あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第二章

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 雪が降り積もったその日、レオンはマットと共に夜の下町に来ていた。人通りが多い道の雪は、すでに泥と混ざり合い、足元を悪くしている。夜のうちにまた凍結するのだろうが、ただでさえ寒さに苦労する下町の人々をさらに不機嫌にさせていた。
 二人は軍人だと気づかれないように身なりを変え、目立つ武装も身につけず、居酒屋や娼館、安い宿屋が立ち並ぶ通りを人混みに紛れて進む。
「開拓団からの者が宿泊してるってのが、あの宿屋だ。だがまだ宵の口だ。誰も戻ってきちゃいない」
 マットが指差した先には、労働者が大部屋で寝泊まりする宿泊所があった。
 西の森を切り開いている開拓団から数名がこの街に買い付けに来ている、という情報を持ってきたのは、地道に下町をまわったジャンだった。
 かつてフランクに裁かれた少年窃盗団が、あの土砂崩れを発見し、土に埋まったフランクの遺体を掘り起こした可能性がある。もっと悪く考えれば、過去に恨みを抱いた彼らが、土砂崩れを装ってフランクを殺したのかもしれない。
 とにかく、この案件を調べるにあたって、開拓団の者を見つけ出すことは必須だ。レオンとマットは、労働者たちが集まる、賑やかだが安い飲み屋をしらみつぶしに見て回っていた。
「あの酒屋も行ってみよう」
 二人はガラの悪い男たちが群れる店の内に入った。途端に、店の二階で商売してる女たちが「ねえ遊びましょう」と寄ってくる。
 レオンは簡潔に「いらない」と彼女たちを遠ざけた。
 いかがわしい店ばかりの繁華街に来ることは、セリーナには言わなかった。もちろんその目的もだ。「夜警なので、今夜は帰りません」というレオンの嘘に彼女は微塵も疑いを持たず、「暖かくしてくださいね」とあの手編みの襟巻きを首に巻いてくれた。
 煙草や酒の匂いがつくのが嫌で、レオンはすぐにそれを上着で包んだ。店内は酔っ払いたちの騒ぎ声でうるさく、その男たちから金を搾り取ろうとする商売女の嘘っぽい笑い声もそこに混じっている。
 店の薄暗い一角に目が止まった。四人の若い男が安酒と食事をとりながら、頭を寄せ合って何かを話し込んでいる。着ているものはみすぼらしいが、体つきは街では見ない肉体労働者のものだ。しかし絡んでくる商売女のいなし方を見ると、この繁華街のやり方も心得ているらしかった。
「あいつら怪しい。近くに座ろう」
「おう」
 その四人の若者のそばに席を取ると、一瞬、注意深い視線が向けられる。レオンもマットも気づかないふりをして、酒とつまみを注文した。
 こんな時、下町で遊び慣れているマットはソツがない。酒を持ってきた店の女に陽気に声をかけてふざけ合い、ここの雰囲気にすぐ馴染む。レオンはそんな器用な真似はできないので、ただ友人に連れられて店に来ただけの酒好きを装うのに徹した。幸い、いくら飲んでも酔わない体質だ。
「あ~ぁ、しけてるぜ。人に使われる仕事ってのは面白くねえくせに、たいした金にもなりゃしねえ」
 しばらく飲んだ後、マットが声を大きくした。
「貴族だの権力者って奴らは俺らのことを底辺だって見下して、使い捨てみたいに扱って、金を溜め込みやがる。なあ、あんたらもそう思うだろ?」
 よくいるからみ酒の酔っ払いを演じて、マットが隣の席の四人に話しかける。彼らは面倒くさそうに「中にはそういう奴らもいるよな」と適当にあしらうような返事をした。
 マットは日々の愚痴をぶちまける態を装って畳み掛ける。
「貴族もムカつくが、俺がきらいなのは役人って人種さ。あいつら一体何様のつもりなんだ? 特に、兵隊や裁判官ってやつらは、勝手に偉そうな顔して逮捕だ、裁判だって。なんで奴らに俺たちを裁く権利があるってんだ」
 そこでレオンもこの流れを読んで、本題をするりと会話に紛れ込ませる。
「ああ、だけど世の中には「ザマアミロ」って胸のスカッとすることもあるもんだぞ。ほら、街道の土砂崩れに巻き込まれて死んだ裁判官がいたじゃないか」
 レオンも酔ったふりをして、さりげなく若者四人に目を向けた。彼らの表情は凍りついている。
 さらにマットが追い打ちをかけた。
「確かに、ありゃ嫌な死に方だ。邸宅に住んで召使いを雇い、奥方と暮らしてたって、あんな悲惨な最期じゃあな。けど同情はできないね。あの裁判官の判決のせいで、ここら辺の人間がずいぶん監獄送りになったんだろ? 天罰や因果ってやつさ」
 その時、隣席の若者の一人が決然と立ち上がって、エールの酒瓶をテーブルに叩きつけた。目は怒りに燃えている。
「てめえ。ブランソン様のことをそれ以上侮辱してみろ。首へし折ってやるぞ!」
 体は大きく逞しいが、声は若い。レオンは「釣れた」と思いながらも表情には出さず、その男に問い返す。
「ブランソン? 死んだ裁判官の名前か?」
「そうだ。しかも彼は天罰や因果なんかで死んだんじゃない。殺されたんだ!」
 マットとレオンはちらりと目を合わせ、ここが噂の出所だとお互いに確認しあった。

 四人の若い男たちは、名前をトム、ダン、イアン、エリックと名乗った。どれも珍しくない名前だが、レオンが記録保管庫で見つけた名前と一致する。
 続けて酒をおごり、誘導尋問が得意なマットが相手をすると、四人は少しずつ身の上話を始めた。彼らはここの繁華街よりさらに治安の悪い貧民街の出身だが、窃盗の罪で裁かれたのを機に、森の開拓団に入ったと言う。
 彼らを見つけた。大当たりだ。
「へえ。じゃあお前たちは子供だったのに、その開拓団に強制的に入れられたってことか? ひどい話じゃないか」
 レオンとマットはただの好奇心が強い酔っ払いを装って、さらに情報を引き出そうとする。
「確かに開拓は厳しい労働だ。けど、監獄に送られ犯罪者の溜まり場で腐った毎日送るより、子供の頃の俺らには良いことだったんだ」
「じゃあ、お前たちはそのブランソンが出した判決を恨んじゃないのか?」
 四人ともが「まさか」と首を振った。
 レオンとマットはここに来る前に、ある仮説を立てていた。フランク・ブランソンが殺害されたのだとしたら、それは過去彼に裁かれた少年たちの手によってではないかという、一つの可能性だ。
 しかしこうして直に話してみると、彼らの様子は想像とは随分違う。彼らはむしろ、亡きフランク・ブランソンを未だに慕っている。
「俺らは、ブランソン様に感謝してるんだ。窃盗の罪で、当然大人と同じように裁かれるんだと思っていた。けど彼が出した判決のおかげで、俺らはむしろ自由になれた」
「貧民街の子供ってのは、親だってろくなもんじゃない。生きるためにはワルの大人の言いなりになるしかねえ。そんで捕まったら、今度は牢屋で同じことが起きるだけなんだ。そこで待ってるのは、毎日殴られて凶悪になる道だけだ」
「新しく土地を開墾する強制労働ってのに送られた時は、そりゃあ不満に思ったよ。賑やかな街の暮らしから、男だらけの山小屋の毎日。でも、食うものと家はあったし、親方はいい人だ。斧を振るうのもそのうち慣れた」
 そして数ヶ月前にやっと「強制労働の刑期」があけたのだ。移動の自由も与えられ、彼らはかつて住んでいた街に戻ってきた。
「それなら、あんたたちにとって、本当に惜しい人が不幸な事故で亡くなったんだな……」
 やっと、嘘がない本当の同情を滲ませて、レオンはかつての少年たちに言った。彼らもちゃんとわかっていたのだ。フランクが彼らに何を託したのか。
「不幸な事故? いいや、それは違う。さっきも言ったろ。彼は殺されたんだ」
 四人の中のトムという青年は、日焼けした顔を強張らせて、声を落とした。他の三人の目にも、怒りが灯っている。
「あの土砂崩れは、偶然にも俺らの野営地の近くで起きた。だから分かるんだ。あの日、確かに長雨の三日目だったが、あそこの地盤は強固なものだ。毎日地中の岩盤と格闘している俺らが言うんだ、間違いない。土砂崩れが起きたのは、誰かが爆薬を崖に仕掛けたせいだ。俺たちは爆発の音も聞いた」
 不穏で、さらに具体的な話が、前触れもなくいきなり姿を現した。マットは「爆発の音を聞いた? 雷の間違いじゃないか?」と身を乗り出している。
「絶対に爆音だ。開墾作業では岩を砕くために爆破も使うから、あの音は聞き慣れている。なのに、誰も俺たちの話をまともに聞きやしねえ。現場検証に来た役人たちはボンクラで、現場にあった爆発の痕跡も調べようともしなかった」
 レオンの背筋にゾッとした寒気が走った。
 彼らの話は具体的で真実味があり、ただの無根拠な陰謀論だと笑い飛ばせる類のものではない。
「お前たち、この話を他でもしたか?」
 思わず軍人の素(す)に戻って、レオンは彼らに問いただす。トムはぎょっとして驚きながらも、間をおいて頷いた。
「ああ、何人かに。彼の死をもっときちんと調べて欲しくて、けどそれを誰に訴えればいいかわからなくて……」
「バカ野郎! もしフランク・ブランソンが殺されたのが事実なら、事故調査をする役人をも操れる大物が裏で糸を引いてるんだ。お前たちが真実を知ってるとその黒幕が知ったら、今度はお前たちの身が危なくなるんだぞ!」
 もうこれ以上、行きずりの酔っ払いを装い続けられなかった。フランク・ブランソンの殺害という話はかなり真実味をおびて、しかもかなりの権力者が影にいる可能性がある。
「マット、こいつらの身柄を一時確保しよう。軍部の上に報告するにしても、信用できる上官を見極めなくては」
「ああ」
 いきなり決然と動き出したレオンとマットに、若者四人はあっけにとられて、何が起きているのかまだよくわかっていないようだ。
 詳しい話は後だ、と彼らを追い立てて店を出る。
——セリーナ……なんてことだ。貴女がフランク殿を失った不幸は、誰かの悪意によってもたらされたんだ。
 一体このことをどう妻に説明すればいいのか。レオンは手にある毛糸の襟巻きをきつく握りこんだ。
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