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第五十三話①『お招き』
しおりを挟む今日は緊張で頭がどうにかなりそうだった。
そう、何を隠そう今日が兜悟朗を夕食に招待する日だからである。
嶺歌は朝から目がとてつもないほどに開眼しており、約束は夜であるのに終始そわそわして落ち着かなかった。
「嶺歌、下ごしらえ手伝って」
リビングで落ち着きなくうろうろしている嶺歌を母は呼び出す。
嶺歌としても兜悟朗に自身の手料理を食べてほしいと思っていた為すぐ台所に向かうと、母と共に野菜の下処理から手をつけ始めた。
「おっ麗蘭さんに嶺歌ちゃん、朝から動いてて偉いな」
そう言って話しかけてきたのは義父だ。麗蘭は母の名である。
嶺歌はおはようと挨拶をすると彼も穏やかな声でおはようと返してきた。
義父の源斗は穏やかで物腰柔らかい優しい男性だ。兜悟朗とはまた違った優しさを持つ人である。
今日は両親共に一日中休みで、珍しく家族四人が集まっている。
今日の夜、この中に兜悟朗が混ざるのかと思うと何だか不思議な感情が湧き出てきた。
(家族みたいじゃん)
そう思い口元が緩んでいる自分に気が付く。嬉しいのだから仕方がない。
嶺歌はそんな事を考え、開き直っていると母に「あんたさ」と声を掛けられる。うんと声を返すと母はこのような言葉を口にしてきた。
「今日来る人、どういう関係なの?」
「えっ」
思わず声が漏れ出る。確かに母親としてはどこで接点を作ったかも分からない兜悟朗のような年上の男性との関係が気になるのは至極当然の事であろう。
それに母は兜悟朗と以前にも会った事があるのだ。友人の執事とは話しているものの、事細かな詳細を話している訳ではない。
嶺歌は母からは視線を外して小さく声を出した。
「あたしの……好きな人」
「やっぱり!?」
母は予想していたのか、途端に声を張り上げると嶺歌の肩をバシバシと叩く。
「あんた年上好きなんだ? いいじゃない! 彼、すごくダンディで絶対大事にしてくれるわよ」
そう言って嬉しそうに料理を再開する母を見て嶺歌は喜ばしい気持ちになる。
娘の恋バナを聞いた母がこうして喜んでくれるとは想像した事がなかったからだ。
思えば母とは、恋愛に関わらず日常的な話をした事はあまりない。いつも忙しい母とは家事や嶺璃の事しか話す事がなかった。
それを寂しいと思った事はないが、こうして自分の話を嬉しそうに聞いてくれる親の姿は何だか新鮮で心が温かくなった。
そして兜悟朗を肯定してくれた事にも嬉しい気持ちは湧き起こっていた。
「片思いって母さんは楽しかった?」
嶺歌も料理を再開し、母に気になっていた恋愛事情を尋ねてみる。母は上機嫌に何でも答えてくれた。
「そりゃ楽しかったわよ。あたしはねえ、片思い期間があったからこそ実った時が幸せだって思うのよ」
「へえーそうなんだ」
そんな会話を親子でしながら兜悟朗に食べてもらう料理を丁寧に作っていく。
兜悟朗が海鮮料理を好きだと話していた事をしっかり母に伝えていたおかげで、母は滅多に買うことのない豪華な魚を仕入れてくれていた。
事前に店で捌いてもらった新鮮な魚は、今朝方母が店に買いに行ってくれていた食材だ。
それを嶺歌は美味しい料理にできるよう心を込めて調理していく。兜悟朗が美味しいと心から思ってくれるように、秘めた愛情も込めながら。
「れかちゃんー! 今日執事さんくるの?」
一通りの下準備が終わると嶺璃が部屋から飛び出し嶺歌に抱きついてきた。
嶺歌はそうだよと言いながら妹の頭を撫でてやると、嶺璃は嬉しそうに笑みを向けながら嶺歌の服の裾を摘む。相変わらず可愛い妹に嶺歌は言葉を続けた。
「今日来る人は大事なお客様だからね。ちゃんと笑顔で挨拶するんだよ」
「うん! おねえちゃんの命の恩人さんだもん!」
そんな妹の様子を見て嶺歌は、以前溺れた話を聞いた嶺璃がその日、酷くわんわん泣いていたのを思い出した。嶺璃は昔から嶺歌にくっついて動く事が多く、母よりも姉である自分によく懐いてくれている。
その為、嶺歌を心配して泣いてくれたのは分かるのだが、もう助かっている嶺歌が目の前にいるのに、溺れて死にかけた話を聞いた事で目を真っ赤に腫らす嶺璃の姿は、見ていて何だか無性に切ない思いを抱かせていた。ここまで心配して泣いてくれる妹がいるという事に、改めて嶺歌は幸せを感じる。
嶺歌は大好きな家族と共に兜悟朗が食卓に参加してくれるのがとても楽しみになっていた。早く夜にならないだろうか。
そう思いながら料理を一段落させた嶺歌は、今日着る服装を選び始めるのであった。
next→第五十三話②
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