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第三十三話③『家庭』
しおりを挟む瞬間嶺歌は目の前が真っ白になった。しかし子春はそんな嶺歌に気づく事なく言葉を並べ立てていく。
「実の父親は蒸発……母親はキャバクラで出会ったご客人と二年前に再婚」
「そんな不幸な家庭の元で育った者が、高円寺院家の方々と親密になれるとお思いで? 本当に身の程知らずですよ」
子春は悪びれた様子もなく淡々と言葉にしていく。彼女は、汚いものを見るかのような目つきで嶺歌を上から見下ろすと、とても丁寧な人物が放つ言葉とは思えない発言を尚も続けてきた。
「今すぐ出て行ってください。その品格も何もかもが劣っているみすぼらしい貴女が、高円寺院家に入られている事自体が不愉快でなりません。恥ずかしい家庭で育った貴女なんてこの場に不相応なのですよ。形南お嬢様にも、宇島先輩にも失礼です。貴女はあの方々に相応しくない。本当、浅ましいですよ」
そう言ってバンッとテーブルを叩いた。威嚇とも取れるこの行為は、間違いなくこちらを敵視しているのだと彼女の言動全てで物語っている。
恐怖? そんなものは感じない。悲壮感? そのような感情になれる程、嶺歌の心は弱くはない。それならば罪悪感? あるわけがない。他でもない、形南と兜悟朗が嶺歌を認めてくれているのに、そんなもの、感じる訳がないだろう。
子春に言われるがままだった今の嶺歌の心は、ただただ彼女に対する怒りだけだった。
恐ろしさでも、悲しさでも、申し訳なさでもない。そのような言葉を簡単に口に出せてしまう非常識なこのメイドに――――紛れもない大きな憤りを感じていた。
「不幸だなんて思った事一度もないんですけど」
躊躇いなく嶺歌は声に出していた。口に出した嶺歌は驚いた表情でこちらを見返す子春に視線を向ける。
「勝手に人の人生を格付けしないでもらえますか?」
そう言葉にして鋭い視線でメイドを見据えた。
嶺歌の迷いのない目つきに子春は一瞬動揺の色を見せる。構わず言葉を続けた。
「出て行った父も置いて行かれた母も複雑な感情はあれど今は家族幸せに暮らしてます。それをあなたの少しの調べくらいで決め付けられても困るし、あたしは家庭環境がどうのって言う人が一番嫌いです」
そこまで口に出すと嶺歌は席を立つ。
嶺歌のその行動に驚いたのか子春は身体を一歩、後退させた。
「あれなに釣り合わないって思うのはそりゃあありますよ。あたしだって何度も思いました。でもあれながそれを望んであたしを友達だと思ってくれていて、兜悟朗さんもあたしを邪魔者扱いしません。二人は一度もあたしを遠ざけた事がなかったんですよ」
「あれなと兜悟朗さんが出て行けと言うなら出ていきますが、あなたに言われて出て行く気はないです。二人が戻るまで待ちますから。話はそれからです」
嶺歌は淡々と言葉に出し、子春をもう一度見据える。瞬きもせず彼女を見る嶺歌の視線は、子春の心に耐えきれないのか否か、直ぐに逸らされてしまった。
しかし子春は目を逸らしながら、尚もこちらに言葉を浴びせてきた。
「宇島先輩も形南お嬢様も貴女に騙されているだけです。二言はありません。出て行って下さい」
「何て失礼な」
すると途端に聞き慣れたある執事の声がシンと静まった広い空間に響き渡る。
いつの間にか閉ざされていた出入り口の扉は開かれており、扉からは兜悟朗の姿が現れていた。
嶺歌は驚き、しかしそれは子春も同じようでそれぞれ目を見開きながら兜悟朗に視線を奪われていた。
兜悟朗はいつもの穏やかな雰囲気とは打って変わり表情は険しく、怒りを静かに露わにした様子で子春の方まで足を動かす。
そうして彼女の近くまで足を運ぶとそのまま子春を見下ろしながら言葉を放ち始めた。
「今直ぐ嶺歌さんに謝りなさい」
兜悟朗がこのような命令口調を誰かに向けている瞬間を嶺歌は初めて目にしていた。
彼の表情は勿論の事目すらも全く笑ってはおらず、憤りを感じている様子が見ただけで理解できる。それほどに今の兜悟朗は怒っている様子だった。
「大切なお客様に、他でもない嶺歌さんにそのような失礼な態度は私が許しません。他所様の家庭内事情を言及するなど言語道断。無作法にも程がありますよ。メイドともあろう者が……六つも離れた年下のお方に大人気ない。そのようなメイドは高円寺院家の従者として相応しくありません」
兜悟朗ははっきりとそう口にする。嶺歌は兜悟朗の予想外の出現に驚きを未だ隠せず、ただただ彼の姿を注視していた。
兜悟朗に言葉を向けられている子春も言葉を返せないのか、顔を青ざめさせ言葉を失っている様子で彼を見返している。すると兜悟朗は再び口を開いた。
「嶺歌さんは私にとって大切な御客人です。形南お嬢様にとってもそれは同じ。そのようなお方に君は無礼を働いたのです」
「出て行きなさい」
「二度と高円寺院家の敷居を跨ぐ事は許しません」
「君のようなメイドは必要ありません」
兜悟朗のいつもとは異なるえも言えぬその強いオーラは、嶺歌を堅守してくれているものなのだと感じ取れていた。
嶺歌は兜悟朗の言葉に胸が熱くなり、言葉にし難い感情が自身の心中を駆け巡ってくる。
このような形で、誰かに護られるとは思ってもいなかった。
感じた事のない不思議な思いが、身体全体に流れる熱と共に嶺歌の心を満たしてくる。そうしてそこで嶺歌は思い出していた。
next→第三十三話④(8月4日更新予定です)
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