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第四十四話『覗き見て』
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自分の大切な友人があのような事故に遭ったと知り、形南は恐怖を感じていた。
そうして形南が気がつく前に素早く動き出した自分の執事に心の底から感謝していた。兜悟朗がいなければ、嶺歌の身は今頃恐ろしい事になっていたかもしれない。
(本当に、良かったですの……)
形南は泣きながら嶺歌に泣きつき、平尾に支えられていた。
しかし嶺歌に気を使わせてしまったようで、海辺の散歩を勧められる。
今は彼女の言う通りにしようと静かに嶺歌だけを見つめる兜悟朗を残してそのまま平尾と医務室を後にする。
嶺歌は最後、こちらに笑みを向けて手を振ってくれており、そんな嶺歌の芯の強さに胸の奥がじんわりと熱くなった。
後で嶺歌が歩けるようになったらたくさん彼女と楽しい事をしよう。そう思いながら形南も嶺歌に視線を向けて出ていた。
「あれちゃん、気分良くなった?」
平尾に連れられ当てもなく海辺を散歩していた。
海のエリアでは溺れかけた嶺歌の噂で人がまだらに集まっており、現在一時的に海への出入りを禁止されていた。
形南はそんな様子を横目で見ながら平尾に声を返す。
「先程よりは冷静になれましたの。平尾様、お気を遣わせて申し訳ありません」
平尾が形南の為を思って行動に出てくれていた事は気付いていた。それを嬉しいとも思っていた。
だがそれ以上に、嶺歌への心配が何よりも大きかったのだ。
今でこそ冷静さを取り戻していたものの、先程までの自分は嶺歌の事しか頭になかった。平尾は客観的にそれを感知し、形南をずっと支えようとしてくれていたのだ。
「平尾様、有難うございます」
形南は薄く微笑み、彼にお礼を告げると平尾は顔を赤くさせながら「ぜ、全然……そろそろ様子見に戻る?」と言葉にする。
彼のその提案は今の形南にとって嬉しく、そのまま深く頷くと医務室の方へと足を動かしていった。
医務室の扉の前まで来ると会話をしている声が聞こえてくる。嶺歌と兜悟朗だ。
形南ははしたないと思いながらも少しだけ戸を開け、彼らの会話に耳を傾ける。
平尾も気になるのか、特に反対する姿勢を見せずそのまま二人で医務室前に耳を寄せていた。
すると二人の会話がはっきりと耳に入ってくる。
「嶺歌さん、寒くはありませんか? 宜しければ替えの着替えをお持ちします」
「兜悟朗さんにお借りしてたこれだけで大丈夫です。あと三十分もしたら出られると思いますし着替えはその時にします。でもありがとうございます」
「ご無理はなさらないで下さい。先程は取り乱していたのも事実ですが、僕が申し上げた言葉に嘘偽りはありません。あの言葉を、どうかお忘れにならないで欲しいのです」
「……はい」
形南は兜悟朗の一人称がいつものものではない事に驚いていた。
形南の前では決して見せない素の兜悟朗の姿が、今嶺歌の前で確かに見せられている。これは非常に喜ばしい事だ。
彼が意図的に形南の前で己を見せない事は知っている。それを形南自身も望んでいた。
十年そばにいても執事は執事。敬愛こそあれど、それ以上の関係になる事はないのだ。ゆえに砕けた関係になる必要性はない。
そう思って彼とはこれまでもこれからも接していく事は確信的なものであった。互いがそれを認知しているからこその今の関係なのだ。
しかしそんな兜悟朗にも幸せになってほしいという思いは人一倍にある。彼は何年経っても何も色恋沙汰がなく、形南としては少々気に掛かっていたところだ。
そんな彼が、今嶺歌を前にして形南が見たことのない表情を見せ、第三者から見ても彼女を大切にしている様子が窺える。形南はそれがとてつもないほどに嬉しく感じられた。
嶺歌に対してだけは、いつもより少し砕けている兜悟朗がいる。それだけで、形南は満足だった。
形南は自然と上がった口角を戻さずに、呆然と二人の様子に目を向ける平尾に小さく声を掛ける。
「平尾様。今はお邪魔な気がしますの。もう一度お散歩に戻りましょう」
「そ、そうだね……和泉さんも元気そうだし、も、戻ろうか」
そう答えた平尾も二人の仲の深さを感じ取ったのか、顔を僅かに赤らめ形南の言葉に同調した。
形南は平尾のそのような純粋な姿に口元が再度綻び、温かい気持ちになりながらそっと医務室の扉を閉めた――。
* * *
第四十四話『覗き見て』終
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