を血走らせた王丹丸が、力いっぱい銅戈を振り下ろした。まともに食らえば即死である。
頭を割られると思った瞬間、日臣は船縁を蹴っていた。
うなりをあげて襲いかかる銅戈の刃を紙一重でかわす。
そのまま空中を飛び、王丹丸の舟にどさっと降りた。衝撃で舟が大きく揺れる。
「うわっ!」
船縁を必死で掴んだ王丹丸が振り返りざま、日臣が抜き払った剣から閃光が走った。
すさまじい剣風が起こり、次の瞬間、銅戈の首は付け根からすぱっと切り落とされていた。
鮮やかな切り口である。
ぽちゃんという音とともに、銅戈はゆっくりと海中に沈んでいく。
「次はお前の首が飛ぶ」
剣を構えたまま、日臣がひと睨みする。
「わあっ!」
電光石火の早業に、王丹丸はたまらず船底にへたり込んだ。
そのまま王丹丸は捕えられ、人質となっていた笠岡漁師の子らと引き換えに解放された。
「おとう、おっかあ!」
磯八と女房が子どもを強く抱きしめて泣いた。
歓天喜地のその姿に、来目が思わず涙ぐむ。
「けっ、日向を思い出しちまったぜ」
(つづく)
磐余彦の一行と笠岡の漁師たちは、神島で作戦会議を開いた。
神島は笠岡諸島のなかでも本土に近い。漁師にとっては陸地との重要な中継点である。
しかしいま漁師たちは陸地を追われ、沖の島に避難して暮らさざるを得なくなっていた。
「まず、山側の退路を断ちます。逃げられて鬼ノ城に増援を求められては面倒ですから」
椎根津彦の言葉に一同がうなずいた。鬼ノ城への道は一本だけである。
渓谷に架かる吊り橋を切ってしまえば遮断できる。
「それから火攻めです」
「火攻め?」
椎根津彦が目配せすると、来目が黄色い粉の入った袋を取り出した。卵の腐ったような臭いが鼻を衝く。
「うわっ、臭い!」
「目も痛え!」
笠岡の漁師たちが顔をしかめた。咳き込む者もいる。彼らには見るのも初めてのようだ。
「これは燃える石です」
燃える石とは、つまり硫黄である。
漁師たちがごくりと息を呑む。
「これで敵の目を欺きましょう」
磐余彦の力強い言葉に、漁師たちは目を輝かせた。
翌朝早く――
浜を見下ろす丘の上に立つ木の陰に、磐余彦と仲間たちが潜んでいる。
現在は干拓地となっているが、かつて笠岡湾の最奥部に位置した浜――かつてはカブトガニも生息していた――の集落は静まり帰っている。
山賊どもはぐっすり眠っているようだ。
そのとき海側から銅鑼の音が鳴り響いた。笠造率いる笠岡の漁師たちが、舟に乗り浜に近づいている。
「漁師ども、上陸するつもりだ――」
「矢を放て!」
王丹丸の命令で山賊が一斉に沖に向かって矢を射る。
だが矢はぎりぎりのところで海に落ちた。漁師たちに被害はない。
矢の届かない距離で停泊し鬨の声を上げて威嚇するだけ、というのが椎根津彦の与えた指示である。
「山賊の数はざっと三十人です」
日臣の報告に磐余彦がうなずく。
笠岡の漁師たちが山賊の気を逸らせている隙に、山側に潜んだ磐余彦率いる日向勢が背後から襲い掛かるという作戦だった。
その際、山側に通じる吊り橋は切り、鬼ノ城から増援を呼べないようにする。これには稲飯命と三毛入野命が当たることになった。
「よし、いくぞ」
力自慢で鳴る五瀬命と日臣が、壺状の土器、焙烙から出た藁ひもに火を付けて大きく振り回し、力任せに放った。ハンマー投げの要領である。
丘の上から投げ飛ばされた焙烙はざっと二十間(約三十六メートル)も飛んだ。
焙烙は山賊たちの真ん中に落ちてがしゃんと砕け、黄色い粉が飛び散った。
次の瞬間、粉にぱっと火が点き、辺りが炎に包まれた。硫黄が発火したのである。
「うわっ、熱い!」
「あちちちち! 」
山賊たちは頭から火の粉を被って恐慌を来した。爆弾ほどの威力はないが、驚かすには十分な威力である。
ちなみにこの時代、火薬はまだ発明されていない(黒色火薬は紀元六世紀か七世紀に中国で発明されたといわれている)。
しかし火薬の原料である硫黄は、太古の昔からその存在が知られてきた。
硫黄は火山国である日本では至るところで自然採取できる鉱物である。
とくに磐余彦たちの故郷、九州は九重山や阿蘇山、霧島山などでは硫黄が自然露出している。
大陸の先進技術に詳しい椎津根彦が、武器として硫黄を用いたのである。
五瀬命と日臣に加え、来目や隼手も焙烙を放り投げている。
そこら中で焙烙が破裂し、ぱっと火の粉が飛び散る。折からの山風に煽られて黒煙がもうもうと立ち上った。
硫黄の刺激と鼻を衝く臭気に、荒くれで知られる山賊たちも震え上がった。
「目が痛え!」
「焼け死ぬぞ!」
山賊たちは恐怖のどん底に突き落とされた。
その隙をついて、真っ先に切り込んだのは五瀬命である。
血気に逸る五瀬命の棒術は力任せに振り回すだけで、決して褒められたものではない。しかし相手が構えた剣を真っ向から叩き折るほどの怪力で、たちまち何人も打ち倒されていった。
磐余彦の放った矢は正確に敵を捉え、三人の男を続けざまに射た。
「大人しくしていれば命までは取らない!」
そう言う磐余彦の目は鷲のように鋭い。手負いの山賊たちは射すくめられたように身動きできなくなった。
長身の筋骨逞しい日臣は、頭椎と呼ばれる長い直刀を自在に使う武人である。剣術などまだ発達していなかった時代において、すでに剣士の風格を備えている。
「とおーっ!」
裂帛の気合とともに頭椎を上段から打ち下ろし、続けざまに横に払った。稲妻のような斬撃に、あっという間に四人の山賊が斬り捨てられた。
接近戦で無類の強さを発揮するのが来目である。山賊の間をひらりひらりと動き回り、石椎という石斧を自在に操っている。
「うひょっ、あらよっ!」
まるで猿が躍るような剽軽な動きだが、石椎が振り下ろされるたびに山賊がばたばたと倒れていく。
相撲という格闘技の達人隼手は、山賊を次々に投げ飛ばしている。起き上がる暇を与えず拳や手刀で急所を突くと、山賊たちはうめき声をあげてのたうち回った。
椎根津彦の剣は、中国で代々軍師を務めた名家に伝わる銘刀である。青銅の胴身に鍛鉄の刃を嵌め、倭国の剣とは切れ味が数段違う。
椎根津彦は銘刀の持ち主にふさわしく、流れるような動作で山賊を切り倒していく。微笑さえ浮かべ、芝居の立ち回りでも見ているようだ。
三十人ほどいた山賊たちは、あっという間に数えるほどに減ってしまった。
その頃には笠岡の漁師たちも浜に上がり、武器を携えて残った山賊を取り囲み、勇敢に戦っていた。
「王丹丸はどこだ?」
磐余彦が山賊の首領を探した。だがどこにも見当たらない。
実は王丹丸は、磐余彦たちの襲撃直後に物陰に隠れてしまっていた。そして形勢不利と見るや、子分たちを置き去りにして無人の浜に逃げてきた。
「おっ、舟がある」
王丹丸は浜辺に乗り捨てられた一隻の小舟に乗り込み、自分で漕ぎ出した。そのまま舟はどんどん陸を離れていく。
陸ではすでに山賊たちのほとんどが討ち取られるか、戦意を失って降伏している。
「逃がさん!」
日臣は言うが早いか、踵を返して駆け出した。漁師の磯八も続き、機敏な動作で舟を出す。
「追ってくれるな?」
日臣の問いかけに磯八は力強くうなずいた。
磯八が力いっぱい櫓を漕ぎ、王丹丸の舟との距離はみるみる間に詰まった。
王丹丸の顔が恐怖に怯えるのが手に取るようにわかった。
二間(三・六メートル)の距離まで接近した時、
「この野郎!」
目を血走らせた王丹丸が、力いっぱい銅戈を振り下ろした。まともに食らえば即死である。
頭を割られると思った瞬間、日臣は船縁を蹴っていた。
うなりをあげて襲いかかる銅戈の刃を紙一重でかわす。
そのまま空中を飛び、王丹丸の舟にどさっと降りた。衝撃で舟が大きく揺れる。
「うわっ!」
船縁を必死で掴んだ王丹丸が振り返りざま、日臣が抜き払った剣から閃光が走った。
すさまじい剣風が起こり、次の瞬間、銅戈の首は付け根からすぱっと切り落とされていた。
鮮やかな切り口である。
ぽちゃんという音とともに、銅戈はゆっくりと海中に沈んでいく。
「次はお前の首が飛ぶ」
剣を構えたまま、日臣がひと睨みする。
「わあっ!」
電光石火の早業に、王丹丸はたまらず船底にへたり込んだ。
そのまま王丹丸は捕えられ、人質となっていた笠岡漁師の子らと引き換えに解放された。
「おとう、おっかあ!」
磯八と女房が子どもを強く抱きしめて泣いた。
歓天喜地のその姿に、来目が思わず涙ぐむ。
「けっ、日向を思い出しちまったぜ」
(つづく)
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