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第二十三話④『フラグのような』
しおりを挟む「それでは嶺歌、また近い内にお会いしましょうね。ご連絡差し上げますの」
「うん、あれな。またね」
すると数秒とかからない内に兜悟朗の代わりとなる別の執事が現れる。
その執事が形南の荷物を持ちながら形南と共に巨大な門の中へと入っていくのを兜悟朗と二人で見送りながら、彼女らの姿が消えるのを確認すると「それでは我々も参りましょうか」と兜悟朗の声が耳に響いた。
「お願いします」
嶺歌はもう一度会釈をすると兜悟朗に並んで歩き出す。どうやら徒歩で送ってくれるらしい。歩くのが好きな嶺歌にとっては嬉しい事だった。
無言で歩く訳でもなく、兜悟朗の方からそれとなく返しやすい言葉を投げかけられていた。
彼は会話の術も長けており、こちらが不快に感じるような言葉も困るような台詞も言ってくることはなかった。本当に完璧な執事だ。
嶺歌は彼と会話をしながらそんな事を思い、足を動かしていた。
マンションの目の前まで到着し、兜悟朗に向き直ってお礼を述べる。しかし何か忘れていたような気がした嶺歌はそこで瞬時に思い出した。
(話って何だろう)
道中、彼からの話は取り留めのない一般的な話のみだった。特に嶺歌に伝えたいというような内容のものではなく、誰が聞いても無難そうなそんな内容だったのだ。
兜悟朗が事前に口にしていた事をうっかり言い忘れてしまうような人間には見えない。それならば話すとしたらこのタイミングなのだろう。
そう考えていると案の定、兜悟朗は嶺歌のお礼の言葉に「とんでも御座いません」と言葉を返してから改めてこちらに向き直り、口を開く。
「嶺歌さん、改めまして先日は有難う御座いました。感謝申し上げます」
「先日というと……」
その表現からすると今日の事ではなく、以前の事をさしているのだろう。だが嶺歌には心当たりがない。
しかし兜悟朗は直ぐに「形南お嬢様の報復の件で御座います」と言葉を付け足した。
「それは前にもたくさんお礼を言われました。だからもう十分ですよ」
嶺歌は何事も一度の事に一度返してもらえればそれでいいと思う人間だ。欲張りたいとも、それ以上を求めようとも思わない。平等性を重視しているからだ。
そのため兜悟朗が再び感謝を口にする必要はない。しかし兜悟朗は小さく微笑みを返し嶺歌に向けて言葉を返す。
「このようなお話をするからにはもう一度感謝を示したかったのです。どうかお許しください」
そう言って柔らかな一礼を見せた彼に嶺歌は小さく頷いた。
彼の丁寧な所作は今に始まった事ではないが、いつ見ても現実では中々お目にかかれないような丁重さだ。
兜悟朗は一礼を終えると早速言葉の続きを口にし始めた。
「嶺歌さんにご提案いただいた通り、当日はお嬢様と私の二人で報復の現場を物陰から拝見しておりました」
兜悟朗は竜脳寺に復讐した時の話を持ち出している。
嶺歌は彼が何を言わんとしているのか、想像はできなかったもののそのまま彼の言葉に都度相槌を打ち、静かに聞き入る事にした。
「嶺歌さんは多くの計画を巧みに扱われ、竜脳寺を無力化された事と存じております」
嶺歌はその言葉で当時の現場を思い出す。
最初こそは嶺歌に牙を剥いていた竜脳寺も最終的には精神を追い詰められ、形南に謝罪する姿勢を見せてくれた。
「形南お嬢様は仰られました。瓦解され、骨抜きにされた竜脳寺をそれ以上追い詰めることはお望みではないと。形南お嬢様は慈悲深いお方。そのようにご判断なされるのはあの方に仕える身としてこの上ない幸せです。しかしそれはお嬢様だけでは御座いませんでした」
兜悟朗はそこまで話して嶺歌の瞳に優しく目線を合わせ直す。彼の透き通った深緑色の瞳は、どこまでも形南への忠誠心に溢れていて、頼もしく思える。
「通常であれば、善悪の両方面を持つ人間は、報復者に対して慈悲を与える決断を下せません。恨みや悲しみ、憤りや憎悪が先走り、そのような感情を持ち合わせる事ができる者は数少ないと認識しております」
兜悟朗は自身の胸元に手を添えてそっと目を伏せる。彼の言っている事はよく理解できる。
この世には善だけの側面を持つ人間など存在しない。逆に悪だけの側面を持つ人間もいないだろう。
皆、程度はあれどそれなりに善悪を持ち合わせ、その感情と闘い生活をしている。それはごく当然であり当たり前の事だ。
問題なのは悪の感情をいかに抑え、善の感情を表に出して暮らしていけるかである。
嶺歌が魔法少女の姿で無力化する悪人はいつだってその悪の感情が膨らんでしまった人間であるのだ。
「嶺歌さんはお嬢様の一声がなくとも、無力化された竜脳寺が第三者の手で虐げられる事を良しとされませんでした」
竜脳寺が謝罪の意思を表明した時、嶺歌は確かに思った。彼をこれ以上痛めつける必要はもうないと。復讐は十分に果たし、あとは形南への謝罪をしてもらい、彼女の判断に任せるとそう決めていたからだ。
それに白旗をあげている人間を痛めつけるのは嶺歌の心が許せないからだった。
「嶺歌さん」
兜悟朗はもう一度こちらの名を呼ぶ。
「貴女は正義を貫かれるお方なのですね」
そう告げた彼はいつもとは違うような雰囲気でこちらを見据える。彼の真摯に見つめるその視線に嶺歌は瞳が揺れ動いた。
「悪を悪として裁き、正義を絶対的に優先されるお方」
兜悟朗の言葉は一つ一つに重みがあった。
言葉の意味も、彼の発する声の質も、それを口にする彼自身の全てが、嶺歌に大きな意味を生み出している。
「そして」
そこまで口を開くと兜悟朗は嶺歌の元へ一歩足を進め、先程よりも距離が近くなる。だがそれを避けたいとは思わない自分がいた。
「たとえそれが、元悪人であったとしても、貴女は正義を……選ばれる」
兜悟朗の声色は穏やかで優しみの籠ったものだった。
しかしいつもと違うと感じるのは、その言葉の奥に、どことなく知っているものが含まれていたからだ。そう、形南に敬服を込めて放たれる兜悟朗の言葉に、少し似ているのだ。
「あの日、お嬢様の無念を晴らされた日から私は貴女に尊敬の念を抱いてやまないのです」
兜悟朗の声音は、確かに先程と変わっている。しかしそこに頭を巡らせる前に彼は再び言葉を発してきた。
「この場で私から、貴女様に敬意を示させて頂いてもよろしいでしょうか」
そう告げた兜悟朗はその大きな手をこちらにそっと差し出してくる。いつもリムジンから降車する際に差し出される大きな手と同じであったが、今回はまたいつものそれとは違っていた。
嶺歌は顔が赤くなるのを自覚しながら「そ、れは全然……」と声を絞り出す。照れ臭い予想外のこの展開に、ついていけなかったのだ。
しかし心は正直で嶺歌の胸は弾むように高鳴っている。
(手を掴まれるのかな……)
ドキドキと胸の鼓動が速まるのを実感しながら嶺歌は兜悟朗の差し出された右手に自身の右手をそっと重ねる。
指先だけを静かに触れさせるとそのまま彼の指に包み込まれ、嶺歌の右手はあっという間に兜悟朗の口元へ引き寄せられていた。
「!?!?!?」
音も立たないほど丁寧な口付けが嶺歌の右手の甲へ放たれる。
嶺歌は想像もしなかった事態に顔が真っ赤に染まり上がるとそのまま思考回路が停止した。
そんな嶺歌の目の前であまりにも丁重なキスを落とし終えた兜悟朗はそっと嶺歌の右手を解放し、体勢を戻すとゆっくりお辞儀をした。
「許可をいただきありがとうございます。今後何か御座いましたら形南お嬢様と僕は、必ず貴女様のお力になる事を誓います」
そう宣言した兜悟朗はもう一度柔らかい笑みを向けて一礼をすると「どうぞ本日はごゆっくりお休みになられて下さい」と言葉を残して立ち去っていく。
ポカンと彼の背中を見つめていた嶺歌は先程起こった光景を何度も頭の中で再生し、そしてもう一つの事に目を見開いていた。
(僕って言った……!!!!!?)
兜悟朗の一人称は間違いなく僕に変わっていた。その違いが何なのか嶺歌にはまだ分からずにいたが、少なくとも彼から今まで以上に信頼され始めているという事実だけは、この状況でも理解する事が出来ていた。
第二十三話『フラグのような』終
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