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第五十三話③『お招き』
しおりを挟む兜悟朗との食事会は終始良い雰囲気で行われていた。
嶺歌は兜悟朗が本当に美味しそうに自分の作り上げた料理を食べてくれた事が嬉しく、一人で小さくガッツポーズをしていた。子どものようなので本人には決して言わないが。
「嶺歌と兜悟朗さんはいつから知り合ったの?」
食事が進んでいくと母は宇島さん呼びから兜悟朗さん呼びへと変わっていた。誰に対してもフランクな母らしい。そうしてそんな母が無遠慮にそのような事を尋ねてくるので嶺歌は何だかむず痒い気持ちになっていた。これではまるで……
(彼氏みたいじゃん)
それを嬉しいと思う自分がいるのは間違いようもない事実だ。
嶺歌は気持ちが昂るのを感じながら母に「四月くらいだよ」と言葉を返す。
すると兜悟朗も微笑みながら穏やかな顔で「嶺歌さんの仰られる通りです」と答えを口にした。母はその言葉を聞いて半年くらい前なのねえと口に出すと、そのまま言葉を続けてきた。
「友達ってあの高円寺院家だったなんて知らなかったからびっくりしたわよ、あんた、顔が広いとは思ってたけどまさかそこまでいくなんてね」
「嶺歌ちゃんはどこに顔を出しても打ち解けるって麗蘭さんも言ってたじゃないか」
そう言って微笑ましそうに笑う義父に母はまあ確かにねと声を返す。すると今度は嶺璃が前のめりになって言葉を発してきた。
「そうだよ! れかちゃんは誰とも仲良くなれる凄いおねえちゃんだもん!」
そう言ってまるで自分の事のように胸を張る嶺璃を見て、嶺歌は嬉しいという気持ちがありながらもしかし、兜悟朗がいる手前恥ずかしくなってきていた。
チラリと兜悟朗を見やると彼は微笑ましそうに家族を眺めており、静かに話を聞いてくれている。口元もいつものように口角が上がっており、柔らかな雰囲気を保っていた。
その佇まいから演技などではなくこの状況を楽しんでくれているのだという事が伝わってくる。本当に、この人は優しくて暖かくて素敵な男性だと、嶺歌は彼のその姿に見惚れてしまっていた。
「嶺歌さんは、ご家族内でも誇り高いお方なのですね」
兜悟朗はそう言って微笑んだ。彼のその発言に嶺歌は顔が真っ赤になる。
「あら、この子ったら褒められ慣れてる筈なのに真っ赤よ?」
母は意地が悪い。嶺歌は先程勢いで兜悟朗への気持ちを彼女に打ち明けたことを後悔する。
意中の相手だからこそ褒められるとこうして照れてしまうのだという事を、分かっていながらも本人の前で弄ってくるとは完全に計算外だ。
「お茶おかわりしてくる! 兜悟朗さん、おかわりどうですか?」
そう言って素早く席を立つと兜悟朗にも尋ねてみる。彼のコップの中の麦茶はあと少しになっていたからだ。
すると兜悟朗はコップを差し出してではお願いしますと嶺歌に告げてきた。そのまま彼からコップを受け取るのだが、わずかに彼の指先が嶺歌の手に当たり、自分の胸が酷く波打つのを体感する。
悟られぬように急いで台所へ向かうと、嶺歌は顔が再び赤くなり出した自身の頬をそっと触った。
(心臓やばい…)
小さく深呼吸をしながら兜悟朗の分から麦茶を付け足し、最後に自分の麦茶を入れていく。
嶺歌が離脱した食卓では母を中心に話が盛り上がっており、兜悟朗に向けた質問や母の世間話などが繰り広げられていた。雰囲気はとても穏やかで、それを感知した嶺歌は安心する。兜悟朗が楽しんでくれているのなら、それが嶺歌の幸せだ。
そう思いながら嶺歌はゆっくりと食卓に戻り始めていった。
「本日は本当に数々のお料理をご馳走下さり、有難う御座いました。とても美味しく楽しいひとときを過ごせました」
そう言って綺麗な一礼を見せた兜悟朗は嶺歌たちに見送られながら玄関先で笑みを溢す。
「兜悟朗さんまた来てね。うちの娘がお世話になっていますから、いつでも大歓迎ですよ」
「君が来てくれて楽しかったよ。またゆっくり話せると嬉しいな」
「執事さんまたねーっ!」
家族がそれぞれ兜悟朗へ挨拶をする。嶺歌はマンションの下までついていく事にした。せっかく来てくれた兜悟朗をこのまま玄関先で見送るのは何だか違うと思ったのだ。
それに、本音を言うとこちらが九割を占めているのだが、彼と少しでも長く居たいという感情が嶺歌の中にあったからだ。
「嶺歌さん、お見送り有難う御座います」
エレベーターを待ちながら兜悟朗は嶺歌に微笑みかけ、そのような言葉を口にする。嶺歌は来てくださったのでと声を返すと彼はこちらを、先程とは少し異なる視線で見つめてきた。
「とても、楽しかったです」
目線が合うと、兜悟朗の柔らかい瞳が嶺歌の視界で重なる。
その瞳の奥にどのような感情を宿しているのか、問いかけたくなる思いで溢れた嶺歌は自然と口を開く。しかしそれはすぐにタイミングを見誤ったエレベーターによって阻まれた。
そのまま並んでエレベーターで下まで降りると、兜悟朗はここまでで大丈夫ですよと声を掛けてきた。
誰もいない静かなエントランスの中で兜悟朗と二人、対面する。
彼は最後まで優しい笑顔で嶺歌を見つめると、胸元に手を当てながら綺麗な一礼を見せた。そうして「またお時間を頂けますと嬉しいです」と口にして自動ドアをくぐり、マンションを後にした。
しかし嶺歌はそこで自宅に戻る事はせず、先程から五月蝿い程に高鳴る心臓の音を掻き消すかのように駆け出していた。
「兜悟朗さんっ!!!」
兜悟朗の足は早く、曲がり角を曲がるまで後少しのところだった。
嶺歌の声に反応した兜悟朗はこちらを振り返るとすぐに引き返し、駆け寄ってくる嶺歌に向かって足を進めてくる。ただ待たないで近づいてきてくれる彼のそういうところも、嶺歌は大好きだった。
「あの、あたしも……楽しかったです」
嶺歌は足を止めて彼を見上げるとそのまま続きを口にする。
「いつでも時間作ります。だから、今日で終わりじゃないと嬉しいです」
そしてそんな言葉を口にしていた。これは先程の兜悟朗の言葉の答えだ。時間はいつだって作れる。彼の為ならどんなにハードなスケジュールであろうと二人で会える時間を確保してみせる。
そんな思いで嶺歌は兜悟朗に言葉を向けていた。彼は驚いた表情を見せながらも柔らかく口元を緩めて、はいと確かに口にしてくれた。
「嶺歌さんがお望み下さるのなら僕はいくらでもお時間を確保致します」
兜悟朗はそう言って嶺歌の手元をそっと持ち上げた。
手の甲にキスをされるのかと心臓が爆発しそうな思いに駆られるが、彼はただ嶺歌の手先をそっと優しく撫でるとそのまま嶺歌の手を解放する。そうしてもう一度お辞儀をしてきた。
「夜風は寒いですから、そろそろお戻り下さい。おやすみなさい、嶺歌さん」
嶺歌は兜悟朗に触れられた手の体温を感じながら、彼の顔を見て小さく頷くとそのままマンションへと戻っていった。兜悟朗に触れられた指先が熱い。
キスをされるかもしれないと一瞬自惚れた自分を恥ずかしく思うものの、それ以上に彼から一撫でされた手の感触が堪らなく胸を高鳴らせていた。
第五十三話『お招き』終
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