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第二十五話③『初恋が来る』
しおりを挟む兜悟朗の態度が以前より親しみが増したような気がするのは勘違いなどではないだろう。
彼はあの日確かに嶺歌に対して敬意を示し、口付けまで行ったのだ。
「ちょ、ちょっと暑くて。気を遣ってくれてありがとうございます」
嶺歌はぎこちない口調でそう言うと彼にハンカチを返す。いや、ここは洗って返すのが礼儀だろう。
嶺歌は洗って返すと言葉を付け加え手元にハンカチを戻し始めるが、兜悟朗はそっと嶺歌の手に持つハンカチを取り、小さく微笑む。
「お気遣い有難う御座います。ですがご心配は要りません。ハンカチは使用するためにあるのですから」
彼の紳士的な対応に嶺歌は再び顔が赤く染まる。彼は気付いているのだろうか。嶺歌は自身の顔の熱を必死で冷まそうとしていると途端に形南の声が耳に入ってくる。
「嶺歌、おはようございますですの!」
形南は嬉しそうな顔をしてこちらに駆けてくる。
彼女は髪の毛をハーフアップにして、後ろを可愛らしいお団子状にしていた。服装も、フェミニンなトップスに丈長のジーンズを履いて動きやすそうだ。
「あれながジーパン!? 珍しいね! でもめっちゃ似合ってる」
嶺歌は貴重な形南のジーンズ姿に目を見開く。彼女の登場のおかげで兜悟朗への気持ちの高鳴りが落ち着いた事に内心安堵しながらも、形南の服装に気持ちが高鳴っていた。
「うふふ、ありがとうですの。本日は平尾様とのレジャーデート。平尾様の好感度を上げる為に研究しましたの」
形南がジーンズを履くことは勿論、ズボン類を履いている姿を見た事がなかった。いつも財閥の令嬢らしく上品な膝下のスカートを着用していたからだ。
しかし今日の形南の姿はいつもの装いとは見間違う程にカジュアルであり、だがそれもまた形南によく似合っていた。
「いいね、平尾君に合わせたんだ」
「あら嶺歌ってば。その通りなのですの」
形南は嶺歌の言葉にすぐ肯定してみせるとその後一拍置いてからこんな言葉を口に出す。
「ねえ嶺歌、兜悟朗の今日の装いも中々に珍しいでしょう? 本日はアットホームな装いをするように指示をしていましたの」
「……うん。凄く新鮮だと思う」
言葉をつっかえそうになるのを必死で制御し、普通を装ってそんな返答を口にする。珍しいどころではなく、彼の遊園地に全く違和感のないこのラフな格好は嶺歌の鼓動を速める要因の一つであった。
「お褒めに預かり光栄です。有難う御座います」
兜悟朗は尚も腰の低い姿勢で嶺歌に柔らかな笑みを向けてくる。
そんな兜悟朗を前に再び顔が赤くなりそうになる事を覚悟していると、しかし次の彼の言葉で嶺歌はある疑問に直面した。
「本日は御三方のお出掛けに、私をお招き頂き有難う御座います」
(え?)
嶺歌は耳を疑った。兜悟朗の一人称が『僕』ではなく『私』に戻っているからだ。
つい先程まで確かに僕と呼称していたのに何故変えたのだろう。偶々や間違えてというのは兜悟朗に限って有り得ないだろう。
人間はミスをするものではあるが、兜悟朗においては本当にそれが全くない。だからこそ、彼が一人称を変えた理由がよく分からなかった。
(あの時だけ……?)
それを少し残念だと思う自分がいた。これはダメだ。完全に兜悟朗に心を奪われてしまっている。
そんな事を思いながらも、形南と嶺歌に微笑みかける兜悟朗から視線をそっと外す。彼への想いを完全に自覚していた今は、平静でいられそうになかった。
「ご、ごめん。遅くなった?」
すると聞き慣れない声が三人の元へ降り注ぐ。平尾だ。彼は約束の五分前にやってきた。これで全員集合だ。
「平尾様、お早う御座いますですの! 遅くなどありませんの。まだ時間の五分前ですのよ」
「そ、そっか良かった。あ……よ、よろしくお願いします」
平尾は自身より遥かに長身の兜悟朗を目にするとハッとした様子で小さく会釈をする。
二人が並んでいるところを見るのは初めてであったが、兜悟朗と平尾がこうして会うのはどうやら初めてではないようだ。きっと嶺歌がいないところで会っていたのだろう。
兜悟朗はにこやかな笑みを平尾に向けて綺麗な一礼を見せる。
「数日ぶりで御座います平尾様。お先にご挨拶を頂いてしまい申し訳御座いません。また本日もこのように改めてお会い出来ました事、誠に光栄で御座います。本日はどうぞ宜しくお願い致します」
兜悟朗が丁重にそのような挨拶を彼に向けると、平尾は慣れていないであろうその丁寧な彼の姿勢に戸惑いを見せながら「あ、こ、こちらこそよろしくお願いします」とお辞儀を返していた。
平尾のお辞儀は辿々しく、しかしそんな挨拶にも兜悟朗はにっこりと笑みを溢している。
(紳士的だ……)
そんな彼らの様子を見て嶺歌は改めてそう思う。
しかしいつもと違うのは、そのような感想を抱くと同時に自身の鼓動が速まっている事だ。
嶺歌は兜悟朗から目が離せず、彼の今日の装いを無意識に確認していた。
シンプルな白Tシャツの上に生地が涼しげなジャケットを羽織り、落ち着いた色のスラックスを履いて歩きやすそうなスニーカーでしめている。
(うわあ……カッコいい)
いつもの正装ではなく、ラフな装いをしている兜悟朗のその姿は今の嶺歌には目の保養であった。高級なものであるのかは嶺歌には判別できなかったが、彼の衣服は遊園地というこの場によく似合っている。
気がつけばTPOを意識された彼のファッションスタイルに釘付けになっている自分がいた。
「それでは早速入場口へ行きましょうですの!」
形南は興奮した様子で頬を赤らめてそんな言葉を口にする。
平尾と一緒にいる形南をこうして間近で見るのは何だか新鮮だった。
嶺歌はそうだねと頷きながら無意識に兜悟朗を意識している自分を自覚する。とりあえず、今は遊ぶ事に集中だ。
そのまま四人で入場口まで歩きスタッフにチケットを確認してもらう。チケットは用意のいい兜悟朗があらかじめ人数分を購入してくれていた。
形南としては嶺歌や平尾の分は奢りたいという思いがあったようだが、今回はこちらの意向を汲んでくれたようで自費で出す事になっている。
それは嶺歌にとっても嬉しい事で、きっと平尾としても安心しているところであろう。
以前平尾と話をした事を思い出しながら嶺歌はそんなことを思い、足を進めた。
第二十五話『初恋が来る』終
next→第二十六話
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