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銅戈の眠る海(序・一)
しおりを挟む 序
昭和五十七年、岡山県の笠岡湾干拓工事の浚渫作業中に、泥の中から一本の銅戈が発見された。
銅戈とは青銅でつくられた道具で、長い棒の先に付けて敵を倒す武器の一種である。
発見された場所は、かつての海岸線から五百メートルも離れた沖合で、今から二千年近く前の弥生時代後期のものと推定されている。
長らく海に沈んでいたにもかかわらず、銅戈は不思議なくらい錆ついていなかった。その理由については、海底の泥に守られて沈んでいたためだろうと考えられている。
長さが三十四センチもある銅戈が、いつ、どんな理由で海に落ちたのかは、今となっては知る由もない。
もしかすると、古代人たちが戦いの中で落としたものなのかもしれない。
はるか昔、瀬戸内海の海上で繰り広げられた戦いがあったとしたら――
そんな太古のロマンを掻き立てる銅戈は、長い眠りの時を経て、現在笠岡市の重要文化財として笠岡市郷土館に収蔵されている。
一
その昔、日本がまだ倭国と呼ばれていた頃、九州南部に日向という国があった。
皇子の磐余彦(のちの神武天皇)は聡明で素直、思慮深い若者だった。
あるとき磐余彦は、長老の塩土老翁から興味深い話を聞いた。
「東の方に青い山に囲まれた良い土地があるそうです。そこは倭国の政治の中心で、ヤマトと申します」
塩土老翁は唐土(中国大陸)から戦火を逃れて海を渡り、はるばる倭国にやってきた渡来人である。
海を隔てた大陸では、魏、呉、蜀が覇を競った三国志の時代が終わり、新たに興った晋王朝が統一国家を築いていた。
「倭国もいつまでも安泰ではおれません。いずれ晋に狙われましょう。なのにヤマトの豪族たちは長年にわたり栄華を貪るばかりで、民は苦しんでいるそうです」
その話を聞いて磐余彦の心は騒いだ。
鼻筋の通った知的な眼差しを持ち、髪は美豆羅を結っている。
「ならば、吾がそこに行って天下を治め、民のために良き政をしましょう」
気宇壮大といえば聞こえはいいが、権力も地位も持たない若者が抱くにしては破格の野望である。
無謀といってもいい。
しかし磐余彦は、このまま日向の地で一生を終える気にはなれなかった。
大人たちの勇ましい戦いの話を聞くにつけ、血気に逸る若者は小さく纏まった共同体の中で暮らすことに物足りなさを覚えていたからだ。
大陸に於ける政争の影響は、いつ海を越えて倭国に及ぶか分からない。
ところが倭国の代表を名乗るヤマトの豪族たちは、塩土老翁が言うように現在の地位に安住したまま何も変えようとはしなかった。
彼らが時代の変化についていけないのは明らかだ。
「このままでは、いつ大陸や半島からの侵略に遭うかもしれない。そのとき真っ先に犠牲になるのはわれら九州の国々ではないか?」
その憤りを兄弟や仲間に伝えると、一緒にヤマトに行こうという者が現れた。
磐余彦の三人の兄である五瀬命と稲飯命、三毛入野命。
それに日臣、来目に隼手という昔からの遊び仲間、さらに宇佐の速吸之門から加わった椎根津彦の総勢八人である。
軍勢というには小さすぎるが、その多くは若い頃から野山を駆け巡ってシカやウサギを追った仲間たちだ。気心が知れているうえに互いの力もよく分かっている。
この小軍勢を率いるリーダーは、四兄弟の末っ子である磐余彦だ。
この時代においては末子相続が主流である。第十五代応神天皇の頃までは、末子相続が続いていたことが『日本書紀』にも記されている。
磐余彦は弓が得意で、今までにシカやイノシシ、山鳥などを数多く仕留めてきた。弓の名人でありながら、決して偉ぶらない。自分が獲った獲物でも平等に分け与える。
だから磐余彦と行く狩りはいつも楽しいし、獲物にもありつける。
しかしそれ以上に、磐余彦の最大の長所は包容力にあった。
一度決めたことには決してぶれないが、他人の意見に素直に耳を傾ける柔軟さも持ちあわせている。明るく思いやりもある。まだ若いが、信頼のおけるリーダーである。
長兄の五瀬命の名は、隣国・筑紫の若者との度重なる喧嘩騒ぎで知れ渡っている。
鉄板を貼り付けた硬い樫の棒を振り回し、剣や鉾も簡単に叩き折る。茫然とする相手に容赦なく棒を打ち下ろして骨を砕く乱暴者である。
一方、次兄の稲飯命と三兄の三毛入野命は頭脳明晰で智恵もあるが、小柄で大人しいタイプでリーダーには向かない。しかしともに農業や天候、医療などで優れた能力を発揮し、村人からも尊敬を集めている。
二人はこのまま日向に留まっても、村人から崇められて一生を終えることができただろう。
しかし、
「俺たちだって何か大きなことができることを証明したい。お前が東の地を目指すというなら、俺たちもそれに賭けてみたいんだ」
ふだんは物静かな稲飯兄が、めずらしく熱く語った。
いつも静かに微笑んでいる三毛入野兄も、
「稲飯兄の言うとおりだ。吾らは戦には足手纏いかもしれないが、平和な世になったら必ず吾らの力が必要になるはずだ」
と拳をふり上げて熱弁をふるった。
「ありがとう、兄さんたち」
磐余彦は三人の兄の手を取って何度もうなずいた。
これに加え縄文系の来目や隼手と、剣の腕は抜群だが無口でとっつきにくい日臣、さらに渡来人を父に持つ椎根津彦といった、ばらばらの個性を持つ集団を束ねることができるのは、唯一、磐余彦だけだった。
つまり磐余彦の場合は、末子相続というこの時代の「決まり」というより、仲間から自然に担がれてリーダーになったのである。
こうして磐余彦は、三人の兄と四人の朋輩とともに、故郷日向を飛び出した。
(つづく)
昭和五十七年、岡山県の笠岡湾干拓工事の浚渫作業中に、泥の中から一本の銅戈が発見された。
銅戈とは青銅でつくられた道具で、長い棒の先に付けて敵を倒す武器の一種である。
発見された場所は、かつての海岸線から五百メートルも離れた沖合で、今から二千年近く前の弥生時代後期のものと推定されている。
長らく海に沈んでいたにもかかわらず、銅戈は不思議なくらい錆ついていなかった。その理由については、海底の泥に守られて沈んでいたためだろうと考えられている。
長さが三十四センチもある銅戈が、いつ、どんな理由で海に落ちたのかは、今となっては知る由もない。
もしかすると、古代人たちが戦いの中で落としたものなのかもしれない。
はるか昔、瀬戸内海の海上で繰り広げられた戦いがあったとしたら――
そんな太古のロマンを掻き立てる銅戈は、長い眠りの時を経て、現在笠岡市の重要文化財として笠岡市郷土館に収蔵されている。
一
その昔、日本がまだ倭国と呼ばれていた頃、九州南部に日向という国があった。
皇子の磐余彦(のちの神武天皇)は聡明で素直、思慮深い若者だった。
あるとき磐余彦は、長老の塩土老翁から興味深い話を聞いた。
「東の方に青い山に囲まれた良い土地があるそうです。そこは倭国の政治の中心で、ヤマトと申します」
塩土老翁は唐土(中国大陸)から戦火を逃れて海を渡り、はるばる倭国にやってきた渡来人である。
海を隔てた大陸では、魏、呉、蜀が覇を競った三国志の時代が終わり、新たに興った晋王朝が統一国家を築いていた。
「倭国もいつまでも安泰ではおれません。いずれ晋に狙われましょう。なのにヤマトの豪族たちは長年にわたり栄華を貪るばかりで、民は苦しんでいるそうです」
その話を聞いて磐余彦の心は騒いだ。
鼻筋の通った知的な眼差しを持ち、髪は美豆羅を結っている。
「ならば、吾がそこに行って天下を治め、民のために良き政をしましょう」
気宇壮大といえば聞こえはいいが、権力も地位も持たない若者が抱くにしては破格の野望である。
無謀といってもいい。
しかし磐余彦は、このまま日向の地で一生を終える気にはなれなかった。
大人たちの勇ましい戦いの話を聞くにつけ、血気に逸る若者は小さく纏まった共同体の中で暮らすことに物足りなさを覚えていたからだ。
大陸に於ける政争の影響は、いつ海を越えて倭国に及ぶか分からない。
ところが倭国の代表を名乗るヤマトの豪族たちは、塩土老翁が言うように現在の地位に安住したまま何も変えようとはしなかった。
彼らが時代の変化についていけないのは明らかだ。
「このままでは、いつ大陸や半島からの侵略に遭うかもしれない。そのとき真っ先に犠牲になるのはわれら九州の国々ではないか?」
その憤りを兄弟や仲間に伝えると、一緒にヤマトに行こうという者が現れた。
磐余彦の三人の兄である五瀬命と稲飯命、三毛入野命。
それに日臣、来目に隼手という昔からの遊び仲間、さらに宇佐の速吸之門から加わった椎根津彦の総勢八人である。
軍勢というには小さすぎるが、その多くは若い頃から野山を駆け巡ってシカやウサギを追った仲間たちだ。気心が知れているうえに互いの力もよく分かっている。
この小軍勢を率いるリーダーは、四兄弟の末っ子である磐余彦だ。
この時代においては末子相続が主流である。第十五代応神天皇の頃までは、末子相続が続いていたことが『日本書紀』にも記されている。
磐余彦は弓が得意で、今までにシカやイノシシ、山鳥などを数多く仕留めてきた。弓の名人でありながら、決して偉ぶらない。自分が獲った獲物でも平等に分け与える。
だから磐余彦と行く狩りはいつも楽しいし、獲物にもありつける。
しかしそれ以上に、磐余彦の最大の長所は包容力にあった。
一度決めたことには決してぶれないが、他人の意見に素直に耳を傾ける柔軟さも持ちあわせている。明るく思いやりもある。まだ若いが、信頼のおけるリーダーである。
長兄の五瀬命の名は、隣国・筑紫の若者との度重なる喧嘩騒ぎで知れ渡っている。
鉄板を貼り付けた硬い樫の棒を振り回し、剣や鉾も簡単に叩き折る。茫然とする相手に容赦なく棒を打ち下ろして骨を砕く乱暴者である。
一方、次兄の稲飯命と三兄の三毛入野命は頭脳明晰で智恵もあるが、小柄で大人しいタイプでリーダーには向かない。しかしともに農業や天候、医療などで優れた能力を発揮し、村人からも尊敬を集めている。
二人はこのまま日向に留まっても、村人から崇められて一生を終えることができただろう。
しかし、
「俺たちだって何か大きなことができることを証明したい。お前が東の地を目指すというなら、俺たちもそれに賭けてみたいんだ」
ふだんは物静かな稲飯兄が、めずらしく熱く語った。
いつも静かに微笑んでいる三毛入野兄も、
「稲飯兄の言うとおりだ。吾らは戦には足手纏いかもしれないが、平和な世になったら必ず吾らの力が必要になるはずだ」
と拳をふり上げて熱弁をふるった。
「ありがとう、兄さんたち」
磐余彦は三人の兄の手を取って何度もうなずいた。
これに加え縄文系の来目や隼手と、剣の腕は抜群だが無口でとっつきにくい日臣、さらに渡来人を父に持つ椎根津彦といった、ばらばらの個性を持つ集団を束ねることができるのは、唯一、磐余彦だけだった。
つまり磐余彦の場合は、末子相続というこの時代の「決まり」というより、仲間から自然に担がれてリーダーになったのである。
こうして磐余彦は、三人の兄と四人の朋輩とともに、故郷日向を飛び出した。
(つづく)
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