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第七話②『忠実な執事』
しおりを挟む自宅の玄関を出てエレベーターで一階まで降りるとそう広くはないエントランスで兜悟朗は待っていた。
兜悟朗は嶺歌に気付くと直ぐに腰を曲げ、柔らかな一礼をしてくる。
嶺歌もつられて小さく会釈を返すと兜悟朗は嶺歌の住むマンションの目の前にある喫茶店を手の平で差しながら言葉を発した。
「宜しければあちらの喫茶店で。全て私が持ちます故ご心配には及びません」
「じゃあそれで……ありがとうございます」
嶺歌は彼の提案を呑み、そのまま二人で喫茶店へと足を運んだ。近場の店ではあるが、この店に入ったことは数える程しかない。
嶺歌は新鮮な店の雰囲気を感じながら兜悟朗と向かい合う形でソファの席へと腰を下ろした。
嶺歌が椅子に着くのを確認してから兜悟朗も席に腰を掛けるとそのまま言葉を口にする。
「まずはご連絡も無しにこのようにお伺いしました事、お許し下さい」
彼はそう言ってもう一度頭を下げた。これはお辞儀というよりは謝罪に分類される頭の下げ方である。
嶺歌はその様子に慌てて「いえ全然大丈夫なので! 顔を上げてください」と言葉を放った。
兜悟朗は顔を上げ柔らかな声色で丁寧に礼を告げると申し訳なさそうにこう言葉を口に出す。
「今回私がお伺いしております事を形南お嬢様はご存知ありません。大変恐れ多いのですが、今回の件は内密にお願いしたく思います」
どうやら兜悟朗は私用で嶺歌を訪ねたようだ。嶺歌は不思議に思うものの、形南に関する事なのだろうと察し、特に理由は聞かず頭を頷かせる。
兜悟朗は再び丁重に礼を告げるととある話題を切り出してきた。それは最近嶺歌に起こった出来事に関してであった。
「近頃、和泉様と平尾様がご友人関係になられたとお聞きしております」
「はい、なりました」
平尾と友人になってからまだ一週間も経っていない。嶺歌は彼の言葉を正直に肯定してみせると兜悟朗はその事に関してもう一度言葉を発した。
「率直に申し上げます。和泉様は、平尾様がご自分の事を好いてしまうのではないかと危惧されておりませんか」
「えっ!?」
驚いた。嶺歌は大きく目を見開き、咄嗟に彼の瞳に焦点を向ける。
言葉を出すよりも無言のままどうしてと目で訴えかけてしまう程には嶺歌は動揺し、何より驚愕していた。彼の言う通りだったからだ。こうも的確に自身の感情を見抜かれるのは初めての事であった。
それにこのような自意識過剰とも言える感情をほぼ他人である彼に看破されるとは思わなかった。
驚きで口を開けたまま静止する嶺歌を前に兜悟朗はそのまま言葉を続ける。
「直感で御座います。お気に障りましたら申し訳ありません」
彼はそう言うと嶺歌に柔らかな表情を向けたまま「ですが」と言葉を付け加えてくる。
「和泉様のご心配には及びません。お嬢様はたとえそうなったとしても、貴女様をお咎めになる事はないでしょう。勿論お嫌いになる事も」
嶺歌は未だに開いた口が塞がらないまま彼の言葉に耳を傾けていた。兜悟朗が話している内容は理解こそ出来ているが、納得はできない。何を根拠にその様な言葉を断言できるのだろう。
嶺歌は困惑した顔を隠せないまま兜悟朗の話の続きを待った。
「ご納得頂けないのも承知しております。ですが、形南お嬢様はそのようなお方なのです」
「あれなが何を考えてるのか分かるんですか?」
ようやく言葉を口に出せた嶺歌は腰を掛けていた椅子に座り直すと改めて彼に視線を向けた。兜悟朗は先程と変わらぬ丁寧な口調で嶺歌の質問に回答していく。
「はい。お嬢様はただご自身の運命のお方と大切なご友人に仲良くなってほしいだけなのです」
その言葉には妙な説得力があった。形南と知り合ってまだ一ヶ月も経ってはいなかったが、それでもそれなりに濃い時間を彼女とは過ごしている。
その中で形南がいかに友人を大切にする人物であるかは嶺歌自身が実感していた。
だが、いくら気を許しているとはいえ、自分の想い人と友人が親しくする事に嫌悪感はないのだろうか。
嫉妬をしない人間はいないだろう。嶺歌はそこが引っ掛かっていた。だが兜悟朗は再び嶺歌の心を見抜くようにこの様な言葉を口にする。
「万が一そうなってしまったとしても、お嬢様はご自分が努力をすれば良いのだとそう仰る事でしょう。リスクを知っていても尚、お二人には仲を深めていただきたいとお思いなのです。
ですから和泉様には気兼ねなく、平尾様と友好関係を築いていただきたいので御座います」
「…………」
嶺歌は再び言葉が出なかった。言葉が出ない状態で、テーブルに置かれたまだ温かいココアに目を落とす。
すると兜悟朗の思いがけない言葉が続けて放たれてくる。
「実はお嬢様のご内情をこうしてお話しするのは貴女様が初めてなのです」
「えっ……!!?」
兜悟朗は小さく笑みを溢すと言葉を続ける。
「本来であれば、お嬢様に関する事柄を話すべきではないでしょう。主人の許可なく口外する行為が無礼である事は承知しているのです。ですがお嬢様は賢明なお方でありながらも少々お言葉に欠けてしまう所が御座います。
お相手も理解されていると思い込まれる節があるのです。和泉様に誤解を持たれてはお嬢様のご友人関係が危うくなってしまわれます。ですので和泉様にはご説明の場を頂きたいと私自らの判断でこうしてお話をしに参りました」
兜悟朗の声色は変わらず柔らかいものであったがその言葉には強い意志が感じられた。
つまり彼は形南の不可思議な行動で、嶺歌という友人を失ってしまわないようにとこうして裏から支える為に嶺歌に会いに来ているという事だ。
嶺歌は、穏やかさの中に隠せずにある真剣な瞳で、こちらに目を向ける彼が嘘偽りなく主人を慕っているものであると感じ取る。
そして彼の形南を思う気持ちは決して生半可なものなどではないのだと、この瞬間に改めてそう理解していた。
「……何も言ってないのにあたしが平尾君との友情を躊躇っているのは何で分かったんですか?」
嶺歌は気が付けば質問をしていた。平尾との関係に疑問を持ち、友達にはなっていたもののあえて積極的に関わっていなかったのは事実であるが、それを形南は勿論のこと他の者にも話した事は一度もない。
それに兜悟朗には平尾と友人になって以降一度も会っていないのだ。なのに何故彼はそれを知っているのだろう。直感だとは言っていたが妙な話だ。
嶺歌は話が逸れてでもその答えを知りたいと思っていた。
「以前貴女様の事をお調べしたと申し上げたのを覚えておられますか」
すると兜悟朗は唐突にそんな言葉を口にする。その事は覚えている。嶺歌は無言で頷くと彼は再び口を開く。
「その際に和泉様のご性格は理解しておりました。ですので、今回の件で必ず貴女様はお気になさると考えたのです」
「それって……」
推測という事だろうか。調べたにしてもそれはあまりにも不可思議なものだ。人間の心をそう簡単に読み取れるなど、まるでエスパーではないか。
嶺歌は不思議な感情を抱きながらもしかしそれを不快には思わなかった。
何故かは分からないが、ただただ彼の洞察力に感服した。一流の執事である彼に感心する嶺歌を前にして兜悟朗は再び口を開き始めた。
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